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脳内の瓦礫を処理するということ

これからtwitterには上げませんが、noteにいっぱい書いていこうと思いました。なぜかはわかりませんが、僕は文章で考えをまとめるのが好きなようです。自分の思考整理のつもりで、バンバン上げていきます


脳内に瓦礫を積み上げている人が、多数存在する

情報社会と呼ばれるこの世界で、いろんな情報を人間は目にしている。流れてくる広告もそう、目に映るものほとんどが情報となった。このnoteを開いてくれたあなたもきっと、このnoteから情報を取ろうと思って開いているに違いない。

それは別に悪いことではない。知的欲求のままにページを開き、知的欲求のままにそれを見切る。とてもいいことだと思います。しかし、現代社会は、その情報が溢れすぎてしまっている。頭の中に入れなくてもいいもの、なくてもいいものも大量に入ってしまっている。これを僕は瓦礫とよぶ。

瓦礫は、本来は何か意味をなすものだ。家だったり、何かの部品だったり。しかし、意味を成さなくなった途端、価値が減少する。写真の瓦礫たちもそうだ。なんなら処分するのにもお金がかかったりする。ただの負債だ。この負債を人間は背負って生きているということだ。つまり頭の中にいろんな負債を抱えている。

もしかしたら、このnote自体も、これを読んでくれている人にとって負債の可能性さえある。それはとても悲しいことだが、事実、なんの意味や役割も持たないこの文章を読んだって、正直意味がない。

でもその無意味性にどこか哀愁があり、儚さがあり、驚きがある。それがエンターテイメントだと僕は思う。


脳内の瓦礫を処理する方法

こんなものいろんなことを調べれば解決策がちゃんと出てきそうであるが、そもそも瓦礫を溜めてしまう人はその解決策に行くまでに他の瓦礫がどんどん挟まってきて、そこまで辿り着けない。辿り着けても断捨離だ。で、大体そういう人たちは断捨離できない。断捨離してもリバウンドする。そういうものなのだ。

だから、瓦礫を保有している人は、その瓦礫をどういう風に使うかを決める必要がある。瓦礫も使う用途があれば、価値を生み出すことができる。世の中切り取り方次第ですね。瓦礫はきっと捨てましょう!みたいなことになるんですが、捨てる前にちょっと待ってください。


それ、ジモティーに出しませんか?


一体なんの話だ。。となってる人の方が多いと思いますので、もう少しちゃんと説明しますと、自分のいらないものを誰かに出して、それを受け取ってもらって、逆に自分が欲しいものをもらいましょう。そういうのが結構大事。捨てて整理するのではなく、せっかく頭の中にあるなら負債で終わらせずに、負債を誰かと交渉して、利益にしましょうという話です。それができると結果的に、整理ができるようになります。

瓦礫は瓦礫以外のものと交換する

こうすることで、無駄なく新しい整理されたものがやってきます。で、これ以上欲しいものがなくなった時にエグジットすればいいのです。そうやってどんどん脳内の瓦礫を無くしていって、すっきりとした部屋にする。そうするだけで、記憶の整理のされ方もよくなる市、人生レベルで効率が上がります。

考えるだけでも、今世が奪われ続けていると思ってみましょう。そんな瓦礫に人生を奪われていても仕方ありません。瓦礫はちゃっちゃと精算して、次のモノづくりを始めていきましょう。





情報という瓦礫は、いつでも人生を蝕んできます。耐え凌ぎましょう。。。



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