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子連れ離婚後の【お金、戸籍、今の気持ち】


今週、離婚に伴う国の手続きが全て終わった。
丸1ヶ月、正確には離婚前から役所通いが始まっていたのですごく長く感じ、辛い日々だった。

何が辛いって、なぜか妻だけが、女だけがやる手続きがあるということ。名字を変えないわたしですらこんなに大変だったのに、名字を変えるシングルマザーの皆さん、本当にお疲れ様です....もちろんシングルファザーも。ひとり親になるということは人により約20年続く試練。


パッと思い出すだけでこれだけある
やったことは追ってまとめて記事にしたいと思う


離婚って本当に本当に本当に面倒だ。
大変だなって思うことはたくさんあるけど、端的に言うとお金は割と困っていることのひとつ。


【お金の話】


去年、昼夜働いていたので収入が今よりあった。昨年度の確定申告は追加納税額約10万円。しかし今は家に母一人娘一人のため、ダブルワークは難しい。しかも、「ひとり親」になったのは今年なので扶養控除もひとり親控除も受けられない。
そして、その収入で児童扶養手当の額が決まる=少額しか支給されない。あるいは手当なし。

働かないほうが国からの支援は大きくなるけれど、満額もらって仕事をセーブして、それって人生としてどうなのか。
ちなみに養育費も8割は年収として加算される。養育費をもらえない家庭も多く存在し、均衡を保つために計算されているようだった。それは親としての義務であって、しかも養育費なんてたった数万円の家庭が多いだろうに。国は完全には守ってくれない。国に頼らずに自分一人で母娘二人分稼いでいけるようになるのに、まだまだ娘を一人にできない。

去年あれだけがんばって働けたのは「家族を維持するため」だった。それが今、どうしてこんなことで悩まなくてはいけないのか、とても辛い。
働くことへの不満ではなく、各種税金に対して、それから手当の少なさ、もらえるかどうかの不安に対して、だ。なんのためにわたしの1年間があったのか。(これは今更言っても仕方のないことなんだけどせめてここで愚痴らせてほしい...)

あらゆる手当支給はわたしの場合5月〜6月。
せめてもう少し、スムーズであったならと願うひとり親家庭が多いことを再認識した。



【戸籍の話と子連れ離婚した今の気持ち】


離婚すると妻が戸籍を抜ける。その性質上、離婚時に女がやる手続きが多い。
そして一つの行動を起こすたび戸籍に反映されるまで10日から2週間を要する。そのため不備がないように何度も確認する。不備があるとその分時間がかかるので、間違いは避けたい。

まず、離婚届を出すのに【婚姻時の戸籍謄本】が必要。離婚届を出し離婚が戸籍に反映される(除籍)のに約2週間かかる。
その後【離婚の記載がある戸籍謄本】【こどもの戸籍謄本】を持って家庭裁判所に行き、こどもを自分の戸籍に入れる審判をもらうのにも約2週間。
そうしてやっと住民票のある市区町村に入籍届を出し、自分とこどもの戸籍が同じになる。わたしの場合、本籍地が横浜市にあるので何度も中野から横浜の行政サービスセンターに行くことになった。

「どうして、離婚に至ったのか」

なぜ妻だけが、女だけがやる手続きがあるのか、と強く思うのは、離婚したくなかった気持ちがうまく消化できていないからだと思う。
どうして離婚に至ったのか。書類と同じように、考えて、確認して、自分の納得のできる答えに行き着くように何度も踏みつけて道を作る。

パートナーがいなくても人生は楽しめるし、子育てもなんとかしていける。子供が巣立った後に1人で旅行に行く、趣味に生きる。1人は決して悪いものではない。
でも、わたしは人を愛する素晴らしさを知っている。愛する人と暮らす素晴らしさを知っている。

誰かが自分のことで喜んだり泣いたりする尊さを知っている。
「このアイス好きそうだから買ってきたよ」とか「ユニクロに似合いそうなカーディガンあったよ」とか、なんでもない日々の隙間に誰かのことを想う時間が幸せであることを知っている。
映画を見ながら眠ってしまう心地よさ、お互いがお互いの性格や趣向を知ってなおそばにいてくれるありがたさを、わたしは知ってしまった。

そういうのは全部、元夫との生活で知った。それらを失いたくなくて「離婚」を受け入れられなかったのかもしれない。側から見たら「仲の良い夫婦」に映っていたと思う。それは自惚れだったらしい。

予定より早く別居を進めたのはわたし自身。再構築を努力したが、話し合いを諦めた形だった。
結婚というのは、恋愛感情がなくなっても勝手なことをしない、協力して生きていくものだと思っていたし、それがわたしにとっての理想の夫婦のあり方だった。今となっては、よくわからない。

別居して、ライン以外を全てミュートして、自分の周りの人間関係も極力シャットダウンして、そうしてやっと未来への気持ちが芽生えたのが1月。そうしないと前を向けなかった。それは今でもあまり変わらない。彼に対してはまだ特別な感情があるので「いないもの」、「もう会えないところに行ってしまったひと」と思ってようやく少し心が楽になる。これは好きとか愛とか未練とは違う感情で、極端に言えば死別に近いと思っている。恨み、憎み、それでも愛し続けて生きるのは疲れる。だからこのような考えに至った。

子連れで離婚した場合、当たり前だがこどもと住む、こどもの親権をもつ方の手間が増える。
そして何より伝えたいのは、「こどもと暮らす」というのは 【結婚生活の続き】 であるということ。

離婚してこどもと離れて暮らすことに慣れたら、婚前の生活に戻る面も多いと思う。もしかしたら結婚していた過去を忘れることができるかもしれない。でもわたしにはこどもがいて、どうしても3人で暮らしていたことを思い出すし、2人で子育てしていたことを思い出す。
娘は今でも頻繁に「パパ」の話題を出す。娘の友達に「パパと住んでないってほんとう?」と言われた時、辛かった。多分娘の方が数段辛かっただろう。普段娘は、我が家のことをどのように話しているんだろう。こどもなりに意見や考えだってあるはずだ。
先日7歳になった娘は「誕生日よりも、パパに会える日が楽しみ。」と言っていた。何をしても【パパ】になれない悩みは永遠に続く。

パパからの誕生日プレゼントを並べている娘



「結婚していたとき」を生活の中で意識せざるを得ない。娘が成長し「パパがいない」が日常になれば、これが新しい毎日になれば、わたしも娘も「3人だった頃」を思い出さずに生活できるのだろうか。

離婚したことは後悔していない。でも、これで良かった、とはまだ思えない。
夫婦だからもちろんお互いに不満はあったし、離婚の理由は一つではなくて、それを書き進める意思も体力も今は戻っていない。「これで良かった」と思える頃、ようやく本当の意味で戦いが終わるのかもしれない。それか、永遠に答えがでない可能性も。

また人を愛したい。人を愛す幸せは他には変え難い。何にも変えられない。誰かを信用することや娘のことを考えなくても、わたしはもう十分大人の女になってしまった。
人生の課題は残る。

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