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妻の三回忌を終えて。

2023年9月23日(土)

妻の三回忌を執り行った。
普段は朝に弱く早起きとは縁遠い生活をしているが、この日は5時半に目が覚めた。
緊張していたのだろうか。

闘病記を書ききった状態で三回忌に臨んだ。
これを書き切る前でも後でも、それぞれの作用があったのだと思う。
妻の生と死を自分事として捉え、その闘病記を私の視点で私のために書き切るということを私自身の役割として据えていた。

良いもの、悪いもの。
要るもの、要らないもの。
有益なもの、無益なもの。
恩恵のあるもの、迷惑なもの。

人の生そのものが二元論で語れるものではない。
だからこれらのような、〇〇なものだから書こう・〇〇なものだから書かないでおこう、といった思考は一旦棚に上げて取り組んだ。

闘病した本人ではなく、その闘病を見守った私視点の闘病記。

私はとにかくこれを残したかった。
自分の言葉で、文章で、当時を振り返りながら、書いている時点の自分の視点で残したかった。

手書きのノートを手元に拵えるだけでもよかったのだが、ここは人様の目を利用することにした。
モチベーションが上がり、筆が進むから。
私は俗世に染まったしがない現代人だ。
高尚な者ではない。だから、頼った。

人に読まれるかどうかはまた別の話。
とにかく自分のためだった。




三回忌を終え、そのまま妻の親族と共に蕎麦屋で昼食を取る。

歯列矯正を始めてまだ一週間の状態。
蕎麦はイケるが、天ぷらは痛かった。
大好きな店の大好きな大海老の天ぷらも、この日の私には手強かった。

妻が亡くなってからも息子や弟のように接してくれる妻の両親と姉に感謝しながら、妻に想いを馳せる。
ずっとここにいたのはあなたなんだよな、と。

混んできた店に座りが悪くなり、黒の集団がぞろぞろと退店する。

街をぶらつきながら、親族と話して解散する。

なんだか身体が重い。
9月に入ってからも猛暑日が続いている中で、この日は涼しかったがそれでも身体が重かった。

三回忌そのものに疲れたのか、一年振りの喪服に疲れたのか、珍しく三時間も昼寝をした。
昼寝自体が久し振りだ。

おそらく、当日の疲れだけでなく妻の闘病記を書ききった達成感による疲労感が大きかったのだと思う。
二年弱、更新頻度の波はあったが常々脳に常駐していたタスクが遂に完了した。

書き終えて思ったことは、私は闘病記の完了を目指していたわけではないではないということだ。
ここでまたスタートラインに経ったような感覚を覚える。

面倒で愛おしい人生だ。
まだ、やりたいことがたくさんある。




少し元気が出て夕方に20km走った。

月に300km以上を継続して走っているせいで近所の道はもう飽きてしまった。
最近は自ら望んで迷子になっている。
長くなるのでこれはまた別の記事で。

国道を波打つ動脈に見立てて、その中を進む血小板のひとつになったような気分で、流されるように走った。




「このまま右に逸れてトラックに轢かれて死んでしまおうか。」

そう思った2020年8月4日。
あの日の自分からは成長したな。
そう振り返ることができる今日があってよかった。

なんで俺が死のうとしてんだよ。
今は秒速でそう切り返すことができる。
だが、当時のあの測りきれない瞬間最大風速を受けた時の私はそう思ってしまっても仕方なかったのだろう。

そこに正しさなんてものは存在しない。


近頃は死ぬのが怖くて、夜道を走る時のライトを買い足した。

生にしがみついている。
生に固執している。
命あってこそだ。


お寺の掲示板と気持ちがリンクしていた。

今の私はそれでいい。
たとえ醜くてもいい。
必死に生きていこうじゃないか。

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