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ィイ・ヤシロ・チvol.63 天狗の御使い旅その2 富士山②

最初の参拝から神様ついてるモードの巡拝旅の二社目は、すぐ近くにある富知神社

わたくしはかねてから、なんとなく富士山(フジサン)と呼ばれているあの素晴らしい御山は、別の名前があったのではないか?と妄想していた。つとに聞くには、「アサマヤマは縄文語の火山」であるとか。アサマが漢字に転換されて浅間、それをセンゲンと読むようになった。センゲンは、泉源とも通じる。富士山の湧水はまことに素晴らしいので、掛詞の妙も感じる。

が、2社目のこの掲示板をみると、先の妄想もそれほど突拍子もないわけではないように感じてしまう。↓ もしかすると「フクチヤマ」だったかも。そういえば、関西に福知山という場所に元伊勢もあったなと思い出す。暗号風に「フ」タツの「ク」のククノチ(木の神様)ヤマが転じたあと、奈良時代以降の権力者藤原氏の「フジ」に変わったり?と更に想像がたくましくなっていく。

さて、わたくしたちの到着は、ちょうど氏子の方々の集いが終わったところだった。時刻も正午。富士山のメロディーが時報として流れてきた

ご神木の桜も満開

満開の見事な桜の花とタイミングの良いBGMに感心しながら、鳥居をくぐり、差し込んできた日光を見上げた。すると、其処に日輪が広がっているのを認めて更に驚くわたくし。

天空にもうっすらピンクのお花が満開

境内の奥には、赤いお屋根の拝殿があった。その左奥には御開帳されている三峯神社。西日本ではお見掛けしない神様にご挨拶出来る滅多とない光栄な機会となる。

こうして二社目も喜ばしい参拝を済ませて、バスでしばらく移動する。お次の三社目は、村山浅間神社。此処では色とりどりの何種類もの桜の花が咲き、様々な大樹が天に向かって枝葉を伸ばし、大地にどっしりと根付く、まさに生命育むイヤシロチである。心身がすこやかに整ってくるような気持ちよい空間。この社から富士山登山の道「村山口」が始まる。なので、富士講信者が禊などの準備を整える出発地の役割を持つ場所でもある。

色とりどりの桜花のお出迎え
拝殿はシンプルな神仏習合を思わせる造り
巨木の迫力を周囲に広げる大銀杏

拝殿の左手にある、大木の参道の先には地域の鎮守社があった。

通りすがりの男の子が「ひふみよい」と数えながら階段を登るのが印象に残った
高根とは、高嶺か?しめ縄も龍神の気配醸し

その後、下に戻って隣接のお寺でボランティアガイドの方から、内部に掲示のパネルに沿った行事や歴史のお話を伺った。常駐ではないようで、まったくもって、巡り合わせに恵まれた旅である。いよいよ上機嫌の一行は、次なる社を目指す。

そして、4社目はわたくしの本日の目的である、山宮浅間神社。古代祭祀の聖処である。

http://www.city.fujinomiya.lg.jp/sp/fujisan/llti2b0000001lot-att/visuf80000011mj2.pdf

鳥居の先の木立の中を進んでいく
この神門をくぐって神域に
潜って振り返ると、結界が映り込んだように

神門の先は御神気満ちる聖域だった。高い木々とその根元に広がる白い花の草むらに挟まれた緩やかな石段を登っていくと、神様のお山に向き合える場所に辿り着く。

足元には可愛らしいニリンソウ

此処に至ってまたもや添乗の方々が驚いて「山宮でこんなにくっきりと富士山を見たことはなかった。初めてです。」とおっしゃる。本当に旅運が良い一行である。

社を建てても滅失するので 依り代の木々を囲む場所が在るだけ
禁足の祀り場

その光景は、宗像大社の高宮祭場を思い出させた。此処ではその先に富士山が在る。この日はくっきりとその姿を現し、わたくしたちは、文字通り遥拝することが叶ったのである。太古の昔も、人の仔は同じような心持でお山を望んでいたのだろう。

山頂もしっかりと拝見

こうして、めでたく個人的な本日の目的は達成となり、心身から力みが解けたようになった。ツアーの行程はまだ数か所あるが、いったんここで一区切りティータイムを挟んで、夕刻の水の聖処の記事、その3へつづく。

桜は400余りも種類があるとか

最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。


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