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ハンサムなコンドウさんの服には、いつも精子がついていた

大学生の頃、コンドウさんという先輩がいた。年は僕より2つ上で、ひょろりと高身長で肌が白く顔はつるんと嫌味のない美形であり、男から見れば涼しげでカッコよく、女から見れば独占欲が疼くような可愛らしい造形をしていた。そんな神木隆之介ライクな恵まれた容姿を持ちつつ、いつも切れっ端の様なシンプルな黒いセーターとボロボロのジーパンに便所草履を履いて人の話を小さな声でうんうんと聞き、稀に「モテたい」といった等身大の大学生みたいな自分の夢を恥ずかしそうに話す人だった。

そんなコンドウさんにはある重大な欠点があった。コンドウさんは、とんでもなく臭かった。

その臭いたるや本人の名誉のために詳細は省くが「コンドウの風下には絶対に立つな」と仲間内で忠告が回るほど、半端ではない激臭であった。お互いの欠点をそのまま伝える仲間内だったので本人もそのことは重重承知のはずなのだが、コンドウさんはその話題になってもいつも開き直った様な涼しげな顔をしており、神様から与えられた恵まれた容姿を帳消しにするハンデを、洗濯して風呂に入れば解決できるはずのハンデを、なぜかそのまま大切にキープしながらいつも綺麗な顔で遠くを見つめて佇んでいる人だった。

僕は当時そんなコンドウさんの異常なバランス感覚にグッときていた。モテたいという願いと、風呂に入らなければ不潔でモテないという矛盾をありのまま住まわせているコンドウさんに心酔し、よく後ろをついていっては構ってもらったりしていた。

ある日コンドウさんとライブハウスにバンドを観に行った帰りに、彼の家に泊まらせてもらえることになった。
そして彼の家に向かう電車の中で、事件は起きた。

今日観たライブの感想などを二人で話していると、コンドウさんが何やらさっきからチラチラと僕の頭の後ろ側を見ている。振り返るとそこにはわりと今風な女子高生が二人組で立っており、こちらを向きながら何かを話していた。目線の動き的に話題は僕たちのことの様だった。僕はコンドウさんの方へ振り向いて、可愛いすねみたいなことを言った。さらに、コンドウさんのこと気になってるんじゃないすかみたいなことも言った。直後に少し大きめのヨイショをしてしまったかなとも思ったりしたが、コンドウさんがそのくらいの美形であることは事実であるし、電車内が無風であったことも罪悪感の臭いを消し去ってくれた。
するとコンドウさんは少しはにかんだ顔をしながら、しかし真っ直ぐな口調で「あの子たちは俺を見てるんだよ」と言った。
言い忘れていたがコンドウさんは自分の容姿にとても自覚的で、それはナルシズムとはまた違う、とても冷静な類の自己陶酔だった。客観的に自分に酔っているのである。あまりにあっけらかんとしたコンドウさんの状況把握に、僕はまたもやグッときてしまっていた。しれっと「僕が女子高生に見られている可能性」をコンドウさんが全く排除して話をしていることなどどうでもよくなるくらいに、僕はコンドウさんに痺れ切っていた。

やっぱりコンドウさんは気持ちのいい人だなあなんて思っていると、ふと、コンドウさんが今日も着ている(故に悪臭の原因にもなっている)黒い切れっ端の様なセーターの胸の部分に、直径10cmほどの白い模様が付いていることに気がついた。
それなんですか?と僕が聞くと、コンドウさんは「これは精子だよ」と返してきた。

真顔だった。あまりにもコンドウさんがフラットに返してきたので、僕は自分がした質問を脳内で反芻しなければいけなかった。おさらいしてみると、僕は電車の中でコンドウさんの胸の部分についている白い模様の正体を聞いた。するとコンドウさんはまるで自分の服のデザインについて聞かれたかのように「これは精子だよ」と言った。数秒の時の静寂があった後、たしかに服と精子はどちらも身近で必要不可欠なモノだしあまりにもコンドウさんが堂堂としているので一瞬僕の戸惑いの方が異常な反応かのように思われた。
窓の外に目をやり、街に建っている無数のビルを見る。七月末に完了する予定の道路工事の看板、大きな楽器を背負って歩く吹奏楽部、長く伸びる銭湯の煙突。ていうかティッシュで拭かないんだ。そしてよくよく観察すれば女子高生達は怪訝そうな顔をしており、彼女達の会話の内容もなんとなく察しがついてきた頃、「電車内に精子をつけた服を着ている男がいるのはおかしい」と気が付いた。

コンドウさん精子を拭いた服を外に着てきたらだめですよ、と今後一生言うことのないであろう一節で先輩を注意するが、コンドウさんはどこ吹く風で僕を無視してそのガビガビな白い模様を隠そうともしない。あの女子高生、俺のことを見ているよ、とまだまだ自己陶酔の余韻に浸っている。さっきと台詞一緒なんだ。刻止まってんの?中央線の車体は次の駅に向かって加速を始めた。

コンドウさんはイケメンなのに常に汚い。目の前にある鍵を捻って開ければいつでも金銀が出てくる宝箱を前にして、あえて何もしないコンドウさんに僕は神秘的なものを感じていた。
単純にコンドウさんはブッ壊れていたのだ。恐らく彼は狂気的なシチュエーションを作り出しているのにも無自覚で、それでいてなお「モテたい」という男子大学生お決まりの願望を抱えている。なんでモテたいんだ、お前が。僕はますますコンドウさんの魅力に取り憑かれていった。鍵が何かをわかってない人間は中身の金貨の価値も人と違うのだろう。コンドウさんが口にしているモテたいという願望は響きだけピュアだが、その実異形の姿をして蠢く化け物かもしれない。その正体とは。

最寄駅に着いたらしい。阿佐ヶ谷だ。なんで阿佐ヶ谷に住もうと思ったんだろう。服に精子つけてるのに。
そして彼が住む家って一体どんな感じになっちゃってるんだ。そもそも本当に阿佐ヶ谷にあるのかも怪しい。ドキドキしてくる。期待と不安などという自分の心の中に生じる気持ちのレアリティの低さにガッカリしながら、僕はコンドウさんの後ろをついて歩いた。

もし別のサークルに入って普通の先輩と仲良くしていれば、今この夜道をあの女子高生達と仲良く歩いていたのかもしれない。一瞬そんな別世界も想像した。だが、想像できるくらいの世界ならばこちらの世界線の方が幾分楽しいと思った。人が一人もいない夜道では、この世にはコンドウさんと僕の二人だけであり、コンドウさんの胸の部分に押されてしまった気狂いの烙印は、無人の暗闇の中では変わった服の模様に見えた。やっぱりコンドウさんについてきてよかった。そう思った瞬間、とんでもない悪臭が鼻を突いた。しまった!風下だ!

いよいよコンドウさんの家に到着した。本当の惨劇は彼の家で起こるのであった。

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