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うた 宇宙(そら)のまにまに①

帰途の電車から空に架かる虹を見た

それは 車窓を額縁にした 儚い絵画

けれども 同じ車両の誰も気づかない

スマホの中の世界に心を集める人

疲れたように目をつむる人

友人とのおしゃべりに夢中になる人

「虹がきれいだよ。」

そう知らせたいけれど

行先に向かって進む電車に運ばれながら

瞬きのような光景と

ポッと浮かれる 自分の心の様を

黙して愉しむのだ

もし この小さな発見を共に愉しむ人が 

傍らに居てくれるなら

更に 嬉しさは膨らむであろうと

少し淋しく想像しながら

徐々に融け去る虹を 置き去りにして

只管前進を続ける電車に 運ばれて

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たまたま同じ電車に乗り合わせるように、人は同じ時代、同じ国に共に所属する。けれど、その中で一人ひとりはそれぞれの世界に没頭しているのだ。勿論わたくしも。

何かしらささやかな歓びを見つけた時、共有できる誰かが傍にいるのは幸いだ。ひとときの小さな共有。それは互いを縛ることなく、常識という名の気遣いやエチケットの要らない軽さがいい。たまたま居合わせた全員を、何かしらの方向に向かわせたり、同じ色にすることなく、取るに足らない小さな発見の共有を愉しむくらいで、空気を読むことなどを強いたりもせず、皆のそのままの在り方でいられることはとても大事なことなのだ。

それでも、否応なくある目的地に運ばれていく不穏さも、人間が集団で生きる存在であるために、無くすことはできない。今、何となくこの社会の大半の人を何処かへ誘導しようとするハンメルンの笛の音が聞こえるような、少しそんな気分になっている、わたくしである。

そんなことをつらつらと思っているときに、たまたま電車から観えた大きな虹は、雨上がりの晴れ晴れしさと、なんとかなるという希望の報せのイメージをもたらしてくれた。

そうだ、この電車の行き先が わたくしにどうにも合わないと思うのなら、最悪 途中下車だって自分に選択を許されているのだ。

人にはどんな時にも自由があるのだ、

そうフランクルは著した。彼の著書を思い出し、また読んでみようと思った。https://honto.jp/netstore/pd-book_01469674.html

虹を見かけて、降ってきたうたが、読むべき本を思い出させてくれる。瑞祥である。


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