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日韓ハーフの娘のハナシ 〜ディア、マイベストフレンド〜

私の娘は日韓ハーフ。
パパが韓国人で、ママが日本人。
生まれは名古屋で、育ちはソウル。

2022年に日本の小学校に1年通った以外は、ずっとソウルの教育機関にお世話になってきた。

最近は娘のような日本人と外国人の間に生まれた子供を、「ハーフ」ではなく、「ダブル」といったりするらしい。気にする人もいるけれど、母親の私には、ハーフでもダブルでもどちらでもいい。実際のところ、娘は半分でも2倍でもなくワン。この世に1人しかいない存在だ。

やっぱり、ハーフという呼び名にも、ダブルという呼び名にも違和感を感じている。でもだからと言って、誰かに言われて何かを感じるわけではないし、それが彼女を定義する上で、便利な言葉なんだということもよく知っている。

今月、そんな娘が8歳になった。子供が生まれてからは、子供の誕生日が自分の誕生日よりもずっと特別になった。

8年。本当にあっという間に過ぎた。子供は気づいたら成長するし、一生過去の姿には戻ってはくれない。

そばにいて一緒に暮らせる時間は、あと何年なんだろう。私の子だから、早いうちにどこかにいってしまうだろう。娘と過ごす日々のカウントダウンはもう始まっている。

この日を記念して、今日はそんな娘の話をしてみたいと思いました。

国籍や名前はダブル

娘は日本と韓国の国籍を持っている。パスポートも2つ。

苗字も2つある。
日本ではママの苗字を、韓国ではパパの苗字を使っている。

名前は日韓共通で使える名前を選んだ。読みは同じ。だけど、漢字をどうしてもつけたいという義理の両親の希望もあり、日韓で違う漢字を使うことにした。だからちょっとややこしい。

国籍も2つ、名前も2つ。

だけど、1人。たった1人の、私の何よりも大切な存在。

話すことばもダブル

娘は当然のように日本語と韓国語をうまく扱う。当たり前のようなのかもしれないけれど、母親がネイティブだとしても、その土地の言葉以外の言葉を使えるようになるのは、そんなに簡単ではない。

だから、ソウル育ちの彼女に対して、日本語を習得させることにはそれなりの熱量を注いできた。(今思うと頑張りすぎてた気もするくらい…)私の努力のおかげというよりは、周りの環境のおかげで、彼女は現時点では立派なバイリンガルに育ってくれた。

もちろんこの先どうなるかはわからない。日本語を失うかもしれないし、韓国語を失うかもしれない。けれど、彼女と日本語で会話ができることを、私はとても嬉しく思っている。

「ママの韓国語は強さが足りない。」
「その言葉は韓国語ではそう訳さないよ。」

いつもそうダメ出ししてくる。

バイリンガルの脳は不思議だ。2つの言葉のニュアンスを直訳ではなく、雰囲気でしっかり理解している。私は英語と韓国語を外国語としてしか習っていない。だから、外国語を使うときは、どうしても日本語らしさが残ってしまったりする。

きっと説明できない思考回路が彼女の脳内では繰り広げられているのだろうな。この先、彼女とどんな話ができるのか、母である私はとても楽しみに思っている。

趣味はナンパ

長身で、細身で、声が大きくて、目立つ。
ちょっと離れていても、私は彼女を見つけられる自信がある。

歳の離れた妹が生まれるまで、長らく一人っ子だった彼女は、とにかくみんなに可愛がられて育った。人懐っこくて、時々失礼で、人気者。

私は渡韓して割とすぐ彼女を授かって、韓国で子育てをすることになったので、とにかく孤独だった。夫は出張も多く、彼女と2人きりで過ごす日々も多かった。私には、彼女が全てだった。

一人っ子で、母にも知り合いが少なかったからか、つまらなかったんだろう。いつも遊び相手を欲していた。

毎日みんなにあげられるように、お菓子を大量に準備して公園に乗り込む。お菓子さえあれば、初対面の人の心を開けると思っていたらしい。

公園に行くと、
「ミョッサリヤ?(君、何歳?)」
と知らない子に声をかける。

「ウリ、チングハジャ(友達になろう)」
これが彼女の合言葉。
これだけで、もう友達になれる。子供の世界は素晴らしい。

朝公園に出かけたのに、次々と友達を作って、家に帰る頃には日が暮れていることも多かった。気づいたら私の携帯の連絡帳は彼女の友達のオンマ(ママ)たちでいっぱいになった。

私は海外生活でだいぶ鍛えられたけれど、もともと引っ込み思案で、人見知り。知らない人に声をかけるのはそれなりに勇気が必要だ。

娘はそんな私の、誰よりも心強い韓国生活のバディ。

ありがとう。あなたのおかげで、私の韓国生活も楽しいものになったよ。(ときどき知らない友達のママから話しかけられて、誰だかわからず、話を合わせるのに困っているけどね)

涙のワケはさまざま。感受性がとても豊か

娘はよく泣く。
感動する映画を見たら、泣く。
友達が転んだら泣く。
友達とのお別れが寂しくて(次の日会うのに)、泣く。
勝負に負けたら悔しくて、泣く。

涙の数だけ強くなれる?
それにしては多すぎる。

しかし、8歳でそこまでの感情を感じることができることに驚く。その感受性が生きているからか、絵を描くことや、ダンスが大好きで、自分なりの世界観を持っている。

この感性をつぶさないように、ずっと大切にしてあげたい。

そんな娘のこれからのこと

娘はソウル育ちだけど、日本が大好き。
出会ってきた人たちのおかげで、娘は自分の中にある「日本」の部分を誇りに思っているし、アイデンティティとして感じている。

でも、これから韓国の学校に通うことで、その気持ちが揺るがされないだろうか。自分の持っている日本の部分を否定したくならないだろうか。ときどきとても不安になる。

どんなことがあっても、うまく乗り越えて、今のまま、明るくて、感性豊かで、人気者の娘のままでいてほしいと願うばかりだ。

彼女はもう一つ大きな選択をしなければいけない時が来る。現行の日本の国籍法のままだと、20歳までには国籍を選択しなければならない。

国籍を選ぶこと。そんな難題を彼女に与えてしまったこと、とても申し訳なく思う。選択肢があることは、時に人を傷つける。

欲を言えば、選ばなくてもいい道を用意してあげられたらと思う。日本の国籍法が娘が成人するまでに、変わってほしい。(ちなみに韓国の国籍法では二重国籍を認めている)

彼女が健やかに、豊かに、自分の人生をしっかり選択して、上手に切り拓いていける道筋をどう用意してあげたらいいのか、ときどきとても悩んでしまう。

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