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余命を決めるという生き方のススメ

以前のnoteの反響がよかったので、ちょっと続きを書こうかななんて思いまして、性に合わないんですが、ススメ、なんてものを書いてみようかなとまた携帯を手に取りました。

改めて、こんにちは、柊渚(ひいらぎなぎさ)と申します。なぎさんと呼んでください。

僕には、余命がありました。2022/12/1 が余命最後の日でした。その日は結構あっけなく訪れ、あっけなく終わっていきました。仮に一人の死があったとしても、世界は回り続けるようです。

余命を決めるという生き方

とはいっても、本当に余命がきて命が尽きるわけではありません。一部の人には少し不快な生き方かもしれませんが、自分で余命を決めるという生き方をしようと、22歳位のときに決めました。

きっかけは間近で死を体験したことです。2人の死を間近で体験し、死に対しての美意識が生まれました。もし自分の命に終わりがなかったら、あなたは「生きたい」と思うだろうか。

少なくとも、僕は思わない。命というものをゾンザイに扱い、生きるということを舐めるだろう。なぜなら死なないから。やはり、人は終わりがあることによって、生きがいや生き方を考えたりして「生」に近づいていく。

生に近づくのは、死を意識するから、ということに気づいたとき、自分はハッとしたのを覚えています。なににハッとしたかはわかりません。けど、ハッとしました。

なぜ高校生活を楽しもうとするか、なぜ大学生活を楽しもうとするか、なぜ、目標を見失ってしまう人が多いのか、全てがそこで解決されました。

人が自我を保って行き続けられるのは、なにかが始まり、終わりがあり、またなにかが始まるから。でないと自我は保てないみたいです。弱い生き物です。

だから僕は自分が自分が自分であるために、自分という命に生を宿すために、「余命」というものを設定して生きています。


最後の日の話

最後の日、僕は曽爾高原に行きました。

曽爾高原ななぎさくん


感動をしました。もしここで、本当に最後の日を迎えたら。もしここで、誰にも見つからなかったら。もしここで、命が尽きてしまったら


僕は後悔するだろう


そう、本気で思えました。後悔先に立たずという言葉はありますが、実はそんなこと、わかっていました。25歳までの自分は別に何もできていません。世界の形も変えていません。運命のその先へも行けませんでした。

そして、自分自身が存在したという証明が僕にはまだ出来ていない。それを強く思いました。もし命が失われたとしても生き続ける、まるで自分のような存在がないと、安心して死ねない と本気で思いました。

このまま死ぬことは、僕自身の25年の人生を真っ向から否定することになる。だからこそ、自分自身の存在の正当化をするために、なにかを残そうと、決めました。どんな形になるかはわかりません。


でも、noteを始めたのは、そーゆーところから来ています。承認欲求というよりは、「我ハココニアリ」的な感じで。

なので、僕は実はまた余命が5年です。どう思うかは人次第なので、別にいいですが、25〜30歳の僕がこの世の中に存在しているんだということを、今世はもっと強く主張してみようと思います。

そして、誰かが僕を見つけたときに、

なんかおもろいやついんじゃん

そう思ってくれることを願って、世界の隅っこで自分を自分に叫んでみようと思います。なのでこのnoteは自分の心に叫ぶためのものです。その余白に、誰かがいたら嬉しいです。

僕の余命5年間の切り取りを、今後も楽しんでください。

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