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嫌いだったアイツの家に行った話

A組のアイツを助けたことがある。

その日は、何でもない日だった。夏を少し過ぎた蒸し暑い夜、喉が渇いたので近所のコンビニに行くため家を出ると、人通りの少ない路地にソイツは落ちていた。

黒めのシャツに黒いスキニー、細めの指輪に整えられた眉、そしてお決まりのようなとんがり靴。そんな身なりとは裏腹に、だらしのない格好で地面に寝転んでいた。

酔っ払っている人が地面で寝ていたら声をかけることにしている。前に友達がそうしているのを見て、素直な行為だと感じたからだ。

「大丈夫ですか?」僕がそう聞くと、ソイツは声にならない声で何か答えた。何度か受け答えをしていると、この近くに住んでいることが分かった。かなり意識が混濁していて、数時間の内に酔いが覚めそうにもない。この後の予定も特になかったので、僕はソイツを家まで送っていくことにした。最初は肩を貸して歩かせていたが、非効率的なので背負って歩いた。


僕はこういう身なりのやつに、ずっと嫌悪感がある。愚かな連中だと思っている。
こういう連中は子供の頃にちょっと面が良かったり、人より体が大きかったせいで、こうなっている。彼らは学校内でも常にシンボル的な存在で、生徒からは人気があり、教師からはよく叱られていたが、結局は一番可愛がられていた。加えて彼らは問題を隠すことも上手いので、その裏で弱い立場の男や女を傷つけていることは誰にも気付かれない。
僕の中学校では、そんな奴らが毎年A組に割り振られていた。この男の容姿もどことなくA組のアイツに似ていた。

じっとりとした熱帯夜に重い物体を背負って歩いているので、体から汗が染み出してくる。

最初の内はソイツの拙い道案内で歩いていたが、段段と呂律が回らなくなってきたので、所持品から住所が分かるものを探した。服を弄っているとポケットに財布が入っていた。

新品のように綺麗で、そして悪趣味な形の財布だった。銀行のカードが数枚ほどと、折り目のない万札が何枚か入っているだけの簡素な内容だった。

キツい香水の匂いとカッコつけた財布、そして力尽きたように地面に寝ていた状況から推察すると、多分こいつは今日、何某かの見栄を張らなければいけない用事を済ませてきたのだろう。そして、こんな辺鄙な場所で独りでくたばっているのだから、その虚勢は実を結ばなかったのかもしれない。

汗を噴き出しながらなんとか男を運び続け、財布にあった保険証に書かれていた住所に到着した。高田馬場駅からかなり離れた場所にある小さなアパートだ。扉を開けて家に入り、男をどかっと玄関に下ろす。クタクタだった。僕はそのまま玄関に座り込んで、ペットボトルの水を飲んだ。


玄関からは中の様子を少しだけ見ることができた。部屋は小さめのワンルームで、ベッドがある。ドンキホーテで売っているような豹柄の毛布と、節操がない光量の照明。そして、手前の小さな白いテーブルには10個以上の携帯が葉脈の様に充電器に繋がれていた。男を一目見た時から、なんとなくそういった仕事をしている予感はあった。

早く立ち去った方がいいだろうと思い玄関に向かうと、男が震え出した。こんなに暑い日なのに、寒気がするらしい。せめてベッドには寝かせてやろうと、男の脇腹に手を入れ、もう少しだけ動かすことにした。

泥酔した男の顔は紅潮していて、全身は脱力し、スキニーは半分脱げかけている。その情けない様相は、男が今日取り繕いたかった姿とは程遠いものだろう。どれだけシュッとした服を着ていても、曲がっていないお札を財布に入れていても、虚栄を張らない男の姿はみんなこんなものである。僕もそうだ。

僕は特段、虚栄とは無縁の生活を送っている。ずっと昔からだ。格好をつけるということができない。小学校の時入っていたサッカークラブでは、真剣にやっているのに一向にボールを前に蹴れなかったし、好きな女の子の前で格好をつけようとしたら笑われた。それ以来、虚勢を張ることを諦めた。ダサい人生しか送れないし、それでいいと思っている。

大体、人間なんて本来無様で滑稽である。僕なんかは特にそんな人間なので、なんとか気がつくことができたわけだが、A組の奴らはそれに気が付かないで大人になってしまうことがままある。常に人の中心に居続け、他者の目によって評価され続けるため、自分の目で自分を見たことがないのだろう。と、ルサンチマン的上から目線で勝手に憤慨しながら男を運んだ。


男の両脇に手を入れ、ズルズルと引きずりながら部屋に入る。僕はそういえば、A組の友達の部屋に入ったことがない。学校では常に低いポジションのグループの中にいたので、A組的な遊びの誘いも受けたことがなかった。今まで無縁だったA組の部屋に初めて入る。
そこには、乱雑した酒類のビンや、品のない家具が並んでいた。予想通りだった。僕が今まで訪れた友達の家ではほぼほぼ、読んだのか読んでないのか不明な、とにかく自分が粋だと思う漫画や小説や本が置かれており、お互いに照れ隠しをしながらそれについて話す、というやり取りが通例だった。味気の無い部屋。というのが男の部屋の第一印象だった。

目を覚ましても会話が面倒臭いので、男に布団を被せて足早に立ち去ろうとすると、ふと部屋の隅に見慣れない家具があることに気がついた。


ピアノだった。


通常のサイズより一回りも二回りも小さかったので、ぱっと見では気が付かなったのだが、乱雑で粗暴な部屋に工夫して慎ましく置いている様な小さなピアノだった。手前の椅子にはクッションが置かれており、鍵盤は埃をかぶっていない。それは、この楽器がインテリア用ではく、日常的に演奏されていることを意味していた。そして、譜面台には楽譜が立てられていた。

それはJ-POPや誰もが知る有名な曲の楽譜ではなく、僕には見覚えのある楽譜だった。


小学一年生の頃、僕はピアノを習い始めた。
本当はすぐに流行りの曲や周りを驚かせられるような曲を練習したかったのだが、先生から「まずは基礎から」と言われ、退屈なクラシック曲の楽譜を渡された。僕は毎週のレッスンや家での地味な練習が嫌で嫌で、その楽譜のページは一向に進まなかった。とうとう引っ越しをするタイミングに乗じてピアノを辞めてしまい、それから全くピアノを触らなかった。
その男の家のピアノに立てかけられていたのは、僕が練習していた楽譜と同じ表紙をしていた。

僕はしばらくそのピアノを見つめていた。この大きさでは、あまり難しい曲は弾けないだろう。チカチカと飛ばし携帯の光の点滅が視界に入ってくる。

ふと、トイレの横の壁に目をやるとカレンダーがあった。青い空に飛行機や戦艦がカッコよく躍動しているイラストがプリントされていた。そのカレンダーはちゃんと今月のページになっていた。

僕は痕跡を残さないように飲み終わったペットボトルを拾って、汗で湿った靴を履き始めた。その男性はまだアホみたいな顔で寝ていた。

僕はこの部屋にある事物が、その男の本来のーみたいなことは口が裂けても言いたくない。だが、想像していた部屋とは全く違うものだったことは確かであった。


アパートを出て自分の家に帰る。少しだけ風が涼しい。
その男と僕は、もう二度と会うことはないだろう。

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