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人生の象徴のような時間。

妻の病状は日毎に悪くなっていた。
そう遠くない未来にその時が訪れてしまうのではないかという空気に包まれていた。

しかし本人はなかなか弱音を吐かない。
周りの私たちはただ出来ることをやった。

熱のある状態が続き、止まらない下痢に苦しみ、膀胱に転移したがんの進行の影響か尿は出づらい。
通院が終わった今、がんの進行を細胞レベルで見ることは出来ないが、確実に進行してしまっていることを状況が物語っていた。

妻はもう自分で寝返りを打てないくらいに弱っていた。
この一週間で一気に弱ってしまったように思える。
やはり、食事をあまり摂れないことが致命的だったのだろうか。


抗がん剤治療はこれ以上できない。完走した。
その上でなるべく痛みを取りながら自宅で最期を迎える。
妻は設備が劣っても病院ではなく自宅で過ごすことを希望した。
迷惑かけてもいいかなと言ったときのあのなんとも言えない表情が忘れられない。
それを拭うために私はもちろんいいよむしろかけてくれよと即答したのかもしれない。


妻は日々、自分のために足を運んでくれる来客を楽しみにしていた。
別れの挨拶。
これは妻が自認したひとつの役割だったのだろう。




2021年9月18日(土)

この日は私の親友が遊びに来てくれた。
この闘病記を書き始めた頃の記事で触れた、この親友だ。

一番最初に連絡をした友達。

2020年8月は彼が毎日電話相手になってくれた。
一年経ってお互いに状況が変わっていたので頻度は減っていたが、継続して連絡を取っていた。

妻の親友に会ってもらうのはもちろん、私の親友にも会っておいてほしかった。
この時、この瞬間の自分がどのように過ごしていたのか、妻とどのように向き合っていたのか。
それを他者に見ておいてほしかった。
近い人達だけの記憶では、時がたつに連れてどんどん事実から歪んだものになってしまうから。
私を介して状況を伝えていた親友に、その現場を見てほしかった。

この時は特別考えていなかったが、無意識にこの先のことを考えて行動していたのかもしれない。




台風による荒天だったが、昼下がりにはおさまった。
親友はキックボクシングで足を怪我をしていたが来てくれた。

駅で落ち合い、近所の蕎麦屋で天丼セットを喰らいながら久々に対面での近況報告をする。

ここの蕎麦は美味い。

妻の余命が残り僅かであること。
とにかく仕事が忙しいこと。
忙殺されながらも自分としてはなんとかやっていけてること。
家族に日々助けられていること。
東京ヤクルトスワローズの調子がいいこと。

ここぞとばかりに話した。
日々の洪水に押し流される中で溜まった何かを吐き出したかったのだと思う。

家に帰り、妻と会ってもらう。
体力は落ちていたが、会話はできた。

「来てくれてありがとう。これからも凌くんをよろしく。」と伝えているのが聞こえた。

妻はもともと声が小さいが、病気が進行してこの頃には更に小さくなっていた。
ギリギリで、精一杯の声で言葉を伝えていた。


妻は闘っていた。

帰りはお気に入りのスーパーを紹介しつつ駅まで送った。
この頃もお互い引き続きスムージー作りにハマっていたので、スーパーのフルーツ・野菜のラインナップには敏感だった。

名残惜しさはあったが、次の来客時間も迫っていたので駅で別れた。

帰宅後、「二人の間に流れてる時間が愛そのものだった。」という旨のLINEをくれた。
病気の進行とはまた別軸で、妻との関係が極まっている自覚があったので素直に嬉しかった。




夕方頃、妻の通うギター教室の仲間が2人で来てくれた。
Mさんは多種多様な楽器奏者として活動しているのだが、そのMさんがハープを担いで激励に来てくれた。
もう一人は先日、先生と一緒に来てくれたSさんだ。
今回はSさんがセッティングしてくれた。

Mさんは、妻と大学卒業記念の発表会を共催する仲で、長年同じ門下生として、仲間として付き合ってくれていた。

妻の体力を気遣い、「疲れてる中ごめんね、2曲だけ弾かせて。」と言ってハードケースからハープを取り出し奏でてくれた。


マンションの一室で聴くには贅沢なその音色に心が解れた。


妻は真剣な顔で演奏を聴きながらも、常に嬉しそうにしていた。
純粋に音楽を楽しんでいた。

御託を並べる必要がない音楽バカ。好きなものは好き。
そんな妻の音楽に対する姿勢がとても好きだったし、この瞬間にそれを強く感じた。
(お察しの通り、私は御託を並べるタイプ。)


Mさんは演奏だけではなく、オリーブの木をプレゼントしてくれた。
妻の大好きなスペインの木。

前にみんなで演奏をしに行ったスペインの空気を味わえるようにと、プレゼントをしてくれた。
それと共に鎮静作用があるというラベンダーのアロマオイルも。
食欲がないという事前情報だけで、これだけの粋なプレゼントを考えて持参してもらい、感動してしまった。
妻は感動のあまり笑っていた。

例のごとく、妻は感謝をたくさん伝えていた。
また来週みんなで来るから元気でね、と言ってくれた。
そう、来週は大所帯で来てもらえる予定を組んでいた。
これもSさんがセッティングしてくれた。
仕事が忙しい中、妻の病状に応じて大人数の予定を組み、妻がなるべく多くの人と挨拶を出来る機会を作ってくれた。




救い救われ生きている。
いつだかにそんなタイトルで闘病記を書いたが、本当にその通りだ。

決して目立とうとはせず、自分のため・自分の周りのためにただ実直に生きてきた妻のこれまでの人生の象徴のような時間が流れている、そう思った。
妻を訪ねて来てくれる人たちを通して、そう思った。

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