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うた 宇宙(そら)のまにまに ③

時間のからくり


動画のように

リアルの時間は 操作できない

当たり前のことなのに

何か心に引っかかる 夜更け

そうだ、

もしも 巻き戻し 早送り リピートと

「前に進まない人間」によって

弄くりまわされれば

たちまち

時間は ズタズタに 引き裂かれ、

人は「進まない時間の檻」に囚われてしまうのだ

やり直しも、端折りもできず

もちろん 一時停止もない

有無をも言わせず 流れていく

リアルの時間

それは恩賜だった

過去を悔やみ、未来を憂うことに

かかずらえば

今を生きるのは苦しいばかり

生きている者にとって

過去は思い出、未来は希望

そして 今は賜りものなのだ

それは 時の神が周到に用意した

「時間のからくり」なのだった 

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動画を楽しむ時、何気なく早送りや巻き戻しの操作を行っていて、わたくしは、ハタ、と気づいたのだった。

区切られ閉じ込められた時間は、再現性を持つことができるのか、と。

気に入ったドラマを何度も繰り返して見るのは楽しいのかもしれないけれど、確実にわたくしのリアルの時間は、そこに費やされてしまう。

もしも、現実時間にも同様に再現性が設定可能になれば、たちまち破綻が生じるだろう。それは、とてもおそろしいことと思えて、震えた。

タイムトラベルは、SFの不動の人気ジャンルだ。マッドな科学者が機械を発明し、主人公が過去や未来にひとっ飛びして、歴史に改変を加えるお話。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」なんて楽しいヒット映画もあった。

ただ、シニカルに見れば、時間旅行は、今に満足できない人間の夢想かもしれない。

実際、今はいずれ過去となり、未来は、この瞬間にも今となる。今は、アノ過去が失敗に思えても、ずっと先の未来では、アレがあったから良かったと思う可能性を否めはしない。結果良しとする為の未来を拓くのが、今を生きる人間にしか出来ないことなのだ。

逆に、「アノ時〜シタラ、〜スレバ」といつまでも引きずり、後ろ向きで歩くふうでいくならば、人生は余計に躓いたり、ぶつかったり、転びやすくなると予想される。

要はスパンの問題も含み、人間万事塞翁が馬なのだ。起こってしまった過去は変えられず、これから起こることは分からない。人間は神ならぬ身だから。あらゆる可能性の複雑系の中で今を右往左往するのが、人生だとわたくしは理解している。これも半世紀ほど生きてこられたからこその、サッパリとした諦念だ。

たとえ「時間のからくり」にただ縛られ、翻弄されるだけのように見えたとしても、実は人間は一方で時間に大いに救われていることもある。時間稼ぎとか、「ときぐすり」という言葉があるように。

たまたま、「ときぐすり」についてのとても明快な解説文を見つけた。なるほど、仏教由来の言葉であったか。

https://www.kokoro-odayaka.jp/f-post/19281/

そして、わたくしの好きな作家、畠中恵さんが「ときぐすり」という温かなお話を書かれてインタビューに答えておられたことも知れた。こうなると、つくづく時間が持つ癒やしの力を侮れなくなる。

https://books.bunshun.jp/articles/-/1100

最悪に辛い出来事を身のうちで何度も反芻して辛さを更新するよりも、なだらかな忘却に心身を委ねること。それが優しく作用するためには、時の流れは不可欠の仕組みなのだ。それに人の温かみが加われば、時間の経過がもたらす治癒効果は大きく発動する。

鎌倉時代に都のあらゆる天変地異を目にした鴨長明も、方丈記の冒頭を、自明の理から始めている。無常感をモノにし、明解に表現した人物は、「うたかた」に擬えた。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000196/files/975_15935.html

どれほどの悲惨な出来事があったとしても、またその状況も時の流れに沿って変化し続ける。人の心に様々な哀しみや喪失感も与えながら、同時に大きな救いも確りと用意されている。そうして、人間の生は深くなっていく。

時間のからくりは、人を癒やし、慰め、生きることへの学びを与える為にあるのだ。儚さや過ぎゆく時間が、真の魂の「再生と成長」を内包する変化を惹起し、人の仔の命を煌かせるから。

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