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袖をまくる

『光』の宇多田ヒカルはどうしてあんなに楽しそうに食器を洗っているのだろう。きっと新婚初日、或いは新居に引っ越して一日目なのだ。そうでも考えないとあのテンションの説明がつかない。洗い物に楽しい事など一つもない。

ジャブジャブと水を流しながらゴシゴシと食器を洗っていく。「本田が洗った後の食器は全部ヌメヌメしている」と人に言われた事がある。流しても流しても出てくる泡を見る度、どうして紙皿を使わなかったんだろうといつも後悔する。

脳内で電子的な姑を作り出し、説教をしてもらう。「洗剤付けすぎじゃないの」「水を使いすぎ」「お箸はしっかり四面洗いなさい」。嫌味と闘う嫁にロールプレイすることによって、少しは気も紛れる。

そんな事を考えながら食器を洗っていると、まくったはずロンTの袖が手首の所まで降りてきてしまっていることに気が付く。このままでは袖が水に濡れてしまうので、泡で塞がった両手を庇う様に口で咥えて袖を戻す。そうして洗い物に戻り水でジャブジャブとしていると、また袖が降りてしまっている。一度立て直すために袖に折り目を付けるべきなのだが、非常に面倒臭い。①泡だらけの手を洗い②タオルで拭き③ロールアップしなくてはいけない。三工程である。億劫だ。「袖が降りない様に気をつければ、大丈夫なはずだ」と願い、僕はまた口で袖をまくる。だけど駄目だ。今度は両腕の裾が伸び切ってしまった。

「今度こそ本当に気をつければ上手くいく」。そう思ってもう一度トライするが、やっぱり上手くいかない。思えば、この失敗は人生で何度目だろう。僕は何度もこの失敗をして、都度忘れている。甘い仮定と失敗の忘却はヌルい再挑戦への言い訳にすぎない。

洗い物が終わった。袖はびしょびしょになった。




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