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ヒモのパイセンはヒモ過ぎて訴えられていた話

ヒモという言葉の意味は曖昧だ。ほとんどの場合、蔑みの言葉として用いられるが、同時に天賦の才を意味することがある。
「あいつヒモの才能あるよな(笑)」「昔ヒモやってたことあって(笑)」意味の良悪が定まっていないから、その言葉を使う際には必ず失笑が伴う。

僕も時時「ヒモ気質」などと言われることがあるが、悪の意味なら否定したいし良の意味ならとんでもない。僕は自分程度の男なんて霞んでしまうくらいの「ヒモの大先輩」を見たことがある。その先輩を見たのは裁判所であった。

ヒモのパイセンは、ヒモ過ぎて訴えられていた。

珍しく午前に起きられたある日、僕は裁判傍聴に行くことにした。地下鉄に乗って霞ヶ関。少し歩くと裁判所。入り口で荷物チェックを受け、今日開かれる裁判の一覧表を見る。
僕がよく見るのは比較的軽い罪に問われている裁判だ。殺人や強盗など重い罪の公判もたまに見るが、内容がブッ飛び過ぎていて映画の様だし、傍聴席にいる堅気でない人に目をつけられるのも怖い。それに重い罪に問われている人は裁判所での佇まいが堂堂とし過ぎている。まるでここに来ることが自分の宿命であったと予知していた様な顔で太太しいのだ。それに比べ軽い罪に問われる被告人は初犯も多いからか「まさか自分がこんなところに」といった顔をしていてリアリティがあり、彼らの運命は何もかもをギリギリで生きている僕に「何かの拍子に明日は我が身」的な感覚を与えてくれるのである。

目当ての裁判の時間になったので、その部屋へ移動してドアを開ける。

裁判は既に始まっていたようだ。
静まり返っている傍聴席にはまばらな人人が真剣な表情で座っている。遅刻した僕はできるだけ音が出ないように裁判室のドアを閉め、ペコペコと頭を下げながら後方の席に座った。真面目な部屋に入る時の僕は大学時代からずっとこうで、てへぺろ入室の所作は体に染み込んでいる。

「男女間での軽度な金銭の盗難」
今回の裁判の内容である。要するに男が知り合いの女からお金を盗んじゃったらしい。殺人放火強盗傷害。重大犯罪が乱舞する裁判所の中でひっそりと行われていた裁判の被告人の席に、ヒモのパイセンは立たされていた。先輩の本名はアオキマサシ(仮名)。背丈は普通以上のはずなのだがそう見えないのは申し訳無さそうに丸まった肩の所為だろう。自省か落胆かは窺い知れないが、暗く顔を下に向けている。

事件の概要が検察から説明された。
ある日、自身が泊まっていたホテルの宿泊代が払えないことに困ったマサシは知人の女性を電話で呼び出した。ホテルに現れた女性と会話をした後、睡眠薬入りの酒を女性に飲ませて眠らせ、バッグからクレジットカードを奪いホテル代を払って出て行った。目を覚ました女性はマサシがいなくなっていることを不審に思い、バッグを調べるとカードがなくなっていることに気づき通報。マサシは逮捕された。

話の概要を聞いて僕が真っ先に思ったことは「なんでバレないと思ったの?」だった。通報確定、犯人確定、有罪確定。普通の人間ならこうなることは予測できたはずだ。余命が明日みたいな火の玉バーニングスタイルの犯行に多少戸惑っていると、周りの傍聴席の皆さんも同じことを思ったらしく皆不思議そうな顔をしていた。だが、僕達は一切声を出すことはできない。マサシは神妙な面持ちで下を向いている。

検察による事件の説明が始まった。

「アオキマサシは◯◯日◯◯時、『自身の生活を一度改めたい』との理由から自宅を出てホテルに宿泊しました」

マサシは生活に悩んでいた様である。そう、どんな犯罪者にも事情はあるのだ。量刑を決める際にはそういった情状も酌量すべきなのである。検察は続けた。

「そして、22時に女性のクレジットカードで宿泊費を精算しチェックアウト。その際の内訳は部屋の宿泊代と…




フルーツの盛り合わせなどのルームサービス代。」



裁判室全体に一瞬の静寂があった。


「マサシ、デザートを食べたんだな」
恐らく、傍聴人全員が同じ感想を抱いた。マサシは生活に悩んでおり、それを改善するべくホテルに泊まった(他人の金で)。そしてそのホテルでマサシはフルーツを食べた。メロンかあるいは葡萄、もしくは林檎。マサシは他人の金でフルーツまで食べたのである。僕はふとマサシの顔を見た。彼はまだ下を向いていた。フルーツを食べちゃったマサシは下を向いていた。

検察は男と女の出会いの説明を始めた。

「二人は保険のセールスを介して出会いました。保険会社に勤める女性はアオキマサシに自社の保険を紹介し、マサシはその保険に加入。それから二人はLINEのやり取りなどで交流を持つようになりました」

この事実は僕に別の側面の思慮を抱かせた。
もしかするとマサシも女性に騙されていたのではないか。女性は恋仲をちらつかせてマサシを利用した可能性がある。今回は被告人の席に立たされている彼も「男女の関係」という側面からは弱い立場だったのかもしれない。もしそうならば彼にも多少同情の余地はある。傍聴席の雰囲気がマサシの情状を酌量する流れに一瞬傾いた。

ところが、そんな僕達のお節介的同情を一瞬で消し去る事実が告げられる。

「なおアオキマサシは催促を無視し続け、加入以来一回も保険料を支払っていません」

デザートの下りあたりからあった違和感が、確信に変わった瞬間であった。「マサシ、めっちゃヤベー奴じゃね?」傍聴席全体が"モンスター"マサシの恐ろしさに気が付き始めたのである。

裁判とは厳粛に行わなければならない。そこには被害者がいて、罪を問われている被告がいる。粛然たる司法の場だ。そこに参加する我我は至って大真面目に傍聴すべきである。そんなこと、分かっている。分かっているのだが、どうしても、否が応にも、裁判の厳粛な雰囲気と、マサシの「ハイパー楽して生きてやろうスタイル」とのミスマッチが、なんとも言えない雰囲気を生み出してしまっている。

もう彼の一挙手一投足を見逃せない。大体検察の言い方にも悪意がある。僕はお笑いには明るくないが、喋りが振り?だかオチ?みたいな、そんな構成になっている気がする。

検察はマーシーと女性のデート内容に言及した。

「10月23日、二人はグッチのアウトレットに買い物に出かけています。誘ったのはアオキマサシの方からでした。LINEメッセージには『たまには僕からもプレゼントさせてよ』という会話が残っています」

マーシーの男らしい一面が現れた。ブランド品を女性にプレゼントするという彼の意外な行動に傍聴席の僕達はまたも吃驚した。アウトレットという妥協点はいかにも彼らしい可愛らしさであり「たまには僕からも」という言葉からはマーシーの日日のヒモ具合(キュートネス)が伝わってくる。

だが、直後の検察の台詞に僕達は再度驚かされる。

「会計の直前になりアオキマサシは『財布を忘れちゃった』と言い出し、結局代金は全て女性が払いました」

天才だ…。
マーシーは一貫している。気持ち良すぎるほど筋が通っている。彼は、とにかく金を出したくない。ホテル代も、フルーツも、保険料も、アウトレットのグッチも。一円たりとも払いたくないのだ。捕まろうが女に見限られようがとにかく、ビタ一文払わねぇスタイルを貫き通している。貫いてしまったがあまりこんな所にいる。

ヒモという存在はアンビバレンスだ。男らしさと可愛げ、だらしなさと打算、脆弱性と図太さ。本来相反するモノ同士の絶妙なバランスの上に張ったロープの上を命綱無しで歩くことができる人間だけが、ヒモとして存在することを(仕方なく)許される。そんな曲芸を披露しているマサシの姿が、勇ましいようで、滑稽なようで、どうにも我慢ならない。

傍聴席に張り詰めた空気は決壊寸前だった。ワンナイだったら宮迫がカメラから顔を背けて震えていたし、めちゃイケだったらあの銀色の四角の上に「!!」のテロップが出てきている。すべらない話ならば来賓の方々の表情がカメラで抜かれている瞬間だ。だが、悲しいかなここは厳粛な司法の場、裁判所なのである。「どんだけ金出したくないの?」僕は顔を伏せて自分の膝を思い切り抓った。


最後に、弁護人から救いの手が差し伸べられた。


「なぜ、睡眠薬を使ってまで女性から無理矢理カードを奪ってしてしまったのですか?」

これはチャンスだ。動機を話すことができる。
仕方のない事情、同情できる背景、相手側にも存在する原因、何でもいい。発言の機会がマーシーに与えられた。そして、今日初めて彼が口を開くその瞬間に、傍聴席全員が固唾を呑んだ。
マーシーはなぜ、知人女性からカードを奪ったのか?



「だって、言っても貸してくれないと思ったから…」



金色のブタが飛んできて、画面にハンコを押した気がした。


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