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もつ煮込みを食べ歩きながら、ホルモン文化を考える

もつ煮込みは、肉文化の集大成だ。味付けに調理法、使う内臓肉のチョイス。その土地の食文化か、それとも店主のこだわりか。手のひらの一杯に、歴史が凝縮されている。気になる5つの「もつ煮込み」を食べ歩きながら、ホルモンの歴史と文化を考えてみた。


1:<上野>もつ焼き大統領「大統領特製煮込み」

上野・アメ横にある「もつ焼き大統領」は、創業1950(昭和25)年。戦後の混乱期に「闇市」として始まった「アメ横」と、ほぼ同時期からの歴史がある。闇市時代の面影を残す、アメ横を代表する酒場だ。

めずらしい「馬もつ」の煮込み

店の売りは、創業以来変わらぬ味の「馬もつ煮込み」だ。馬内臓を使っているとは、かなりめずらしくて、衝撃的だった。

クセや臭みもなく食べやすい。
言われないと「馬もつ」だと、わからないだろう。

馬刺しの燻製

もうひとつ、気になるメニューが「馬刺しくんせい」だ。

馬刺しを燻製にしたもの。つまり「さいぼし」なのか。「さいぼし」は、ホルモン文化を語るには外せない料理のひとつだ。

「さいぼし」は『串カツ田中で、ホルモン文化を体験しよう!』でも紹介したが、一部の地域でしか食べられていなかったディープなグルメだ。

このほかにも「特上馬刺し」「桜ユッケ」など、馬肉メニューがいくつか並ぶ。これは、上野のご近所、浅草・吉原の馬肉文化の影響だろうか。

下町の馬肉文化

浅草・吉原の土手通りには、老舗の馬肉料理店と馬肉の精肉店が並ぶ。このエリアは、馬肉専門店が多い。

むかし吉原の遊郭に来た人たちは、乗ってきた馬を売りさばいて遊び代を工面していたそうだ。そこで、馬を持て余した商人が「これを食べてはどうだ」と始まった食文化だといわれている。明治には、この付近に食肉処理場もあった。

浅草・吉原付近にあった食肉処理場
浅草千束:1877〜1883年(明治10〜16年)
浅草田中町:1904年(明治37年)

Wikipedia「東京都中央卸売市場食肉市場

肉の歴史がある場所には、おいしい肉料理がある。いまは、そこに食肉処理場がないとしても、長い歴史の信頼や実績から、おいしい肉や希少部位が入手できるルートを持っているはずだ。そう考えてしまう。

2:<品川>東京食肉市場内・一休食堂「牛モツ煮込み」と「にこみ汁」

品川にある「東京食肉市場」は、東京中の肉を支える日本最大級の近代食肉処理場だ。施設内にある「一休食堂」では、市場直送の牛内臓を使った「もつ煮込み」を出してくれる。

煮込みメニューは3つある

これが「一休食堂」の煮込みメニューだ。よく「市場直送」という、うたい文句があるが、この食堂は食肉市場内にあるので「市場超直送」だ。

左から「にこみ汁」「牛モツ煮込み」
右上の「牛皿」は、和牛のホホ肉を煮込んだもの。牛丼店の「牛皿」とは異なり、角切りの肉煮込みだ。

「牛モツ煮込み」

「牛モツ煮込み」は、味噌とモツの脂がドロッとして濃厚だ。牛の直腸(テッポウ)らしきものが、これでもかといわんばかりに、やわらかく煮込まれている。

「にこみ汁」

味噌汁のような「にこみ汁」も、牛のコクが濃厚だ。豚汁のような見た目だけど、こちらも「和牛のモツ」を使用している。

「関東は豚肉文化、関西は牛肉文化」という固定観念があったので、豚汁風の見た目から、豚モツだろうと思って食べたら、まったく違った。

この店では、豚モツは一切使わず「牛モツ」だけを使っていることが、こだわりらしい。

品川の食肉市場は「和牛」に強い

品川の食肉市場は、ブランド和牛を多く扱っているようだ。牛の処理頭数および取引金額は日本最大なのだとか。

そう聞くと、食堂でも「牛モツ」にこだわる理由が納得できる。

「東京食肉市場」は、1936(昭和11)年開設。都内各地にあった食肉処理場が統廃合を繰り返し、この地にひとつにまとまった。

逆に、埼玉の食肉市場は「豚」に強いという話も聞く。
「ホルモンの唐揚げ」をつくりながら、ホルモン文化を考える』でも紹介したが、埼玉県は、東松山市の「やきとり(豚カシラの串焼き)」や、秩父市の「豚ホルモン」が有名だ。

各市場の解体処理能力
東京食肉市場(品川):牛600頭/日、豚900頭/日
さいたま市食肉中央卸売市場:牛250頭/日、豚1,000頭/日

東京食肉市場「お肉の情報館」/ さいたま市食肉中央卸売市場

もつ煮の具を見ていると、その地域の肉事情も見えてくる。

3:<月島>東京三大煮込み・岸田屋「牛にこみ」

煮込み界には「東京三大煮込み」というものがある。そのひとつが、月島にある「岸田屋」だ。創業は1900(明治33)年と、かなり古い。

大衆酒場の「牛もつ煮込み」

岸田屋の「牛にこみ」は、いろいろな牛内臓がたくさん入っている。小腸、大腸か直腸だろうか。ギアラ(第四胃)や、フワ(肺)のような部位もある。

よく煮込まれていて、やわらかい。
内臓肉から出たコラーゲンで、汁にとろみがある。

天井には魚拓がいっぱい。築地が近いからか、魚料理も充実している。

岸田屋は、魚料理も提供する大衆酒場で、もつ焼きを出しているわけではない。それなのに、バラエティに富んだ牛内臓を使った、おいしい煮込みが食べられることに驚いた。

この煮込みは、美味しんぼ1巻の「究極の煮込み」にも登場している。

月島の「肉の歴史」を探せ!

岸田屋がある月島は「もんじゃ」のイメージが強いと思うが、実は「肉の歴史」もある。月島では、大正時代から昭和初期まで「肉フライ」と呼ばれる屋台が並んでいたそうだ。その名残なのか、現在も「レバーフライ」の店がいくつかある。

隅田川にかかる相生橋のたもとにある「ひさご家阿部」は、1949(昭和24)年創業の「元祖レバーフライ」だ。

おいしさは肉の歴史と関係するはず

おいしいホルモン料理を見つけたときに、その周辺の歴史も探ってみると、何か肉食文化にたどり着く。おいしさは肉の歴史と関係するはずだ。

「東京三大煮込み」
・北千住「大はし」1877(明治10)年
・月島「岸田屋」1900(明治33)年
・森下「山利喜」1925(大正14)年
これに、
・門前仲町「大坂屋」1924(大正13)年
・立石「宇ち多゛」1946(昭和21)年
を加えて「東京五大煮込み」と呼ぶ

「東京三大・五大煮込み」とも重なる千住や深川にも、食肉処理場があった。

千住、深川にあった食肉処理場
千住:1870〜1876年(明治3〜9年)
深川永代新田:1883〜1889年(明治16〜22年)
深川:1907〜1912年(明治40〜大正1年)

Wikipedia「東京都中央卸売市場食肉市場

新鮮な内臓肉が入手しやすい環境なら、おいしい煮込みがつくれるはずだ。よい素材が入手できる土地には、その魅力を最大限に引き出す料理人や店があって、食文化がつくられている。私はそう考えてしまう。

4:<白金高輪>鈴木屋「煮込み」

白金高輪の「鈴木屋」は、テレビ番組「寺門ジモン取材拒否の店(2019年4月5日放送分)」にも登場した、行列必至のもつ焼き店だ。鮮度抜群の「もつ焼き」のほか、少し変わった煮込みを出している。

透明スープの「塩もつ煮込み」

鈴木屋の名物「煮込み」は、ホルモンの「お吸い物」と呼ぶべきか。塩味で、汁が透明でサラサラしている。

「もつ煮って普通、味を濃くしてモツの味や臭いをごまかすけど、これは塩味もギリギリまで薄くモツの味だけ。臭みがまったくない。ここまで薄くていいのかってくらい薄くしてモツの味だけにしてる」

寺門ジモンの言葉

味のコメントは、寺門ジモン氏の言葉をそのまま引用したい。
本当に、その通りである。

これは、よく知る「もつ煮込み」とは、まったく違う。新しい料理なのか。いや、広島の「ホルモン汁(でんがく汁)」のようなものだろうか。関東では、めずらしいスタイルだ。

白金は元祖肉の聖地

現在の「白金台」にあたる「荏原郡白金村今里」は、1867(慶応3)年、東京で最初の近代的食肉処理場ができた地だ。

肉食禁止令から解放された明治時代、東京のすき焼き店は、今里で仕入れる牛肉で繁盛していた。そして、競って屋号に今里ブランドである「今」の字を入れたのだ。例えば「今半」「今朝」など、老舗すき焼き店が有名だ。

いまでも白金高輪には、焼肉の有名店、人気店が多い。時代が変わっても、肉の聖地には、おいしい肉の店が集まっている。

白金は、品川駅を挟んで「東京食肉市場」の反対側にある街だ。

白金(今里)で誕生した食肉市場が、長い年月をかけて、都内各地で統廃合を繰り返し、最終的には反対側の品川港南口に戻ってきた。慶応3年から昭和11年にかけての、壮大な物語だ。

5:<三河島>焼肉山田屋 本店「牛塩もつ煮込み」

1964(昭和39)年創業の「焼肉山田屋 本店」は、焼肉の街として名高い三河島で、最も歴史の長い店だ。

牛内臓を6種類使った「牛塩もつ煮込み」

具は、①タン ②ハチノス ③赤せん(ギアラ) ④モウチョウ ⑤テッポウ ⑥小腸。全部「牛」。選ばれし「牛内臓のおいしい部位」が全部入っている。

内臓の旨味を損なわない塩味が素晴らしい。汁がコラーゲンでネットリ、ドロドロ。とてもやわらかくて、超絶ウマイ!

メニューには、煮込みで使用している内臓の名前が書かれている。この6つの内臓は、不動のメンバーということだ。

焼肉山田屋 本店は、テレビ番組「寺門ジモン取材拒否の店」で、2018年1月10日と、2009年のレギュラー放送時にも登場。「関東三大取材拒否の焼肉店」のひとつとして紹介されている。

三河島は焼肉ホルモンの聖地

三河島は、韓国料理や韓国食材店が多く、コリアンタウンとしても有名だ。安くておいしい焼肉店が集まっている。

三河島は、カバン製作を中心とした皮革産業が栄えた街でもある。1883(明治16)年に、最初の家畜市場がつくられ、皮革工場が多くあった。この歴史が、副産物である焼肉ホルモンとつながる。その後、周辺地域の尾久や三ノ輪にも食肉処理場ができた。

明治時代の食肉処理場
1883〜1889年(明治16〜22年):芝浜、三河島、深川永代新田、今里、千住三ノ輪などを転変。
1904年(明治37年):白金今里、南千住三ノ輪、浅草田中町の4施設となる。

Wikipedia「東京都中央卸売市場食肉市場

1936(昭和11)年に、現在の「東京食肉市場(品川)」に統合される直前まで残っていたのが、三ノ輪の食肉市場だ。三河島周辺のホルモンが、ズバ抜けておいしい理由は、ここにある気がする。

肉の歴史がある場所には、おいしい肉料理がある

料理には、その土地の歴史や文化が詰まっている。肉のルーツがある場所には、その魅力を最大限に引き出す飲食店があって、肉食文化がつくられている。肉の歴史がある場所には、必ずおいしい肉料理があるのだ。

ホルモン文化に敬意を示して。
もつ煮込みに、乾杯だ!



肉の歴史が眠る土地には、必ずうまい肉がある
それが私の肉アノマリー

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