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愛のかたち。

2021年9月1日(水)

新生活がはじまってすぐに9月が訪れた。

入院中に妻からも私からも親しい人に会いに来てくれないかと連絡をしていた。
ありがたいことに調整はすぐに進み、まっさらだったスケジュールのパズルは思いの外うまく嵌った。
おかげで9月の毎週末のカレンダーはぎっしり埋まっていた。

「休みの日なのにありがとう。忙しくなるけどよろしくね。あんまり気遣わなくていいからね。」といちいちお礼を言ってくれる妻。
常に痛み止めを注入していないと成り立たない生活を送っている人の言葉・態度とはとても思えない。
呆れてしまうほどに自分のスタンスを崩さない人だ。
私には到底出来る気がしない。

いくら弱っていこうと、ずっとこの調子なので"なにかをしてあげている"という感覚は薄かった。
"なにかをしたい"と思わせ続けてくれた妻に感謝している。
こういった行動原理を持たせてくれたのは大きく作用した。
これもひとつの愛のかたちだと思う。




引っ越しをしたとはいえ、妻は父に送ってもらった車から部屋に来ただけの状態なので周りを見れていない状態だった。
仕事終わりに「散歩してみる?」と妻を誘うと、着替えを手伝ってほしいと乗り気だった。
夜道の近所を散歩した。

妻の外出はこれが最後となった。
あの日、あのタイミングで声を掛けてよかった。

押し付けずに引き出す。
自発的には言えないけど、こちらから言えば出来そうなことの提案は難しい。

散歩の難易度はこの日の妻にはちょうどよかったようだ。

お尻の骨の痛みが出てきてしまったので、決して長い時間ではない。

この週の土日から友達が会いに来てくれることになっていたので、それに合わせてデジタル一眼レフカメラを購入していた。
一度不良品を引いてしまい急いで交換してもらったのでテストがてらこの散歩でも持っていって妻をたくさん撮っていたら恥ずかしがっていた。
そりゃそうだ。




先生から、湯船に入る許可はもらっていたのでエプソムソルト入りの浴槽で入浴した。

病院ではシャワーと身体拭きシートしか使えないので、妻は久々の入浴で気持ちよさそうにしていた。
痛み止めの針が刺さった左腕を気にしながら、束の間のリラックスタイムを楽しんだ。



2021年9月5日(日)

この日は友達が会いに来てくれる月間の初日だった。
第一号は妻の大学時代からの親友であるMちゃんだった。

がんになる前までは、継続して季節に一度は遊ぶくらい長く濃い付き合いをしていた。
闘病中もメール(LINEではなくメール)のやりとりをしてくれた心優しい友達だ。
私も一度会ったことがあるので、気が楽だった。

妻の代わりにMちゃんを駅まで迎えに行く。
電車で一時間以上かかるところから来てくれた。

駅から家までの道は妻の状況について聞いてくれたり、NGなことはないかなど、事前の足場がためをしてくれた。
妻への配慮が完璧なMちゃんと対峙して私はすこし落ち込んだ。すこし。

家に着き、感動の再会を果たした二人を見届けたあとは自転車で近所の自家製バーガーショップへハンバーガーを受け取りに行った。

最近食欲のなかった妻だったが、その大きなハンバーガーをまるっと平らげた。
調子がよかったのもあるが、久々のMちゃんとの再会の効果が大きかったのだろう。

しばらく談笑を楽しんでいたが、妻の体力的にお別れの時間が近付いてきた。

余命約一ヶ月。あるかないか。
おそらくMちゃんと会うのは今日が最後だ。

妻もMちゃんも私も、頭では分かっていたけどいざ帰ろうとした時にその現実がはっきり身に沁みてきた。
そんな空気が流れた。

妻とMちゃんはほぼ同時に号泣しだし、しばしのあいだ抱擁を交わしていた。
久々に妻の涙を見た。

怖いよな。
淋しいよな。
辛いよな。

この世に居られる時間が宣告されたあと、会いたい友達と最後の挨拶をする。

妻はひたすら「ありがとう。」と言っていた。

たくさん遊んでくれてありがとう。いろんなところに一緒に行ってくれてありがとう。あの時楽しかったね。Mちゃんはこの先たくさん楽しんでね。私は楽しかったよ。

そんな話を聞きながら、私はもらい泣きしないように歯を食いしばりながらキッチンに居た。

人の別れは辛い。
これから先はしばらくこの繰り返しだ。
大事な儀式だ。
妻の悔いが少しでも減るよう、フラットな存在としてここに立ち会おう。
介入せず、妻とお世話になった人の別れを見届ける。
ここで、自分に任せられた役割を再認識した。




目元を赤くした二人の写真を撮り、Mちゃんを駅に送った。
Mちゃんの涙は帰り道も止まらなかった。
壮絶な痛みと感動だっただろう。
私は今、あの日を思い出して泣きっ面でこれを書いている。

しっかりと気持ちを交わし合えました、機会を用意してくれてありがとうというお礼のメールが後日届いた。
陰ながらではあるが、役目を果たせてよかった。

その日の夜はMちゃんが持ってきてくれたシャインマスカットを妻と食べた。
それはとても美味しかった。

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