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はじめてのBL展に思う

2023年5月24日、ちょっと風は冷たいけど、お天気は上々で、初めて所沢に降りました。
なにせ時間を気にしなくていいので、風のふくまま、気の向くままです。
まだ午前中なので、気温もそんなに上昇していません。  
さすがに緑が多くて、匂い経つ新緑のなか、角川武蔵野ミュージアムに向かいます。 
『はじめてのBL展』を見に来ました。 BL50年の歴史が展示されています。 私なんぞは本当にここ3年位のことしか解りませんが、50年もの歴史があって、うすうす気づいては、いましたが、ゲイの一部の方からは、「BLはゲイ差別だ」という批難もあるようです。

とにもかくにも、夢中になって展示を見ていましたら、13時も過ぎていて、なんかお腹もすいてきたので、自由にメモ貼り付けるコーナーで、「BLは世界をすくう」って書いて、帰ろうとしたら、売店があって、溝口彰子さんの『BL進化論』ボーイズラブが社会を動かすという本が気になって、購入しました。  そのまま駅まで行って、ハンバーガーショップに入りました。 ランチの野菜バーガーセット美味しかった。 久々にハンバーガーにかぶりつきました。 春の昼下がり、長閑な所沢駅のホームのベンチで電車を待ちました。

『BL進化論』はかなりのボリュームで論文ですから難解でしたが、私が一番疑問に思っていた所も解明してくれました。 
そうあのBLはファンタジー問題です。
受キャラに感情移入する女性読者にとって受になるかならないかを決める権利は女の側にあるというファンタジーを可能にしている訳です。いやになったら受をおりて、ノーマルな男に戻ればいいという自己決定権のファンタジーなんです。
攻に感情移入することは男になって男を抱きたいファンタジーです。
目から鱗でした。BLは女性性からの逃避なんです。  
だから作家さんも女性、ファンもほぼ女性です。 この本には50年の歴史の最初のこともでています。
森鴎外の娘さんの茉莉さんが、1961年58才の時に発表した短編小説『恋人たちの森』が始祖とされています。『恋人たちの森』は茉莉さんが、自分が妄想する美しい男子同士の恋愛を書きたいという衝動によって書かれた作品です。

展示にもありましたが、キリスト教が入ってくるまで日本では、性はもっと開放的で、庶民の文化としても共有されていました。 春画からもわかります。
10月には内野聖陽さん主演で春画画家の映画が公開されるようです。 今まで映像化できなかったものが、初めて映像化されるようで、楽しみです。 こんなことばっかり言っていると、眉根を寄せられそうですが、エロティシズムを忌み嫌うことは芸術を愛でる上で3割位損をしていると思います。 余計なお世話かも知れないですが、余すところなく感じないと、もったいないです。
 
 そして、同時期に浅原ナオトさんの『100日後に別れる僕と彼』を購入しました。
以前に浅原さんの『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』は、ネットフリックスで見させていただきました。 
どちらもBLではなくて、そのテーマは、ホモであることの、生きづらさなのかと、思います。
男性目線の同性愛の本は少ないです。
BLに慣れ親しんでいる私は、切なくも甘いラブシーンとか、ハッピーエンドを期待してしまいますが、要所、要所、に社会からはじかれてきたという硬質な反骨を感じました。
BLで萌えている女を侮蔑する気持ちも伝わってきます。 
とは言え過去,GSでもなんでもキャーキャーと熱狂して盛り上げてきたのは女性です。 
異性愛のドラマでもエンターテインメントというのは、触れる人に感動であったり、トキメキであったりをくれるものです。
そんな中、今BLが凄くエンタメとして共感を生んでいること、それは同性愛が実際どういうものでどんな揶揄や侮蔑を受けたとしても、そことは切り離して考えるべきではないでしょうか。
むしろBLがそうして浸透することで、同性愛の人にとっても、理解されやすい社会になるのではないかと思います。 
実際『BL進化論』の溝口彰子さんも美少年マンガが身近にあったことで、同性愛嫌悪がなかったし、ご自身のレズビアンも承認できた。とおっしゃっています。 
私の大好きな『囀る鳥は羽ばたかない』の矢代さんみたいに「あんたゲイなんすか?」と聞かれ「そうだとしても、それが何か?」みたいに、堂々としていてほしいです。
自分を肯定できないことは、人の批難よりも一番辛いことだと思います。
私は自己肯定感の認識が少し違っていたことに最近気づかされました。
心理学の先生のお話で、自己肯定感とは自己受容のようです。 
Havingとかdoingとか素晴らしい自分を肯定して、高みに持っていくみたいな認識でしたが、弱い自分も自分として受容すること。こんなはずじゃなかったというのではなく全てを自分として受け入れることが、自己肯定のようです。 
要するに、自分が自分をまず愛することです。 
簡単なようですが、以外に難しいのかもしれないです。 
しかし一度上がった自己肯定感は、下がることはないということです。 積立られるのだそうです。
『100日後に別れる僕と彼』も、ストーリー的には面白くて、途中から、引き込まれて一気に読んでしまいました。
最後誤解が解けたのだから、やり直して欲しかったんですが、なんで戻れないのって、思いました。
そういうところが男性の柔軟性のなさって言うのかプライドが高いっていうのか、やっかいに思ってしまいます。BL目線の意見になっていたらすみません。 だからBLは女性の書き手なのでしょうね。 
女性の方が圧倒的に柔軟です。 
こうして、BLの歴史にふれることで、その立ち位置もわかってきましたが、私はBLというエンタメに凄く救われた人間です。

 SNSの進化で人はいろんな体験を、あたかも経験したかのように感じて、既視概念はもう容量をこえてしまっています。
あの気持ちも、その気持ちも、既に経験し尽くして、浅いところで、今更って思います。
だから、原点回帰のBLなのかなと思うんです。 
お互いを好きという以外なんの利害もない。
むしろまだまだ今の世の中では逆風も強い。
そして女性は、どんなに羨望しても、経験できないですから・・・。 
そこが心を振動させるのかと思います。

                風の時代のモノローグより


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