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稀有な黒糖「入野砂糖」ー高知県黒潮町④ 最終回

高知でサトウキビ?

黒潮町へ行く決心をしてまもない頃、偶然図書館で借りた雑誌―四国旅マガジン『Gaja』(2020年11月30日発行)のなかで「四国のさしすせそ」という章がありました。“さ”ー砂糖は、黒潮町での黒糖作り。「え?高知でサトウキビ?」

 

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 黒潮町での黒糖作りの始まりは江戸時代。伝統製法による黒糖は「入野砂糖」と呼ばれ、原料となるサトウキビの質がそのまま色や味に出るために、ごまかしがききません。品質の良さは、“土佐藩で一番”と言われていたといいます。
 工業化、沖縄などの黒糖、白砂糖や輸入品が主流になり、入野黒糖の生産は衰退。生産者も減少していきましたが、1980年代後半、入野砂糖の愛好家が集まり「入野砂糖研究会」が発足。昨年秋発行の高知新聞によれば24戸が会に所属。それぞれ本業を持ちながら、11月下旬ごろ、シーズンが来ると、深夜0時から製糖に励むのだそうです。

 黒潮町での黒糖づくりについてもっと知りたくなった私が連絡を取ったのは、無農薬でサトウキビを育てているという「上樫森」代表の田波憲二さんです。

 サトウキビから製糖するのは冬。7月現在はオフシーズンですが釜場を見学させてくださるとのこと。釜場があるという“黒潮町缶詰製作所”に向かいました。


質のいい黒糖ができる理由

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(田波さん)製糖期間は11月下旬から一か月半くらいの、一年に一度。寒くなって、でも寒くなりすぎる前。霜が降りない時期。寒くなりすぎるとサトウキビが枯れてしまうんです。でも寒いと糖度が上がるという…

―難しいバランスですね。

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(キビを絞るための機械) 

 はい。寒くなるけど、寒すぎる前。この時期が一番美味しい。それをこの機械で絞っていくんです。ステンレスで出来ているんですけど、導入したのはここが初めてなんです。昔は鉄の機械だった。鉄だと錆びやすい。この釜場が出来たのが10年前くらいで、僕がサトウキビを作り始めて7年目ですけども、それまでは山のなかにある掘っ立て小屋みたいなところで、もう少し原始的な機械を使って製糖していたようです。
 キビを収穫したら日をあまり置かずにここで絞るんです。あっ、香川だったら和三盆があるじゃないですか。

―そうなんですよね。でも「香川の特産品に和三盆がある」ということだけ。それしか知らない。塩以上に、”砂糖の作り方”って知らないなって思うんですよね。

 黒潮町もそうですよ。地元の人は作り方もあまり知らない。ここ(黒潮町缶詰製作所)で作っていること自体も知る人は少ないですから。

―砂糖も塩も、とっても身近なものなのに、どんな作り方をしているのかを全く知らない…

 うん、うん。すごいことをやっているのに。“近い”とそうなのかもしれないですよね。

―サトウキビ自体は大きな植物ですよね。

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 収穫時期になったら、3、4mになるんです。ただ、黒潮町は沖縄のものより小さい。沖縄は一年半ほど育てて、冬を越させる。こっちは霜が降りるけん。春に植えて11月に刈るというサイクル。生育期間が8か月間くらいなので、その分小さい。でも、寒さがあるので糖度が上がるから質はとてもいい。
 この間、宮古島(沖縄)の人がここを聞きつけて、「高知県に砂糖があるんだねぇ」っておじちゃんから電話がかかってきたんです。「全然知らなかったサー。ぜひ、黒糖を送って欲しい」って。送った後日、また電話がかかってきて「驚いたー。色も違うし、えぐみも全然ない」と言っていました。

―黒糖=沖縄、南のイメージですよね。それが四国でも、高知で?って驚きました。

 そうそう。作り方も全然違うし。沖縄の黒糖はほとんどが工業化されています。大量に収穫して大量につくる。あれだけ大規模だったら、機械を使わなければ製糖は無理でしょうね。

―田波さんは無農薬でサトウキビを育てておられるとのことですが、沖縄では農薬を使うのが通常なのでしょうか?

 沖縄は暑いから虫が凄いんです。それこそさっきお話した宮古島のおじちゃんが「宮古にも無農薬でサトウキビを作っている人がいるよ。でも虫がひどい。虫にやられてしまって細いのしか出来ない。必死になって収穫してる」って言っていました。

―となると大規模生産となると農薬も普通に…

 使っているでしょうね。

―サトウキビってがっちりした植物なので丈夫というか、農薬を使わなくても育つように感じますが、そうではなかった。

 黒潮町でも今までいなかったカメムシが3年前から急にサトウキビ畑に現れました。1、2年は「見たことがない虫がいるなぁ」って。けど一昨年、すごい害が出てしまった畑があったんです。収穫量がいつもの半分くらい。糖度も上がらない。それで他の人の畑では無農薬だったところに農薬を使い出して…

―実際、無農薬栽培は難しい…

 その人の気持ちは分かるんです。一年近く育てて来たものがおじゃんになるのって辛い。「しゃあない」のかなぁって…

循環させて、いい土、畑にしたい

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(開墾したり、遊び場をつくったり…家族で暮しを楽しんでおられる田波さん)

―田波さんの畑は被害はなかったんですか?

 他所で酷い害が出てしまった翌年は“賭け”でしたね。信じるしかないというか。結果、大丈夫でした。多少はやられたんですけど、そこまでは。今までいなかった虫は温暖化の影響なのか。
 収穫したサトウキビは絞りマシンに2,3本ほど入れて圧縮して、絞った液がここから出てくる。絞られたやつは“のしいか”みたいになって出てくるので、それをカッターで細かく裁断して、ベルトコンベアーでトラックへ載せます。搾りかすです。

―SNSの動画を拝見しました。その搾りかすを田波さんは畑に戻しているんですよね。

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 はい。みんな「肥えた畑で育てると美味しくない」って思っていて。収穫期に肥料分があると熟さないというか、肥満体になるというか。肥料がないと、糖分を蓄えようとして糖分が上がる。やせ地で育てる=砂地で育てるのがいいという考えがあるんですね。その考えで行くと、絞りかすのことを“ばがす”って言うんですけど“ばかすを戻して畑を肥やすと、美味しいものは出来ないぞ”というのが定説です。でも、僕は畑のなかで循環させたかったので、摂るのは汁だけ。それ以外は全部土に戻す。枯れ葉なども、みんな外で燃やすんですけど、僕は燃やさず土へ。そうしたものと土のなかの微生物によって健康な畑になる。そんな畑なら虫にも耐えられるんじゃないかって。いろんな環境の変化に耐えられるように育てばいいなぁと思うんです。

―はい。

 そして絞り汁をタンクに溜めて、ポンプアップされたものが、あちらにある1番、2番、3番釜へと行くんです。
絶対に違う生産者のものが混じらないようにしているんですよ。みんなこだわりがあるので、混じりたくない(笑)。

―みんなでこの釜場で製糖作業をするけれど、みんなそれぞれ“自分の黒糖”なんですね。

 そうなんです。そして、これが釜です。あと2つは修理中なんです。徳島に桶職人がいて修理依頼したものが戻ってきたんです。

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―年季入ってますねぇ…

 はい。製糖というのは、火をぼこぼこに沸かしてから一気に冷ます。使い方が激しくて。

―ちなみに“入野砂糖”以外にも、黒潮町での黒糖づくりはあるんですか?

 いえ。黒潮町のサトウキビ=入野砂糖ですね。入野地区という地名で、今は分かれてますけど、昔はもっと広範囲だったんです。本当にもう、方々(ほうぼう)で黒糖が作られていた。「うちの部落にもあったぞ」って。小さい部落でさえ、製糖所が一ヶ所はあって。昔はどこでも黒糖が作られていたようです。

―現在の生産者の数は…

 軒数でいったら、25、26軒かな。年配の人は辞めていかれて。

―みなさん兼業で?

 そうですね。稼働時期が限られているので。専業でやっているのは僕のところくらいかな。なかなか大変なんですよ。植えて収穫して加工して売るまで、全部基本、自分でやるので。
 組合があるので、買い取ってくれる分もあるんです。缶詰製作所も買い取ってくれる。でも、量的にいったらそれほどではないので、それ以外は自分で販売活路を見出していかなくてはならないんですね。

黒糖との再会 ものづくりの奥深さ

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―田波さんは千葉県ご出身でしたよね?

 僕が千葉で、嫁さんは東京です。(沖縄の)粟国島で3年ほど農家の手伝いを、サトウキビがほとんどなんですけど、をしていました。ただ、島というところに窮屈さを感じてしまい一度引き返しました。その後高知に遊びに来たらすごく良くて。住み始めて知ったんですよ、黒糖づくりのことは。
 キャンピングカーでいいところを探していたんですね。“黒潮町いいなぁ”と思ってうろうろしていたら、知り合った子が「泊まんなよ」って。泊まりながら住む家を探していました。

―そしたら偶然にも黒潮町でサトウキビが作られていた…

 そうそう。あるわーって(笑)。でも、来た当初は全然ここの黒糖が好きじゃなかったんですよ。味も違うし、黒糖っぽくなくて。“こんなの黒糖じゃないね”って入野黒糖には興味がなかった。

―それがどうして?

 黒潮町で農業の手伝いをしているうちに、「サトウキビの収穫、手伝ってよ」って言われたんです。手伝ったら「自分でやってみろ」って話になって。やりだしたら、めっちゃ面白い。

―どのへんに面白さを?

 微妙な差が現れるところですね。200キロのサトウキビで20キロの黒糖が出来る。1/10に濃縮される。ちっちゃいことは10倍になって出てくるということなんです。
 肥料のやり方、水はけ、収穫する長さ…キビは上に行くと糖度が低くなるんです。なので上の部分を入れてしまうと美味しくなくなる。そういった差が黒糖になって初めて出てくる。それが毎回面白いんです。

―沖縄ではその面白さは感じなかったのですか?

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 沖縄では栽培と収穫がメインでした。製糖工程はちょっと見るくらい。粟国でも“〇〇炊き”という製糖法もあって、それも美味しかったんですけど、黒潮町で実際に自分でやってみると、沖縄の場合、平釜でざっと炊いた感じ。一方、入野砂糖は、みんな趣味から始まったというか…。みんな好きでやっているんです。工業化、白砂糖に押されて一度途絶えてます。でも、「技術がもったいない」「懐かしい」と言って立ち上げてくれた先輩たちがいた。やってみたら“あの時の楽しさ”が湧き上がってきたんでしょうね。だからみんな、好きでやっているんですよ。趣味の流れ。とはいえ、みんな質を追及する。レベルが上がって、質も良くなりました。

―田波さんもその手応えを感じていらっしゃいますか?

 はい。みんな「良くなってる」って言ってくださいます。釜炊きも技術も蓄積されていく。それが面白いですね。自分らの考えでやってみて、味に反映されて。答えがない。真似したら終わり、じゃなくて「まだまだ」って。

―もう一組の若い生産者・秋吉さんご夫妻(イノタネアグリ)は後から移住されたんですよね?
 
 そうです。僕の2年後くらいかな。もともと知り合いだったんです。「憲ちゃん、サトウキビどう?」って。「面白いからやんなよー」って誘って。
 
―なるほど。田波さんは専業ですが、兼業が多いというのは…

 課題はそこなんです。売れなければ。さらに後継者が増えないといけない。産業として成り立たないと。「作ったら終わり」じゃないですからね。自分でアイデアを出して、売らなければならないですから。けっこうハードルが高い。最初の3年くらいはまともに売れない。

―田波さんは徐々に…?

 はい。最初の出だしはキツイ。僕らは越えられましたけど。

―2005年から黒潮町に住み始めて…実際どうですか?津波のこともありますが。

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 津波に対して意識はありますけど、暗くなるでもないし、移住者は増えてます。人気で家が見つからない。3.11から新しい流れもありました。感染症の影響もあって、また増えてくると思います。

―私は埼玉から香川に嫁いできた身。香川は大阪へも割と近い。ある意味、都会に近い。でも、高知はもう一山あって、さらに黒潮町は奥というか。ですけども、不便さなどは特に感じていないですか?

 東京に未練はなくて。千葉に戻ると早く黒潮町に戻りたくなるんですよ。めっちゃ過ごしやすいですね。

―そうですよね。田波さん、すごく生き生きしておられます。こうして話を伺っていると、実際、冬に来たい。製糖の様子を見てみたいです。

 ぜひ来てください。出来立ての黒糖は違いますよ。香りもとてもいいですから。

深夜に始まる製糖作業

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サトウキビのしぼり汁は、大きな3つの釜を経て焚きあげられていきます。

―(3つの釜が置かれる場所)また、すごい年季ですね…。

 毎年激しいんですよ、火が。ボロボロになるので、壊しては塗り直しが製糖前には必要です。
 一番釜、すまし桶、2番釜、3番釜という順番で焚き上げていきます。一番釜に入れて、沸騰してくると灰汁が出てきます。灰汁が沸き返す寸前に食用石灰を入れるんです。〇〇リットルにこれくらい、というように量は決まっていません。生産者によって汁の質が違うんですよ。汁の癖を見て、石灰の量が決まる。入れすぎても足りなくても美味しくない。入れては灰汁をすくって“澄み”具合を見ていく。「よし」ってところで石灰を止める。ここは加減が難しいところ。

―沖縄ではこの工程はしていなかったんですか?

 してないですね。沖縄はもっとざっとしていたと思います。もしかしたらPHメーターとかを使っているかもしれません。

―小さな規模だからこその工程というか?

 そうですね。僕らからしたら、汁に合わせて石灰を入れないと焚けません。その澄ました汁をすまし桶に入れる。それを30分から1時間くらい置いておくんです。いいサトウキビの汁だと15分くらいで綺麗になるんです。悪いやつだと1時間経っても、(灰汁が)沈まなくて、もわもわもわもわしてて。

―いつまでも沈まないとテンションが下がりますよね。

(石灰を入れる容器を指して)この容器の6、7割くらいで止まればいい。石灰を入れるのを止めるのを「はいがとまる」ってうんですけど、「とまらんねぇ」って、(石灰を)バカンて入れる(笑)。
で、澄ましたものを、釜を移してどんどん煮詰めていくんです。昔は薪だったんですけど、1番釜,2番釜はボイラーを使っています。

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(息子さんもシーズンになると製糖作業をお手伝い)

―めちゃくちゃ熱そう!!

冬でよかったなぁと思いますね。そしてここで混ぜながら煮詰めていくと「ボカ」が。

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※ボカ…しぼり汁を焚き上げていく過程で「ボカッ、ボカッ」と音を立てて釜のなかで気泡がはじけるのだそう。ここであげた蜜を「ボカ」といい、販売されています。
写真は田波さんの商品。「ボカ」は、かき氷やヨーグルトにかけて。そのボカをふんだんにナッツにまぶした「ボカナッツ」。手が止まらなくなる。双方とも、最高に美味しいです!!!

 もう少し煮詰めていくと、沸いていたものがおとなしくなる。仕上げに近づいていくと、焦げないぎりぎりのところまで温度を上げていくんです。最後の3番釜は松の薪を使います。

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―製糖作業は夜通しなんですよね。

 そうです。夜からやらないと終わらない。深夜0時に火をつけて、終わるのがお昼前。でもその前にサトウキビを絞ったりするので、30数時間経っているときもあります。いまは焚き手が少なくて、自分も入れて4人くらいかな。実質3人。そのなかで一か月ちょっとの期間をローテンションしていく。自分のキビは自分で絞りますから、その時は20時くらいから作業を始めます。

―すっごいハード…

 5キロくらい痩せますね。
 確かにもう少し人手が増えたら楽なんですけど、お年寄りの方々にとって夜通し作業は大変。今年、僕の知り合いが「やってみる」って言っているのでもう一人増えるかもしれないですね。
 大変だけど、面白いですよ。
 熱い釜で、「よし!砂糖になった」って瞬間に「冷ませー!」って一気に冷ますんです。その作業は上と下の連携で、釜の温度を下げていく。仕上げの、結晶させる作業はベテランの女性たちが担ってくれるんですが。釜の火はけっこう激しくて、昔は怒鳴りまくってたようです。

―ボイラーがなかった昔はすべて薪ですよね。すごい光景だったんでしょうね。

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 場所もこんな狭いところではなくて…薪の量も、今でさえけっこう使うので昔は半端なかったでしょうね。

―実際これは見たい~!!また来ます。

 製糖シーズンの来訪を約束し、お礼を告げると 「あ!ちょっと待って…」。
 田波さんから手渡された袋。その中にはボカと、ボカナッツが入っていました。

 実際に目の前にサトウキビはなくても、製糖のことを身振り手振りで分かりやすく説明してくださった田波さん。その姿は楽しそうで、かっこよくて。自身を“変わり者”と田波さんは表現していましたが、入野砂糖研究会の方々にとって田波さんは、頼もしい焚き手であり、伝統を絶やさずいてくれる大切な存在なのだろうと思います。

あとがきにかえて。

 私の車は、ガソリンがだいぶ減っていました。自宅まで約250キロ。香川へ戻るには補給しないと。
 田波さんに最寄りのガソリンスタンドを尋ねスタンドへ。道中、産直があったので好奇心で立ち寄ります。大好きなオカヒジキが売っていました。しかもたくさん入って100円!!レジでお会計を済ませていると、スタッフのおばちゃんが「コレみんな買うわねぇ~」。「美味しいんですよ!」と私。スーパーではまず入手できませんから。
 ガソリン満タン。最後の寄り道。道の駅でアイスを。少し傾き始めた、まぶしい日差しを浴びながらテラス席で頂きます。
 結局この日の「不安定な天候」「あちこちで雷雨」との天気予報は外れました。気づけば、安定した青空。太平洋ではサーフィンをしている人たちの姿も見えました。いつも穏やかな瀬戸内海を見ている私。今日は水平線が望める太平洋を好きになった日。「帰りたくないなぁ…」と思っていました。

ブルルルル…

 車を走らせ始めて間もなく、携帯に着信が。知らぬ番号…
 出てみると、午前中に取材させて頂いた黒潮町缶詰製作所の友永さんでした。
「今もう、町から離れていますか?」
「いえ、まだ近くです」
「あの…お土産を渡しそびれておりまして…」
 戻ります!!
 この日、三度の黒潮町缶詰製作所へ。
 頂いたのは、四万十産のうなぎ缶。
「軽く湯煎して食べてくださいね。丼ぶり3杯は行けますから。田波くんのこと、よく書いてやってくださいね」
 友永さんの、この気持ち…。私はもう「ありがとうございました!」が止まらない帰路でした。
 
 とびっきりの居心地の良さがある農家民宿「かじか」のお母さんとお父さん。「地域と自分との境目がなくなる」との言葉がとても印象的でした、黒潮町缶詰製作所の友永さん。自然を愛する土佐のあまみ屋の小島夫妻。そして上樫森の田波さん。遠かったけれど、お会いできて本当に嬉しかった。生き方に芯があって、とてもあたたかい人たち。美しい海と自然があるまち、黒潮町。

 私自身、これからも「ここ!」「この人!」という嗅覚を失わないようにしたい。「この人に会いたい」「行ってみたい」という感性を持ち続けたいと強く思った黒潮町滞在でした。

 また必ず皆さんに会いに行きます!
 黒潮町、大好きです。

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