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なぜ 私は書くのか

 今から4年位前まで、私は書くことはおろか、読むことも忘れていました。  45才で離婚してから、中学生だった子供たちと、生きていくのが精一杯で、何かを書くという精神的な余裕も、時間的な余裕もありませんでした。  無謀なことに、無職で離婚した私は、明日をも知れぬ状況でした。  45才という年齢で、やすやすと仕事など見つからないこともおもいしります。 
仕事が決まるまで、知り合いのご好意で事務のアルバイトをしていました。 その事務がとても暇だったので、仕事の合間に小説を書いてみました。 
1000万という破格の賞金目当てで、応募してみました。
今の判で押したような毎日も、もしかしてちょっと一歩踏み出す方向を変えたら、全く違う世界に辿り着くのかも知れない。 
みたいな脱出願望を書いた稚拙な小説でした。  
一次審査、二次審査と通過の通知がくるたびに、子供たちと息を飲んで、もしかしたらいけるんじゃないかと思っていましたが、最終には残れませんでした。  5人位の書評と共に原稿は戻ってきましたが、自費出版しませんかとのお話に、あーそういう事ですかと、思った記憶があります。 
そこから5,6年は時間とお金にただただ追われる日々でした。
人生には様々な時があります。

私は5才位まで親と離れて暮らしていたせいか、軽い自閉症で6才くらいまで外ではしゃべりませんでした。 そのことに気がついた母はこれは大変と思ったのでしょう。 何を考えたのか、私に読書の習慣を身につけさせたのです。 小学校の1年か2年の頃です。
私は読書に没頭しました。  おかげで養われれた読解力は私の唯一の財産になりました。 作文とか読書感想文のコンクールでは、よく表彰されていました。 社会人になってからは書くということはほんとうに少なくなっていました。

そしてもう人生も一巡した60才の時、会社で陰湿なハラスメントに会います。 夜になるとどこにぶつけたらいいのかわからない思いがこみあげて眠れなくなります。 その時手元にあったノートに、口に出して言えないことを書きました。 ほぼ毎日です。
見返すのもおぞましいノートでしたが、言葉にすることで、自分の身に起こっていることを、すべてではなくても、確認できました。
言葉というかたちにして、捨てていくのです。
そのハラスメントは解決はしませんでしたが、2年という年月とともに、そこにどんな思惑があったのかの全貌は見えました。

65才になった時、まだ会社にいようと思ったらいられたのですが、退社することにしました。 もうここからの人生は自分の好きなことだけしたいなと思いました。
そのつらい時に読んだ本とか、触れたエンタメのおかげで、私は幸福を感じられる心を取り戻すことができました。
けがの功名とでもいうのでしょうか。
折に触れて書くということは続いています。
もうあの時のような、おぞましいものではありません。
心にふっと引っかかったことは、単語だけでも書き留めておきます。
すべて紙面に書きだすので、心に積もらせなくてよくて、心はいつも軽やかです。 言葉にすることで、思いは昇華されて、かたちあるものになります。  ふっとなにかが頭をよぎっても、忘れてしまう事ってよくありますよね。
是非書き留めておいて下さい。 その積み重ねが思いになります。

今となっては書くことは私の日常です。
読むことにも書くことにも何度救われたことかと思います。
書くことで少しでも誰かの心を救うことができるのなら、思い上がりにもほどがあるかも知れないけど、私の感性を総動員して、少しでも人の心に届く言葉を紡いでいきたいと思います。
いろんな経験をしてきたからこそ見えることも、たくさんあるのかと思うのです。

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