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うた 宇宙(そら)のまにまに⑤

もぐら

オイラは 土にもぐった竜

竜は 天から地球に派遣された 管理者だ

オイラは 大地の世話係

この星の生き物の 命の土台を 任されて

毎日 地面の下で がんばってる

土が 命の養い親だと

そろそろ思い出してくれ 人の仔よ

アスファルトやコンクリートで

蓋されたら

オイラの仕事も 台無しだ

腐った土を蘇らせる、

オイラの役目を 忘れてくれるな

この名をくれた、その智慧を

そろそろ思い出してくれ 人の仔よ

お前たちと共に生きている

土の中にも在る、

豊かな生命のつながりを


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龍のことをボンヤリと考えていると、土の竜と書いてモグラだな、と連想が始まった。

モグラに関するわたくしの想い出たち。スルスルと芋蔓式に手繰り寄せると、うたが出来た。

かなり以前に、ドイツへエコメッセ(環境保護産業の見本市)を見に行ったことがある。そのイベントのイメージキャラクターが、モグラだった。なんだかモッサリと垢抜けなくて、なぜモグラ?とわたくしは訝しんだ。

エコメッセは、BUNDというドイツの環境団体が主催していた。

http://www.kanbun.org/2000before/1997/970522germany_france_NGO/970522germany_france_NGO.html

その団体の基本的な考えは、土の健康が生き物の健康に直結する、ということだった。豊かに肥えた土を作るためには、モグラはとても大事な生き物なのだと説明された。

モグラは害獣だと思い込んでいたわたくしには、その考えはとても意外であった。なにしろその頃の日本の畑では、モグラ避けのために、ペットボトルで作った風車がクルクルと回る光景が、あちこちで見られていたからだ。風車をつけた棒を畑の中にいくつも挿して、風車が回る振動が地中に響くと、それを嫌がるモグラが出ていく仕組みだと、聞いていた。

田畑に囲まれて育ったわたくしの思い出の中でも、害獣のモグラがいた。

小学校低学年の頃、刈り取り後の田んぼの畦を祖母について歩いていると、ポコッと開いた直径3センチくらいの穴を見つけた。祖母によると、これはモグラが作った穴で、こういうふうに穴を開けられると、田んぼに水が溜まりにくくなって困るそうだ。

それでわたくしは、祖母の為に穴の奥の悪いモグラを捕まえようと、田んぼで遊ぶついでに、時々見つけた穴を掘り進めた。結局、一度もモグラを見つけることはできず、今考えると、モグラよりもわたくしが、祖母の田んぼの畦をダメにしていたと、笑えてくる。

このように、モグラは害獣と決め付けられているからこそ、ゲーセンでも叩かれていいキャラクターにされているのかも知れない。ナルホド見た目のかわいいウサギやリスを叩くのは、どうにも気が引ける。モグラのイメージはやはり良くないのだ。モグラ叩きという言葉もあるのだし。

ところが、わたくしたちのモグラに対する認識には、いろいろな間違いがあることがわかってきた。多摩動物公園のモグラ先輩から、偏見への反撃レクチャーが、あることを知った。

https://www.fnn.jp/articles/-/23436?display=full

モグラ先輩の立場に立てば、そのとおりです、と大変申し訳なく思い、反省しきりだ。

しかも、ドイツの環境団体の認識どおり、モグラはとても大切な土の環境保全動物だった。

土の健康状態が良くないので、それを修復するかのようにモグラが活動していると理解すれば、感謝しこそすれ、悪役扱いは間違いなのだった。モグラ側にすれば追い払われて本来の天職を全うできず、不本意に違いない。

よく考えれば、地球上の、命有るもののなかに、無駄なものや要らないものなど一つもないのは当然のことだった。軽々に駆除と決めずに、何故そのような事象が起こるのかとアプローチするのが、本当の対応にたどり着ける途だ。

それはモグラだけではなく、わたくしたち人間一人ひとりについてもそうなのだ。

誰かの、お金の利益の得になるかならないかで、人の値打ちが有る無しなどと決められるという、近視眼的なモノサシを合理的と呼ぶ価値観がまかり通る。人の尊厳は、そんなものとは全く次元が異なることがらなのに。一人ひとり、誰もが必要とされている。それは宇宙からの要請だ。

妙に歪な考えに嵌りすぎて、本質から遠ざかり、自己否定に苦しんでしまうことはよくあるのかもしれない。が、それは本当のことではない。

モグラは、潜るからなのか、モグリュウから転じたようなオヤジギャグな名前をつけられても、一向に意に介せず、土の竜として毎日せっせと土壌の世話を続け、精一杯生きている。

モグラ先輩に見習って、おかしな偏見に煩わされず、わたくしも自分を卑下することも、驕ることもせず、自分の役割を淡々と果たしていこうと改めて思い直す。

見た目や、目先の経済的な基準ではなく、本質を見つめて生きること。モグラにも学ぶことができる、生きる意味だった。土の竜、有り難し。

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