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その生を全うする。

前記事に書けていなかったが、2021年9月25日(土)は妻が通うギター教室の仲間たちが集まってくれた。
あまりのショックに記憶から抜けてしまっていたが、思い出したので追記する。

プロのクラッシックギタリストとして活躍している方が、妻のために演奏をしに来てくれた。

妻自身、会うのは久々だったようだが、妻からはよく尊敬していると話を聞いていたので私も本人にお会いできて嬉しかった。

優しい音色に妻は真剣な顔で聴き入っていた。

すごい。
〇〇も聴きたいなあ。

遠慮がちな妻には珍しく、アンコールでリクエストをしていた。

結局3曲も演奏いただき、妻は細い腕で力強く拍手をしななら、すごい。を連発していた。

この訪問から、妻の中ですごい。が流行語になったようでもういい。すごい。を繰り返すようになった。

極限状態でも他者を称賛する言葉を繰り返す妻。
ここまでくると畏れを感じるくらいだ。




2021年9月26日(日)

また一緒に朝を迎えることができた。

9月最後の日曜日。
友人が会いに来てくれる月間の最終日でもあった。

前職でお世話になった方々がお見舞いに来てくれた。
中には二回目のお見舞の方もいた。
短いスパンで、妻のために時間を割いてまた来てくれた。
一足先に私の同期であり親友であるGが来てくれて、私のサポートをしてくれた。
不器用な彼だが、なんでもするからと来て雑務をこなしてくれて心も助かった。

あとから聞いた話だが、妻はこの日「凌くんよろしくね。」とGに伝えていたようだ。
私はこの極限状態の人に心配され過ぎだ。




ひとしきりの挨拶を終え、家族だけの時間が訪れた。

由理、みんなに会えてよかったね。

うん、みんなすごい。
すごい。

そうだね、みんなすごいね。

ここでもすごいを連発していた。
しかし妻の熱は39度近くなっていた。

お義母さんに留守番を任せ、近所のスーパーまで熱冷ましグッズと夕飯の食材を調達しにいった。

この日は久々に私が台所に立つことにしていた。

妻が美味しいと言ってくれたバターオムライス。
ゼリーくらいしか食べられていなかったので、一口でも食べてくれればと考えていた。

久々の料理かつ5人分の料理はしたことがないので全然手際は良くないが、なるべくテキパキ動いた。

料理中ににおいが届いたのか、「バターのいい匂いがする。え?凌くんのオムライス?美味しいから食べて。」という声が聞こえた。
私の代わりにレコメンドしてくれていた。

焦がさないように卵を焼いているとお姉ちゃんが「あとどのくらい?」と小声で中継に来てくれた。

様子が変わったようで、もう長くないかもしれないということだった。

すぐにひとつ盛り付け、お義母さんに食べさせてもらった。

おいしい!
すごい!
みんなも、食べて!
おいしい!

子供のように喜んで食べる妻を見て感動してしまった。




このバターオムライスは、前職時代に二人で同じプロジェクトに参画していたときにランチで入ったお店が美味しくて、それを真似して何度も作ったものだった。

今はもう閉店してしまったようだが、ここから生まれた大事な妻との思い出の味だ。

大急ぎで作って、大急ぎでみんなで食べたので写真はないが妻との最後の食事としてしっかりと覚えている。




食後も妻のもとから離れず、みんなで話していた。
普段口数が少ないお義父さんも、妻に声を掛けていた。

お父さん、すごい。

そんなことないよ。
由理がすごいんだよ。

似た者同士の親子の会話をにやにや聞いていた。

家族が揃ったし、みんなで写真撮りましょっか。
そう言って一眼レフを取り出した。

痩せこけた姿でもいいじゃないか。
この、大好きな、妻の家族の写真を撮りたかった。
両親と姉妹。みんな大好きだ。

妻は笑ってピースをしていた。

みんな、涙を流しながら笑って、感情が渋滞していた。
妻はずっと笑顔だった。




ひとしきり盛り上がったあと、お義母さんが食器の片付けをしてくれていた。

私とお姉ちゃんは妻の側に居た。
お義父さんは落ち着かない様子でテレビを見ていた。


コップの水を飲んだ妻がむせた。
そのまま、呼吸が止まった。


もう水を飲み込むことも出来なくなっていたのだ。


家族が集まる。

呼びかけても返事が返ってこない。

記憶にあるやり方で人工呼吸を試す。
痩せ細った妻の胸を押すのは苦しかったが、躊躇っている時間はなかった。


うまく行ったようで、2度は息を吹き返した。

が、それきりでもう戻らなかった。

妻は心なしか楽そうな顔をしていた。

半分パニックになりながら、緊急連絡用の電話番号に掛けるが、当直の医師はまだあったことのない方で確認等で少しもたついていた。
こちらはこちらで極限状態だったので、決して広くない部屋を徘徊しながら電話でのやりとりを続けた。
多少感情的になってしまいながらも、とにかく来てもらうように約束を取り付けた。

そのあとは妻のもとにすぐ戻った。

出来ることはもうなかった。

呼吸が止まってからも各種器官は一定時間内は動いていると聞いたことがあったので、それを信じて感謝を伝え続けた。
家族で狂ったように、ありがとうと、お疲れ様と、愛してると、伝え続けた。
呼吸が完全に止まってからも、側で愛を叫び続けた。

両親・お姉ちゃんの前であんなに愛を伝えると思わなかった。




最初の連絡から40分ほどして当直医が到着した。

あくまで事務的に、死亡確認が進められる。
感情が入り混じってしまうので、主治医の先生の不在タイミングでよかったのかもしれない。


2021年9月26日21時48分。
妻の死亡が確認された。

妻はステージⅣ宣告からはじまったこの闘病生活を全うした。
妻はその人生を全うした。
やりたいこと、やるはずだったこと、まだまだたくさんあっただろう。
ないわけがない。
それでも、私は楽しかったと笑顔で言い切って死んでいった。
夫に新しい人を見つけて前向いて生きてと伝えて死んでいった。
家族に、友達に、たくさんの感謝を伝えて死んでいった。

間違いなくその生を全うした。

私はこの人の人生に、感謝とただただ大きな拍手を送りたい。




ありがとう。
あなたのお陰で素晴らしい日々を送れました。

2016年4月に出会った。
2016年9月に付き合いはじめた。
2018年12月にプロポーズした。
2019年5月に結婚した。
2020年8月から闘病生活がはじまった。
2021年9月に妻を看取った。

愛しい激動の日々だった。

心からあなたに出会えてよかった。
そう思う。

これからも、あなたに教えてもらったたくさんのことを大事にして生きていく。

あなたが亡くなり、四十九日に上げ始めたこの闘病記ももうこれで40本目。
書ききれないし、まだ書きたいことはあるけど、一旦はこれが節目。

あなたが亡くなったあとも、かたちを変えながら私の人生は続いている。
私は私の人生を続けている。
いきいきと楽しく充実した日々を送ることが出来ている。

激動の日々は続いている。





ここまで、 妻・由理の闘病記 を読んできてくださった皆さま。
本当にありがとうございます。

自分の今後の人生のために、と何の許可も取らず(取りようがない)にエゴで書き始めたこのnote。

妻が亡くなるところまで書ききってしまったので、闘病記としてはこれで終わりです。

ただ、亡くなってからも残された私の人生は続いています。

明日は妻の三回忌。
もう2年の月日が流れようとしています。

こうしてこのnoteを書いている中で、私自身が向き合えていなかった妻のこと・自分のこと。その他諸々のことが見えてきました。

今後は引き続き不定期更新で、闘病記を書く中で気付いたことや深く掘っておきたいことをこのマガジンへ追加していきます。
雑記マガジンとの振り分けは悩みつつ。

誰に届けるわけでもなく書き始めましたが、気付けば、しばらく会っていない友達や会ったことのない方からもコメントをもらう機会が増えました。
妻の闘病が壮絶だったことから、会ったときに話しづらいけど読んでることは伝えたいといった言葉をもらうことも増えました。

気軽になんでも言ってください。
ほんとに。

ありがとう。

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