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まだ、やることがある。

2021年8月中旬

2021年8月14日(土)

引っ越しが無事終わった。
妻の入院中に済ませられたのはグッドポイント。
お互い気を遣わずに済んだ。

妻がなるべく快適に過ごせるように、かつ、週明けの仕事に支障をきたさないように、初日から段ボールを潰しまくる。

脚付きマットレスベッドを2台組み立てると、余裕を感じていた寝室も狭く見えた。
クローゼットに広さがある部屋にしてよかった。

ひとり、新居で黙々と荷解きを進めた。




2021年8月17日(火)

引越し後、新居で一人過ごす。

そんな中、平日の仕事中に妻から「先生から重たい話があった。あとで先生から電話が行くから聞いてね。」と連絡が来た。

正直なところ、仕事どころではなかったが落ち着かないので仕事をして過ごした。
病院は近いが、近いだけで病室に入れるわけではない。
一刻も早くそばに行きたかったが、今ある役割をそのまま担うため仕事を進めた。

16:30頃、妻からの頭出し通り先生から電話が来た。
根っこがわからず原発不明がんとして治療していく中で、根気強く付き合い、リスクの高い手術をして、子宮体がんという診断を付けてくれた産婦人科の先生だ。


予定していた抗がん剤治療を終えましたが、がんの勢いが強くなってきています。
既に全身へ転移しているので、ピンポイントの放射線治療によるいたちごっこは時間とお金と体力を奪うだけになってしまいます。
妻の体力を鑑みても、これ以上の治療は続けることが出来ません。
体力と身体の状態の都合で、治験を受けることも出来ません。
本人には余命3ヶ月ほどと伝えたが、持って1ヶ月半

できれば正直に1ヶ月半と伝えたかったが、本人がここまで真剣に闘病に取り組んできていたので、あまりに残酷でそれは出来ませんでした。
申し訳ないですが、本人との会話の際に齟齬が生まれないよう気をつけていただきたいです。
最大限痛みを取りながら、本人の意思を尊重して残りの時間を家で過ごせるように手配します。
これまでお互い治療をしてきたが、由理さんを救い切ることが出来ず申し訳ありません。
ご両親には私から直接伝えます。

先生から、こんな話を伝えられた。

端的に言うと、もう助からないということだ。
これ以上の治療効果は見込めない。
あとは、なるべく苦しまないように残りの時間を大事に過ごす。
頭と感覚で分かってはいたが、先生から改まってそう伝えられたことではじめて本当の意味で分かった。


立っていられなかった。
先生から電話がかかってきた時に思わず立ち上がっていたが、もう立っていられなかった。

膝から崩れて一人で泣いた。

悲しい。
よく頑張った。
ありがとう。
いつもありがとう。

でもまだやることはあるよな。
後悔をひとつでもなくしたい。

そう、まだやることがある。
まだ忙しい。
ほんっとにやることがある。
やれることがあることは幸せなことだ。
それは愛する人を報うための役割が自分にあるということだ。

何度目かの絶望を長く引きずることはなかった。




平静を装い、妻に電話する。
話聞いたよ。
夜また電話しよう。
仕事終わったらすぐ連絡する。

母にも連絡した。
親戚には母から伝えてくれるとのことだった。




仕事に戻り、残りの気力を振り絞り転職希望者の面接をする。
面接は人生のターニングポイントとなる時間なので、好きだが常々恐ろしさを感じながらしている。

面接を終わらせてすぐに妻と電話する。
話があってから時間が空いたからか、妻は思いの外落ち着いていた。

みんなに会いたいな。
いろんな人に会って直接話したい。
コロナだけど。
会いたい人に会いたい。
土日で予定を組み始めたいから、付き合ってもらってもいいかな?

即承諾した。

いつ体調が変化するかわからないから、会いたい人と思った人から順番に連絡しよう。
最優先で対応するから迎えやもてなしは任せて!

ありがとう!

今思うと、改めて余命宣告をされた夫婦の当日の会話とは思えない。

俺にはまだやることがある。
会いたい人に会いたいだけ会わせる。

2021年8月中旬の私は燃えていた。


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