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 短編小説 メモリー オブ ハネムーン


 「ねえ、中華食べに行こうよ」

 友達の佳那が、表参道の並木道が見えるカフェで、ハーブティーを飲みながら突然言いだした。

 「え、中華?なんで突然?」

 お互い四十代になって、そんな脂っこいものは食べなくなってるはずなのに、突然の中華提案に、美咲は驚いた。 

佳那とは客室乗務員の同期として入社して以来の、二十年以上の付き合いだ。

 今佳那は売れっ子占い師、私はエアラインスクール経営者として、
自由になる時間が増え、仕事の話、独身同士の恋愛話など、なんでも話せる仲として、月一程度は会っている。


 「ホテル中華に行きたいんだよね。美咲は中華で何が一番好き?」
と聞かれて、ふとその昔ホテルの豪華な中華を食べたことを思い出した。 

絶対に忘れることはないと思っていたのに、すっかり忘れていた
ホテル中華の思い出。 

佳那にさえ、話していないと思う。  

その昔、客室乗務員と言う、味にうるさい集団に属していた美咲が忘れられない中華の逸品。 


それは、「アワビの姿煮」だ。

     新婚旅行


 美咲が夫とオーストラリアの東海岸に、1週間の新婚旅行に行くことに
したのは、たまたま読んだ雑誌に
「ウエストコーストよりも、パースを始めとする、東海岸の方がゆっくりできる」と書いてあったからだ。

フライトでシドニーは、何度も行った事があったが、パースには行っていない。
どうせ行くなら、日頃の疲れが取れる場所がいい、と思っていた気分に、「東海岸」「パース」「インド洋」
のキーワードがピタッとハマったのだ。 


海外に詳しくない夫を説得するのは、簡単だった。

「美咲がいいところでいいよ」と、大手スポーツ用品会社で働く夫は言った。 

あとはお互いに、「どれだけ長い休暇が取れるか」だったが、幸いなことに、お互い十日間の休暇が取れた。 
新婚旅行は一週間のプランに決めた。 

シドニーと、パース。ゆっくりとする時間が取れるプランにした。

パースでは、学生時代ゴルフ部のキャプテンだった夫が、一緒にゴルフをしようと言い、楽しみにしていた。

 結婚式を終えた翌日、前泊を兼ねて、東京デイズニーランドの
近くの五つ星ホテルに宿泊した。 
もちろん、デイズニーランドで、目一杯遊んだ。 


新婚旅行1日目が終わってホテルに戻ると、フロントにメッセージが残っていた。 

「なんだろう」とメッセージを読むと、旅行会社が間違えて、一日遅れの飛行機を予約していた。

シドニーへの出発は明後日になるが、日程に問題がなければ、ホテル代、食事代全てをお詫びに支払ってくれる、と書いてあった。 


一瞬、出発が遅れることに不満が出そうになったが、日程に問題がない私たちは、「やったー。ラッキー」と大喜びした。


 ホテルは、五つ星ホテル。


そこのご飯を、好きなものを、好きなだけ食べて、支払いは旅行会社。

大手の旅行会社だからなのか、金額の上限もない。

 早速、ホテルのレストラン案内を見ながら、どこで食事をするか、
二人で話し合った。
 予約もすんなり取れ、案内された中華レストランの個室で、私と夫はメニューと見つめあっていた。

 値段は確かに高い。

 フカヒレのスープ 八千円。
 アワビの姿煮   六千円。
 大海老のチリソース炒め 五千円。

 街中にある中華料理店とは、値段が全く違う。 
先輩や、キャプテンたちに御馳走していただいて、ホテル中華に行ったこともあるが、その時には金額なんて
全く見てなかったので、少し驚いた。

 今日の「スポンサー」は、日本で一番大きな旅行会社だ。 

自分たちが食べたいものを、ジャンジャン頼んで、食べよう。

 夫は紹興酒を、次々に飲み、見た目と違ってあまりお酒に強くない私はひたすら食べた。


 「アワビの姿煮でございます」

 そう、黒服の男性スタッフが言った瞬間、その大きさに目を見張る。

茶色のツヤツヤのソースの中に、鮑は確かな存在感を持ち、堂々としている様に見えた。


 今までに食べたことがないくらいのレベルで、中華料理なんて簡単に言ってはいけないくらい、程よい硬さと弾力、噛むとジュワーっと広がる醤油と、中華独特の調味料。

何より、アワビ自体の材料の良さが、全てだ。 

玄界灘の魚を北九州で食べて育った私が、幼い頃から刺身で食べていた鮑。

それに勝るとも劣らない品質であることがわかる。

 「ホテル中華と、街の中華レストランは、全くの別物である」

 夫の秀一と二人で出した結論だった。

お腹がはちきれんばかりに食べ、ホテルの部屋に入った途端、夫がいびきをかきながら寝てしまった程、飲んだ夜だった。

      十五年後


 佳那がお勧めするホテル中華は、都内でも有数のホテル内にある。
 東京駅近くの五つ星ホテルは、訪れる人たちの服装から違う。

 「よかった。今日はジルサンダーのパンツ履いてた」と、グレーのノースリーブサマーニットに、合わせた白のワイドパンツを自分で見て、心の中で思う。

 佳那は、ラフな服装だけど、実は一式ヨージ・ヤマモトだ。

 一流ホテルの良いところは、スタッフの人たちが本当に優しく、丁寧なところだ。
お互い客室乗務員経験者同士、どうしてもサービスチェックを、自然としている二人だ。

 「やっぱり、さすがだね」
 「うん、若いのに、ちゃんとしてる」
 「さっき、私がお手洗いにいった時、さっと私が使っていた布のナプキンをきれいにたたんでくれてたよね」

 「うん、ちゃんと見てるし、こちらから呼ばなくてもすぐに来てくれるし、トレーニングされてるね」

 「やっぱり、お値段が高いといいサービスを受けられるよね」
 「誘ってくれて、ありがとう」
 「良かった。そう言ってもらえて」
 「私が一番好きなのは、アワビの姿煮なんだ。
 普段はなかなか食べる機会がなかったけど、今日は普段頑張っている自分たちにご馳走しよう。割り勘で」

 「うん、そうしようと思って誘ったんだ」と、佳那は言った。


 フカヒレスープ
 北京ダック
 大海老のチリソース
 そして、鮑の姿煮

をまず注文した。

「へー、アワビの姿煮って食べたことない」佳那が言う。

「前に食べて、本当に美味しかったんだよね」
「ふーん、キャプテンに奢ってもらった?」
「まあね」

「北京ダックは、こちらで包んでよろしいですか?」
と、よく訓練された男性スタッフが言う。

「お願いします」
 自分で巻くよりも、プロにやってもらった方が、絶対に美味しい。

 お酒に強い佳那は、ビールを終え、紹興酒に入った。

 「個室、いいね」
 「うん、何喋っても気にしなくていい」
 「何か、秘密で喋りたいことあるの?」
 「うん、佳那に話してなかったことがあったのを思い出した」
 「なになに?彼氏ができた?」
 「そんなわけないじゃん」
 「いやー、美咲モテるじゃん」
 「佳那こそ、占いにくる経営者の人にモテてるじゃん」
 「いやいや、みんな既婚者だよ」
 「私は女子の若い子ばっかりだよ。会うのは」
 「あはは、そうだよね」
 「いや、このアワビの姿煮は、新婚旅行の時に初めてすごく美味しいのを食べたんだよね」
 「へー、知らなかった」
 美咲は、新婚旅行のハプニングを話し始めた。


 「そんなことがあったんだね。ラッキーだったね」
 「うん、今日もホテル中華って言ったらすぐに浮かんできたのが、
 アワビの姿煮だったんだよね。だから佳那が誘ってくれた時、どきっとしたんだよ。
考えたら秀ちゃんの命日、来週だったから」

 「え、そうだっけ?」
 「うん、十一月十一日。今年で十五年」
 「そうだったんだ。十五年かあ。早かった?」
 「うん、早かった。子供がいなかったから、なんだって仕事すれば食べていけるとは思ったけど、まさか三年で死に別れるとは思ってなかったから」

 「美咲、しばらく誰とも会わなかったよね」

 「会えるわけない。会いたくなかった。だって絶対に秀ちゃんのこと聞かれるじゃない。だけど誰にも話したくなかった」
 「私が電話しても、「あまり体調が良くないから」って言って、
 長話もしないし、全然会おうとしなかったよね」
 「うん、本当に辛い時は家族と一緒にいるのが精一杯。
 父と母もすごく心配してくれたし。大人しく家にいようと思ってた。
 あんなに辛かったのは、初めてだったな」
 「そっか」
 「結局立ち直るのに、半年かかった。でもいつまでも仕事しないのも、
 両親に申し訳ないと思って、エアラインスクールで働き始めたのが、結局立ち直るきっかけになったかな」

 「仕事って、やっぱり励みになるよね」
 「うん、暇があるとずっと秀ちゃんのことを考えてしまうから。
 もっと早くに気づいてあげていたら、くも膜下なんてならなかったんじゃないか、とか」
 「美咲のせいじゃないよ」

 「わかってるけど、色々家にいると考えてしまうんだよね。
 だから仕事を始めて、初めてのことばかりだったから、だんだんと仕事にのめり込んで行って・・・」
 「で、結局自分でスクールを開くまでになったじゃん」
 「まあね。だから、さっきアワビの姿煮を食べた時、秀ちゃんはこの味覚えているかな、って思いながら食べてた。覚えてて欲しいし、あの世で食べてて欲しい」

 「ハプニングがあった新婚旅行だったから、余計に覚えているよね」

 「うん、すごくラッキーだったし、その後に行ったパースは最高だった。思い切ってオーストラリアまで行って良かったよ」
 「そうだね。でもあの世に、高級中華あるかな」
 「現実的なこと言わないの」
 「ハハハ」
 「うふふ」
 なんでも話せる友達がいるって、幸せだ。

エピローグ


 「お会計三万八千円でございます」
 「いいよ、私が払う」と、佳那が言う。
 「秀一さんの一五回忌でしょ」
 「普通、十三回忌だけど」
 「いいよ、私お金持ちだから」
 「わかった。ありがとう。今度私が高級寿司でも奢る」
 「楽しみにしてるわ」
 「ご馳走様でした」
 「ううん、お互いにこれからも頑張ろうね。
 別に美咲が私より先に結婚しても、全然怒らないから、
 いい人見つけるんだよ」
 「佳那なんか、まだ一回も結婚してないんだから、
 佳那の方が先だよ」
 「あはは、自分のことは全く棚に上げてたわ。じゃあ、またね」
 「うん、本当にありがとう」

 女の敵は女、って言葉は、絶対に最初は男が言ったのだと思う。
女には女にしかわからないことがあるし、男には男にしかわからないことがあるのだろう。

だから、夫はいても、女友達は大事だ。
ましてや、何でも話せて、気持ちを思いやることができて、お互いの幸せを心から喜べる友人に出会えたことを、
何よりも感謝しよう。

 ホテルを出た東京駅丸の内北口広場には、正面から大きな秋の夕陽が見えていた。 

明日からまた頑張れる。

佳那の颯爽とした後ろ姿を見ながら、美咲は黒革のバッグを右手から左手に持ち替えて、駅の改札へ向かった。

           了

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