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亀戸のディープ街で謎ホルモンを喰らう!

東京下町にある亀戸は、ホルモンでも有名な街だ。亀戸といえば、賑やかな北口エリアを思い浮かべる人が多いだろう。駅につながる大通りにはたくさんの商店や飲食店が並び、毎週日曜日には歩行者天国が開催される。横道に入れば焼肉ホルモン店が集まっていて、食欲をそそる肉のいい香りに包まれている。

だが今回は、その反対側のエリア。ちょっとディープな南側にスポットを当てたい。


亀戸南側のディープエリア

このエリアは、大きな国道14号線の向こう側にある。JR亀戸駅の正面玄関ともいえる北口から出てしまうと信号がないため、大きな歩道橋を渡らなければならない。かつてディープなエリアだったため「簡単に向こう側に行けないようにしているからだ」という噂まである。

サウナ国際

歩道橋を渡り、一本奥の道に入る。この建物を知っている人は、かなりの亀戸マニア、いやディープスポットマニアだろうか。

ここだけは、昭和の頃から時間が止まっているようだ。

2016年までは、昭和の遺産的サウナとして営業していたが、2017年に休業。改装の噂もあったが、2023年の現在も、そのままの状態だ。

サウナ国際には、休憩室や仮眠室があり、アーチ型の窓が並ぶ部屋には、布団が敷き詰められていた。国鉄のストがあった時代には、足の踏み場がないくらい、人が泊まって寝ていたのだとか。

いまは、そんな面影もないくらい、ひっそりと佇んでいる。

亀戸九龍城

サウナ国際に隣接する、もうひとつのディープな建物が九龍城クーロンジョウだ。

2018年の外観

ここは食べ放題をメインとした中国料理の専門店で、日本ではお目にかかれない料理がたくさん出てくる。亀戸九龍城は何度かリニューアルしているが、謎レストランとしての全盛期だった2018年頃の話を中心に紹介しよう。

九龍城は、セルフ方式の食べ放題だ。その品揃えは、ホテルビュッフェかスタミナ太郎のような勢いで、セルフ方式のラーメンコーナーやライブキッチン的なものまであった。

「ホルモ」

「ホルモ」と書かれた棚には、見慣れない料理が並ぶ。木の枝にしか見えないこの肉は、鳥の首を干したものだ。頸椎だらけのブツ切り状態なのがすごい。

「ホルモ」

ほかにも、鴨らしき足・くちばし・頭などがある。どれも骨だらけだが、一応肉はついている。その部分をかじったり、しゃぶったりして味わう。

ナッツと青菜炒めの横にあるのは、
鴨の「くちばし」らしき部分

鴨の頭は、食べやすく四分割されていた。そこからくちばしらしき部分を持ってきたが、どこまでをどう食べていいのか、よくわからない。

もっとダイナミックな鳥の足もあった。もはやミイラにしか見えないが、水掻きがついた足は、指の間がコラーゲンで栄養がありそうだ。

謎めきしかない

見た目は怖いけど、「ホルモ」こと、謎ホルモンは、どれもピリ辛な味付けでクセになる。

店員さんもお客さんも多国籍だ。ヒゲモジャで体の大きいアラブ系男性店員が、小柄な中国系の女性店員に怒られている。ビュッフェを楽しむマレー系の若者たちは、海外からの観光客だろうか。

食べかたもよくわからない謎のメニューに困惑しながら周りを見ると、日本にいることを忘れてしまう。もっともここは亀戸という異国なのだが。

謎の骨肉

ビュッフェでは、羊の骨付き肉を煮込んだ料理が人気だった。煮込みが完成すると、待ってましたといわんばかりに、大鍋の周りに人が集まる。羊肉は背骨部分が中心だったので、おそらく「羊蝎子(ヤンシエズ)」という料理だろうか。

羊蝎子ヤンシエズとは、羊の背骨のことで、背骨一本つながった形がサソリに似ていることが名前の由来だ。羊蝎子ヤンシエズでだしをとる鍋料理は、中国地方では300年もの歴史があるのだとか。

骨の周りについている肉はもちろん、骨の中にある骨髄もウマイ。

食べる前の写真を撮り忘れてしまったが、食べた後のほうが驚愕すぎて、私のカメラロールには、骨の残骸ばかりが写っている。

とにかくすごい背骨だ

未知の料理に出会えるところも、九龍城の魅力だろう。ここで私は、異国のホルモン料理を覚えた。

2020年以降、緊急事態宣言なども絡み、九龍城はビュッフェを休止し、飲食スペースを縮小するなど業態を変更。一時は閉店したとまで噂された。

だが九龍城は、そう簡単に死んだりはしない。看板を新しくして、謎めき度もパワーアップ。いまも健在だ。

亀戸の不夜城「九龍城」は、今日も怪しげに輝いている。

亀戸九龍城 2023 ハイパー

グランドキャバレーだった建物

亀戸九龍城は、重厚な扉を開けて中に入ると、広いエントランスがある。一階の大きなフロアに加えて、二階にはステージを備えた宴会場。VIP専用のボックス席や、バーカウンターもあるようだ。

謎の世界観を繰り広げるには、なかなかスケールのデカい飲食店だなと思っていたが、なんとこの建物は、かつてグランドキャバレーだったそうだ。そう聞いてから改めて眺めてみると、昭和の華やかで妖艶ようえんな夜の世界が目に浮かんでくる。

先に紹介したサウナ国際の近くにも、スナックが集まっていたそうだ。いまは静かな裏通りだが、かつてこの周辺は賑やかな場所だったのかもしれない。

赤線地帯と青線地帯

日本では、終戦直後の1946年(昭和21年)から、売春が禁じられた1958年(昭和33年)までの12年間、赤線地帯と呼ばれる売春街が、たくさん存在していた。そのひとつが亀戸だった。

「赤線」とは、売春を目的とする特殊飲食店街のこと。GHQによる公娼廃止指令(1946年)から、売春防止法の施行(1958年)までの間に、半ば公認で売春が行われていた日本の地域を指す。これに対して「青線」は、 非合法で売春が行われていた地域。青線地帯では、普通の飲食店や旅館として営業しながら、別室で女性が体を売っていた。警察が地図上で、該当地域を「赤線」と「青線」で囲んで示していたことから、そう呼ばれている。

亀戸には、非合法の青線地帯もあったそうで、それがこのディープエリア付近だったという話もある。青線では、スナックのような小さな店の二階で売春が行われていることがあった。そのような店は、取り締まりが来たらすぐにわかるように、奥まったコの字型の区画に集まっていたようだ。

この話を聞くと、冒頭でも触れた、かつてディープなエリアだったため「簡単に向こう側に行けないようにしている」という噂は、あながち間違っていないのかもしれない。つまり、何も知らない人が来るような場所ではなかった、ということなのだろう。

一方、赤線地帯の名残もある。認められた「特殊飲食店」は、表向きはカフェやダンスホールとして営業され、外観はモダンなデザインになっていた。その特徴は、円窓アーチ型の窓タイル張りの壁などから読み取れる。そういえば、先に書いたサウナ国際の仮眠室にも、アーチ型の窓が並んでいた。ここがどうだったかはわからないが、当時の文化に影響を受けたデザインなのではないかと思ってしまう。

ブレない街

ディープな面影が残る街は、イメージを一掃するために再開発が行われることが多い。亀戸も東口には、新しい商業施設やマンションができた。しかし一部のエリアは、いまもそのままだ。周りに染まることもなく、その世界観を、かたくなに守り続けているようにも見える。

この景色があるからこそ、過去の出来事を思い出し、それを語り続ける人もいる。もし街の景色が、すべてきれいなものに入れ替えられてしまったときは、そんな昔話も忘れ去られてしまうのだろう。

東京下町・亀戸に来ることがあったら、この街を歩いてみよう。そして消えてしまいそうな時代の名残に触れて、何かを感じてみてほしい。


ディープエリアを歩きます

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