[ネタバレあり]これはきっと宮崎駿との別れであり、宮﨑駿からの挑戦状だ。 #君たちはどう生きるか

普段はこんなnoteなんて書いたりしないのですが、なぜか僕はこの映画に突き動かされてしまったので、使命感に駆られてこのnoteを書いています。別に自分が書くことによって宮﨑駿さんが勇気づけられるとかはないのですが、何かやはり自分の中で残しておきたいものがありました。

前提として

初めましての人もいますので、自己紹がてら。僕は25歳の誕生日の日に名前を変えました。名前を変えたのは過去との決別をするため。過去の自分を殺すため。柊渚という新しい命を産み落とすため。そうすることで、自分がどうなるかを人体実験してみたかった。結果とても良いです。これ以上は他のnoteを参照してください。笑



ーーーーーネタバレありーーーーー

(考察サイトとかは見てない純粋な僕の感想として読んでみてください。)

この作品を通じて感じたのは、宮﨑駿が過去と決別する覚悟をもってこの作品を作ったことだ。度重なる過去作品を思い出させる描写が僕の目に飛び込んできた。

千と千尋の神隠し、ルパン三世、ハウルの動く城、天空の城ラピュタ、崖の上のポニョ、紅の豚、猫の恩返し、魔女の宅急便、、まるで夢を見ているかのようで、過去の走馬灯を体験しているかのようだった。複雑に混ざり合う描写たちが、僕の記憶をえぐる。

ファンタジーの裏に隠れた、宮﨑駿がこれまで描いてきた作品を旅している、そんな感覚に陥った。

あの塔自体が、宮崎駿だったのだと感じさせられた。もう宮崎駿はいない。でも人の心には微かに残り続ける。世代が変わっても語り継がれる歴史になる。そして、そこに立つのは宮﨑駿だ。昔は塔として、モニュメントとして、存在していたがもっと直接的に世界に関わり合っていくという決意を最後のシーンから感じた。

このシーンが僕の目に飛び込んできたのは、僕の誕生日と重なったからだ。曽爾高原で迎えた前世の最終日、全ての記憶を回想し、その時一番大切に思っていた人とそこに行き、人生に終わりを告げた。その時の瞬間と酷似していた。

そして徐々に薄れていく記憶。もう前の名前で呼んでくれる人も少なくなってきた。僕の周りは『なぎさん』と呼んでくれる。新たな人間が、産み落とされている証拠だ。自分という存在を作り出すためにさまざまな犠牲が伴っている。塔を保つために犠牲を生んでいたように。

ということで、シーンごとに振り返っていく。


なぜ戦争で始まったのか

戦時中のシーンから始まった。急に母が死んで、父が再婚するシーンからはじまる。ここにはまだ人格が出来上がって間もない主人公の、受け入れられない気持ちが目で表現されている。スタジオジブリは目で表情を作るのがうますぎる。

しかも、父、妹と再婚。超複雑でしょ。。

もし、僕の母も父の兄弟と再婚していたら同じ表情をしてたと思う。笑 父は戦争特需でボロ儲けいしてる工場のオーナー。母はお屋敷の娘。戦争中に、全く戦争と関係ない生活を送っていたに違いない。服装もとても綺麗だった。

きっと主人公(以降少年)にとって、父は敵のような存在として写っていたに違いない。嘘もつかない少年で、眞人と名付けられた少年は、初めてその父に向かって嘘をつく。それが彼なりの反抗心と、親心もわかる葛藤の表現に見えた。

そこに現れる青鷺。青鷺は嘘の象徴で、嘘をついた少年の元に現れる。このシーンがとても印象的で、青鷺はまさに少年だった。


ストーリーの前半では、青鷺が敵のような存在として写っていた。つまり、少年は嘘を敵だと思っていたわけです。自分の心と闘う少年の姿は、まさに少年。初めて嘘をついた時の気持ちを思い出しましたw


そして戦っているうちに、中に人がいるような謎の描写がありました。もののけ姫みたいでした。そして母親がまだ生きている、存在しているという嘘をつかれますが、その嘘を信じて、少年は突き進みました。


このシーンの時にはもう戦時中なんてことは観客たちは忘れています。母親を殺すには理由としては戦争を持ってくるのは強引だった気がしなくはない。

しかし、戦争中であるということは意味があって、『闘い』の描写だったのかもしれません。戦時中、負けそうになる日本を嘘で鼓舞していた日本政府がいました。これは紛れもない事実で、サイパンは1年で負けたという表現が作中にも出てきます。

人は塗り固められた嘘の元闘い、争っていました。しかし、戦争にあまり関係なく暮らしていた少年は初めてそこで戦争を経験します。青鷺を殺すという行為がまさにそれの象徴。戦争特需で戦闘機を作っていた父親からいっぱい教えてもらっていたんでしょう。その知識を駆使して戦いを挑んだのです。


ここで、僕が疑問に思ったのは、父親が本当に夏子のことを愛していたのか。いわゆる逆玉の輿みたいな感覚で、太い家計との関係を作るために、工場の資金を手に入れるために愛を偽っていたのではないか。それを理解していてもそれでも夏子は愛をしていたのではないか。こんなことも考えられます。少年は嘘に塗り固められた世界で、生きていたのかもしれません。与えられた宿命に向き合う少年の心もここで表現されているかもしれません。



異世界に飛び込む少年


嘘を信じて突き進んだ先にあったのは、完全な異世界でした。死後の世界のような、でも生きている人もいる、謎な空間でした。真逆の世界です。裏側の世界。この裏側の世界が、表の世界を支えているなんてことは、表の世界の人は何も知りません。

インコが世界を支配しようとしているなんて誰が想像がつくでしょうか。ここでは少年がいろんな世界を知ります。当たり前に動物が話し、人間を捕食する世界。きっといろんな人がこのインコに殺されてきたのでしょう。そして、その魂が小さな白い生き物になり、裏側で生きている人間が、それらを現世に戻すために働く。そんな世界な気がします。

キリコが住んでいた大きな船はまさに命を運ぶ船で、ノアの方舟や、宝船を彷彿とさせる。つまりキリコもきっと神のような存在で、何か天命を全うするためにこの世界に呼び出されたような存在かもしれない。つまり、あの世界にいるのは神だ。

セキセイインコの象徴は「知性、バランスと調和、家族の絆、遊び心、明晰さ」です。

こういった記述がある通り、大叔父様がセキセイインコがたくさんいる世界を作り出したのも、愛から始まるものだったが、最後、その王様が世界の秩序やバランスを崩壊させてしまいます。

そんな象徴のような存在が、世界のバランスを崩壊させてしまう。行き過ぎた文明を表現しと感じました。行き過ぎた知性や、行き過ぎた仲間への愛は、何かを崩壊へと導くという比喩でしょうか。考えれば考えるほど、ループにハマりそうですw


そしてなんやかんやあって、少年は、自分の道を進ことを決意します。「夏子お母さん」というセリフがそれを全て表しています。過去のお母さんではなく、今のお母さんをお母さんと呼ぶ。少年にとって咄嗟にでた言葉かもしれませんが、宿命を受け入れて人生を進めるという心意気を感じました。

そして、最後、自分で選択をする時が迫られます。裏側の世界のバランスを保つことを運命とするか、表の世界の人間として、夏子の息子として生きていく運命か。少年は後者を選びました。母親の死を受け入れることは彼にとってとても残酷で大きな意思決定だったと思います。

しかしそれでも彼は、後者を選びました。それはきっと、『君はどう生きるか』という本を、読んだからに違いないです。(後で買って帰ろう)

少年は与えられた宿命と共に生きることを選びました。前者を選べば、母と共に暮らせる日があったに違いありません。それでも、自分を生きることを選択しました。泣きましたw


これが宮崎駿からの挑戦状です。お前はここで、母の死を受け入れて進むことができるか?と語りかけられていました。宿命を受け入れて進めるか。

そして宮崎駿は宮﨑駿になりました。なんの宿命かはわかりません。が、きっと何かを受け入れて進み始めたのです。

僕にもまだ受け入れられていない過去があります。それを受け入れて、進み続けられた時に、初めて本来の自分の人生を歩んで行けるようになるんだと確信させられました。



これが僕の映画を見た感想です。誰かがこれを読んで、へーそういうことだったのか。みたいな気持ちになってくれたら嬉しいな、なんて思います。



もっとはなしたいことはありますが、ちょっとシーシャ吸ってくらついてきたので、これで終わります。お疲れ様でした。

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