10年間通い続けた「人生最高のホルモン店」
人生最高の飲食店。
心からそう思える店があるのは幸せだ。
私の場合、それがホルモン店だった。
この店の料理、建物、雰囲気すべてが、私の人生に影響を与え、いまの私をつくっている。激しく心を揺さぶられ、昨日まで見てきた世界をすべて塗り替えてしまうくらい夢中になった店。
これは、私のルーツでもある「人生最高のホルモン店」の話だ。
気がつくと、10年間で200回も通っていた
私には、心から愛する店があった。
気がつくと10年間、200回近く通い続けていた。
あまりにも大好きな店だったので、レシートやサービス券をいつまでも大切に保管していた。初めて訪問したのが2009年。さすがに初期の頃のレシートは捨ててしまっていたが、2012年頃から集めるようになって、これが思い出の束となった。
きっとこの店のファンの中でも、ここまでの客はいなかったと思う。
レシートを読み返すと、当時のメニューやレジ担当の名前から在籍していた店員さんのことまで思い出す。一歩間違うとストーカー、いや税務調査か?
ホルモンに胃袋と人生を捧げた平成最後の年
この店に最も多く通った年が2018年。人生で最もホルモンを食べていた年だ。実質的な「平成最後の年」でもある。そんな雰囲気に押されて血迷っていたのか。いや、そうじゃない。きっかけは、ちょっとしたことだった。
2017年12月某日、いつものように入店の行列待ちをしていると、顔なじみの店員さんに突然声をかけられた。
「僕、来年から別の店舗へ異動になるんです。ここは今日が最後です」
私はこの店に長く通っていたので、過去にお気に入りの店長とのお別れがあった。「今日が最後です」というセリフを聞くのは、これで2回目だ。
これだけの大行列店で、たくさんのお客さんが来店しているにもかかわらず、私のことを覚えていてくれて、いなくなることを教えてくれることは、さみしかったけど本当にありがたかった。お気に入りの人が、前触れもなく、いつもの光景から消えてしまうのは、やはりさみしいものだ。
話を聞くと、顔なじみの店員さんは、系列店の店長になるらしい。二度と会えないわけじゃない。
ただ彼は、私の心の中にある、変なスイッチを押して去って行った。
戦場のように忙しい店だったので、彼とは入店時に挨拶することと、注文のやりとりをする程度で深く知り合っていたわけではない。それでも彼からにじみ出ていたこの店に対する深い愛は、よくわかっていた。
何も頼まれてはいないけど、私は彼から「この店への忠誠心」というバトンを受け取ったのだ。
行列必至の人気店
人生最高のホルモン店には、年間平均20回は通っていた。ざっと振り返ると、2014年は31回、2015年は10回と少ないものの、2016年は26回、2017年は35回。年によっては30回は通っている。
この店は行列必至の超人気店で、開店同時の初回ロットに乗れない限り、1時間以上の行列が余儀なくされる。予約は4名から。4人集められない私は行列組だ。開店同時入店となると、やはり土日に限定される。これなら最短40分待つだけで、初回ロットで入店できる。
最も負担の少ない方法で通っていたが、それでも1年が52週あるとしても、年の半分近くの週末をこの店に捧げていたのは、なかなかクレイジーだ。それも無意識に。10年間も。
そして私は、2018年の週末を可能な限り、この店に捧げると誓った。
胃袋の実家
人生最高のホルモン店は、いまにも壊れそうな木造家屋の店だった。天井を見上げると、複雑に入り組んだ美しきダクト。裸電球の優しい光に包まれていた。
着席した時のしっくり感がたまらない。不安定な椅子、少し焦げたテーブル、熱で歪んだメニュー、炭と脂が混ざった空気、ずっと深呼吸していたい店の匂い、流れる懐かしJ-POP。いつも胸がいっぱいになる。実家より落ち着く。そう、ここは「胃袋の実家」だ。
滞在できるリミットは2時間。
外は大行列だ。長居はできない。
この店の創り出す世界観にひたって、全力で肉を喰らう。
退店時間が近づくと、おしぼりを渡される。リングで戦う選手のごとく、タオルを投げられる瞬間まで、肉を喰らい、酒を飲み続けた。
特製レモンサワー
私が最も信仰していた酒が、この店のレモンサワーだ。歴代の店長が改良を重ね、バージョンアップして、この形になったらしい。
焼酎漬けのレモンをジョッキごとガチガチに凍らせて、注文が入ると木の棒で砕いてシャーベット状にし、そこにアサヒ樽ハイ倶楽部レモンを注ぐ。サッポロ黒ラベルのジョッキに入っていながらも、中身は違うメーカーだという点も愛すべきポイントだった。
焼酎が20〜25度だとして、それを8%の樽ハイ倶楽部で割るという、超絶ストロングな酒。個人的な体感では10%を超えていたように思える。私は、この酒を飲みすぎて、よく倒れた。
肉の変態
この年は、例の店員さんが店長をすることになった系列店にも足を運んだ。そこは人生最高のホルモン店よりも小さな店舗だ。そのおかげで、ほかのお客さんがいない時間帯には、肉を焼きながら、カウンター越しに店長になった彼と肉談義を交わすことができた。
人生最高のホルモン店に対する愛や、普通の人には意味不明なマニアックすぎるホルモンの話に花が咲いた。私の予想通り、彼は真の「肉の変態」だった。
エースの帰還
人生最高のホルモン店は、変わらずおいしく、居心地の良い店には違いなかったが、少しずつ空気が変化していたような気もした。
客の私にはわからないが、秋になろうとしていたある日、系列店に異動していた例の店員さんが、突然、帰還したのだ。他店で店長をしていたはずなのに、一体何が起こったのか。
帰ってきた彼は言った。
「これが最後の戦いです。しかと目に焼きつけてください」
ドラマだったら、この瞬間、死亡フラグが立っている。
人生最高のホルモン店は戦場で、彼は共に戦う戦友だった。
戦場の流儀
人生最高のホルモン店は、1階と2階を合わせた計100席で構成される。私が通っていた土日昼の開店時には、行列の先頭から一斉に入店する。1階から着席することもあれば、2階から案内されることもある。2018年の後半は、主に2階席で、帰ってきた彼の勇士を見守った。
木造家屋のダクトから狼煙が上がると、戦闘開始の合図だ。
まず2階に案内されると、30人ぐらいが同時に席に着く。上着や荷物に煙の匂いがつかないようにビニール袋に収納するが、それを終える余裕もないくらい、間髪入れずに数人のスタッフが、一斉にドリンクや肉の注文を取りに巡回する。着席してホッとしている暇はない。それが戦場の流儀だ。
注文が通ると、ドリンクが銃弾のごとくやってくる。ビール、レモンサワー、ソフトドリンクなどが、黒ラベルのロゴがついた大きめのジョッキに入れられて、ガシガシと音を立てて着弾する。灼熱の炭火七輪が各テーブルの戦闘配置にセットされると、すかさず、サイドメニューのもやしナムルやキャベツが到着する。
1階にある厨房から、2階の受け渡し口に、次の配膳アイテムが勢いのある声とともに次々と置かれていく。弾の補充は完璧だ。
「配膳ー!」
指揮を取っていた彼が号令をかけると、流れるように各テーブルに肉が運ばれる。銃撃戦さながらだ。
一呼吸置いた後に、ライス砲が飛んでくる。ランチタイムということもあって、最初からライスを注文する人も多い。てんこ盛りのライスが、一斉に着弾する様は圧巻だった。ここまでが、数人のスタッフが織りなす華麗なる戦闘シーンだ。
ここからは、スタッフ1人が残り、部屋をコントロールする。炭火七輪が炎上すれば、氷で火を消し、お客さんがタレを服にこぼして汚してしまえば、洗剤のついたおしぼりを渡して救護する。
喰う者も、喰われる者も、常に戦い。
ここはまさに戦場だった。
そして戦友であった店員さんの勇士を目に焼きつけた。
彼は、この店が一番似合っていた。
ホルモン一球入魂
一方、私のほうは、11月に入り、ようやく去年の来店回数である35回目にたどり着いた。あとはここからどれだけ記録を伸ばせるかの戦いだった。
週末の午前11時20分、店横の行列ゾーンに滑り込み開店を待つ。雨の日も、風の日も、真夏の猛暑日も。同じ時間に、同じ場所に、立ち続けた。おそらくこの路地裏に立っていた時間は、誰よりも長かったはずだ。ここは私にとってのマウンドだ。もはや中堅投手のような気持ちだった。
ここが球界なら、最多勝利投手を目指そう。この時点で、通算200回は通っていたので、間違いなく殿堂入りだ。
ホルモン一球一球に魂を込めて、肉を喰らう!
そして、2018年12月29日、その年最後の宴。年間来店数43回、過去最高記録を達成。見事な下僕っぷりを発揮した。
*
しかし、この物語は、そう穏やかには終わらない。
ホルモン店の買収
年が明けて2019年。さすがに去年のようなクレイジーな来店目標は掲げないものの、それでも変わらずこの店に通い、ホルモンを食べていた。
帰還した戦友の店員さんとも、最高にデカ太いマルチョウが出てきたときには「今日は特にスゴイですね」などと、推し肉を賞賛し合い、また以前のような日々が戻ってきたように思えた。
ある日、飲食店の情報をチェックしていると、見覚えのある会社名のリリースに目が止まった。中部地区を地盤に焼肉チェーンを展開する企業が、人生最高のホルモン店を経営する会社の全株式を取得したのだ。
2019年4月、人生最高のホルモン店は、大手焼肉チェーンの傘下となった。
星が消えた日
目に見えた大きな変化は、取り扱いビールの入れ替えだった。おそらく本社の方針だろう。ビールの銘柄はサッポロから某社に変わり、私が分身のように愛していた黒ラベルのジョッキはすべて撤去された。
私はこのジョッキのロゴを含め、目に見えるもの、触れるもの、店内に流れるBGM、いまにも壊れそうな木造家屋とそれらが創り出す雰囲気や世界観、そのすべてがまとめて好きだった。
いつものように、おいしい店であることには変わりないが、そこには私が愛したホルモン店の姿はない。
受け継がれる魂
例の戦友だった店員さんは、その後、この店を去った。以前から聞いていたが、彼には、地元に帰って自分の店をやる、という夢があった。人生最高のホルモン店の何かが変わってしまうなら、その魂を受け継いで、自分の店で復活させたいと思っていたようだ。
この店に魅せられた者は、その魂を受け継ぎ、人生を変えている。私もそのひとりだった。立場も形も違うけど、ここでの体験がきっかけとなり、ホルモンの修行をはじめている。
私はこの店で、ただならぬ原動力と不思議な力を手に入れた。ここはそういう魔力がある場所だった。
私がひとりの店員さんにスイッチを入れられたように、その魂に触れた瞬間、その人の何かを大きく変える。次は私が同じように、誰かの心を動かしていく。それが受け継がれる魂なのだ。
人生最高のホルモン店
このホルモン店は、いまも変わらず、人々に愛されて続けている。ただ、私がこれまで見ていたものとは違う存在になってしまった。それでも私の心の中には、このホルモン店の「ひとつの時代」が、ずっと生き続けている。
人生最高のホルモン店。
心からそう思える店があったことは幸せだ。
ここで出会ったすべての人と、肉と酒に。
惜しみない敬意と、愛を込めて。
閲覧ありがとうございマルチョウ。これからもよろしくお願いシマチョウ!