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 黒い約束


                                 

 やっと果たせる。道彦と密かに交わした約束を。

美里の夫の㓛一が体の不調を感じ受診した総合病院で、美里も一緒に医師から余命宣告を受けているときに感じたのは、密かな安堵感だった。

******

 道彦と出会ったのが大学1年のことだとすると、出会ってからもう50年以上が経っていることになる。
 出会いは、大学のESS サークルだった。
同級生のうちの一人として出会ったが、みんなと一緒にいる時の
道彦から感じる視線を、美里は気づいていた。

その視線にドキドキしていたから、サークルに行くのが楽しくなった。
多くの女の子がいるのに、なぜ私なんだと最初は思ったが、話をしていくうちに、共通点がわかった。

 二人とも音楽、映画、ファッション好きなのだ。

そして、「甘える女の子が嫌い」という、私が弱点だと思っている点が、好みなのだとわかった。

私は、道彦の固い意志を持った内面とは違う、童顔の顔が昔から好みだった。

会うべくして会ったのだと思うようになると、胸が苦しくなるほどの恋に落ちるのに時間はかからなかった。


2人で良く授業をサボって3本立ての映画を、みまくった。
今のようにネットがある時代ではないから、都内の小さな映画館は
ほぼ全て行っただろう。

ほぼ毎日一緒に行動した。


ラフォーレ原宿、新宿、渋谷などお互いに地方出身者だったからこそ、
東京を満喫していた。
学生時代の思い出といえば、必ず道彦の存在が浮かんでくる。


 お互いに初めての「大人なの付き合い」
をした相手であり、別れてからも「どうしているんだろう」
と時々思い出しては、胸がキリキリとする相手だった。

******



 同じ年の2人が56歳になった時、美里に1通のメールが届いた。
そのメールの名前を見た瞬間、長年止まっていた列車がゴトンと
音を立てて動き出したかのような衝撃と、あの胸の痛みを思い出した。


 たまたまネットサーフィンをしていたら、有名デザイナーの広報担当として美里がインタビューを受けた記事に辿り着き、
「懐かしくなって」メールをくれたらしい。 


 道彦は、今フラワーデザイナーとして大活躍中だ、と教えてもらった会社のホームページに書かれてあった。

「道彦らしいな」と感心するとともに、なぜ自分がその場にいないのだろう、人生がどこでどう違ってしまったのだろうか、と改めて考え込んでしまった。


返信するべきかどうか、30分悩んだ末に「嬉しかった」
というありきたりのメールを返信した。


 その後数通のメールのやり取りの後、那須に住む道彦が仕事で上京するときに、35年ぶりに会おうという話になった。

1ヶ月前から美里はソワソワ、ドキドキを抑えられなかった。


夫には「元彼に会う」と正直に言ってある。
「別にいいよね?」と聞くと、功一は
「当たり前じゃない。楽しんでおいで、遅くならないように」と、
平静を装っているようにも見えたが、笑顔で送り出してくれた。

 品川駅で待ち合わせをし、道彦を見つけた瞬間、あの胸の痛みが蘇った。

35年もの時も、一気に縮まった。


事前に「ハグくらいしようね」と言い合っていたので、約束通りハグした。

ああ、道彦の匂いも体型も、何も変わってない。

165センチの美里より少しだけ背が高い道彦は、白髪はあるものの、学生の頃と全く変わっていなかった。

デニムを履き、少し長髪で、黒の革ジャンを着ている道彦は、どう見ても40代にしか見えない。


「久しぶり」
「久しぶり」
「元気だった?」
と二人同時に同じ言葉を言い合う。

「変わらないね」
「変わらないね」
と、ほぼ同時に同じことを言う。

美里は、白の緩めのタートルニットに、ペンシルタイプの白のパンツ。
ベージュのショートブーツを合わせ、髪はふんわりと肩まで下ろしている。

全て美里が務めるデザイナーの作品だ。
身長165センチの美里の白のワントーンコーデは、周りの目を惹く。


 二人ともそれ以上の言葉が、なかなか出てこない。


お互いに見つめ合うと、言わない言葉以上のものが、伝わってくる。

 また思う。なぜ別れてしまったのだろう。

 美里の父親の会社が経営不振となり、美里が大学を辞めてしまったことが一番大きな理由だろう。


「私は全く違う人生を歩いていくんだ」と自分に言い聞かせ、得意な英語を活かしてアパレル会社の広報アシスタントとして働き始め、現在ではパリコレデザイナーの広報チーフとして働いている。

新人時代は、それはそれはきつい、厳しいことの連続だったが、負けず嫌いの性格と、大好きなファッションの仕事だったから続いてきた。


 パリと東京を行き来することもある美里は、フランス語も独学で身につけ、大好きなファッションを仕事にできて、良かったと思っていたが、道彦に「仕事頑張っているのを知って、嬉しかった」と言ってくれた時は、やっぱり頑張ってきて良かった、と思った。


自分の頑張りを、若かった自分をよく知っている人に認められるのは、
なんと嬉しいことなんだろう。


 品川駅構内の落ち着いたカフェを見つけ、二人で入る。

程なくして道彦が「実は俺、ずっと東京にいたんだけど、病気になって
那須に引っ越したんだ」と言った。


美里は遠慮がちに「何の病気が聞いていい?」と聞くと

「うん、白血病」と道彦が答えた。

 美里は目の前が真っ暗になった

「え、ごめん。こんなこと聞いて」
「ううん、全然いいよ。俺のは、慢性だから進行が遅くてね。
薬も合うのが見つかっているし、先生も良い先生が見つかってね。
そうしているうちに、特効薬ができるかもしれないじゃん。
だから、大丈夫だよ」

 そう言われると、顔色も、表情も普通だ。
病人のようには全く見えない。


「そうなんだ。でもくれぐれもお大事にね。」
「うん、ありがとう」
「美里は、結婚は?」
「うん、出張先のパリで知り合った人と。子供はいないけど」
「じゃあ、うちと同じだね」
「フラワーデザイナーって、すごいよね」
「まあ、普通のサラリーマンは無理だって思ってたからね」
「そうなの?だって、お父さんは銀行マンだから絶対に
固い仕事に就くんだって思ってたよ」
「無理無理。兄貴は銀行マンになってるけどね」
「やっぱり」
一度会ったことがある道彦のお兄さんは、確かに固い人に見えた。

「でも、俺がフラワーデザイナーになったのは、美里のおかげだから」
「え?」
「覚えてる?別れる少し前かな。これ、可愛かったから買ってきた、
って言って、カーネーションを3本俺に持ってきてくれたじゃん」
「え、覚えていない」
「はは、そうか。そう、買ってきてくれたんだよ。
あれを花瓶に生けてたら、なんか面白くなってさ」
「え、じゃあ私のおかげじゃん」
「ははは、そうなんだよ」
「知らなかった。何がきっかけになるかわかんないね」
「うん」
「私はほら、いつも一緒にラフォーレとか行って服を見てたじゃん」
「行ったねー」
「バーゲンの時は学校サボって行ったよね」
「うん、だから大学辞めた時自分がやりたいことって、ファッションしかないな、って思って、採用してくれるか
どうかはわからないけど、とりあえず履歴書送ったんだよ。

そしたら、面接に来てって言われて。
その前に人が辞めてしまって、英語ができて、若ければなんとかなるんじゃないかって採用されたんだよ」

「すげー。留学してたから英語はできたもんね」
「まあ、それくらいしか取り柄がないから」
「でも、結婚してもずっと仕事をしていて、嬉しかったよ」
「道彦は、依存する女が嫌いだもんね」
「そうそう。やっぱり美里だな、って思ったよ。
お父さん、お母さんは?」
「うん、元気だよ。道彦のところは?」
「母が7年前に・・・」
「え、あの優しいお母さんn?」
「うん、そうか一度だけ会ったことあったよね」
「うん、何も知らなくてごめん」
「いや、美里ちゃんのご両親が元気でよかったよ」
「なんで私のことがわかったの?」
「病気になって、病気のことを調べるときに
「未来」っていうワードを入れていたんだよね。
そうしたら美里の会社のホームページが出てきて、
そこに美里の写真が出ててさ」

 美里が広報を務めるデザイナーが、今年は「未来」をテーマにして
デザインしており、その特集があらゆるファッション雑誌で組まれた。

広報担当の美里は取材を受け、そのプロフィールに書かれていたアドレスに道彦はメールを送ってきていた。

 道彦は、大丈夫と言ったがやっぱり病気になってしまったことで、
不安だったのだろう。
そのときに見つけた懐かしい、お互いに初恋、初体験の相手というのが思い出されたのだ。
だから私に連絡してきたんだ。


 世話好きな美里は、道彦の妻を押しやってでも私が看病したいと、瞬間思った。

自分にも功一という夫がいることも忘れて。

 商社マンである功一は優しいが、既に結婚27年も経つとお互いに嫌な部分もたくさん見ている。 

誰にでも優しい功一が、自分より功一の母の肩を持っている、と感じた頃だった。二人の間に溝があるのに気づいたのは。


 穏やかな性格の功一は決して喧嘩はしない。
言いたいことも黙ってしまい、ぶつけてこない。
だからと言って、美里が満たされていたわけではない。

ただ、年々「今更結婚相手を変えても、結局は同じ」と思ったことと、
商社マンの夫という肩書きは、ファッションの世界においても何かと美里の評判を高めてくれていたから、事を荒立てずにここまできた。


 今目の前にいる道彦も優しい人だったが、当時はやりたいことが
たくさんある美里を、束縛するかのように全てのスケジュールを美里に合わせていたのが、鬱陶しくなっていた。


今考えてみれば、それだけ愛されていたのだろう。
ただその時は、自分の進む道を見つけられない道彦に、呆れていた。


どんどん距離が離れていた頃、美里が大学を辞めたことで決定的な別れになった。

 その別れ話をするために行った、ファーストフード店での光景も、そして大学を辞めることを大学の友人に告げるために最後に大学に行ったとき、道彦もその仲間の1人でいたのに、
ろくに会話をせず、2度と会ってなかったことも、全て映画のワンシーンのように、鮮やかに甦ってくる。


「あのときさ」
「うん」
美里には、どの時ががわかる。

あの最後に大学のカフェテリアでみんなと一緒に、最後に会った時のことだ。

ー「せっかく、ファッションデザイナーの広報担当として
就職決まったのに、おめでとうが言えなくてごめんね、ってずっと思ってたんだよ」

「え、そんな昔のこと」
「いや、たとえどんな状態でも、お祝いの言葉くらいは言えないのは情けないよ」
「ありがとう。こちらこそ、お礼を言わなきゃ。
道彦はいつも優しかったよ。本当に大事にしてもらったよ。
覚えてる?いつもデートの後は毎回私の住んでた女子寮まで
送ってくれたよね」
「うん、送って行った」
「あれは嬉しかったな。大事にされてるって感じで」
「うん、俺偉いよね」
「ははは」「ふふふ」


 この時間が終わらなければいいのに。
何度もそう思い、「また会えるよね」と言っていた。
「うん、また上京するときには連絡するね」
「うん、ぜひ」


 道彦はすでに会社は退職し、空気と環境が良い、栃木県の那須に奥さんと一緒に移住したらしい。
今はフリーランスのフラワーデザイナーだ。それだけ名前が売れているということだ。
あの幼い感じの道彦が。
美里は、もったいないことをしたな、男の将来性を見る目は私にはなかったんだな、と思った。


 その後2度ほど会ったが、道彦の容体は改善しているようには見えなかった。
やがて「これ以上連絡取り合うのはやめよう」と言われ、連絡は途絶えた。ただお互いにブログやFacebookをしているので、近況は確認できた。


やがて道彦の更新が途絶え、再会して二年後の夏、それも美里の誕生日の1日前に亡くなった事を知った。58歳だった。
 美里は手を合わせて祈った。「約束は守るから」といいながら。


 あれから13年。㓛一の余命は3ヶ月と宣告された。
末期の膵臓がんだ。


70歳になった今亡くなるのは、少し早い気もするが、人はいずれ死を迎える。
それがいつなのか誰にもわからない。
ただ、余命宣告をされた以上、㓛一の残りの看病と葬儀まで、美里は準備をする必要がある。


 2年前に道彦が亡くなる1年前、再会して1年後に突然メールが送られてきた。
電話で話したいということだった。


道彦は、私の事をやっぱり忘れられない。
なんであの時に別れてしまったのか、と考えたと言っていた。
私も道彦を忘れることができない。


あれほど好きだった二人は、不完全燃焼のまま別れてしまっていたのだ。
でも今は何にもできない。

そこでせめて自分達が死んでから一緒にいられる方法を考えた。

何度も話し合って、「隣同士の墓に入る」ことを決めた。
お互いに子供がおらず、一人っ子同士なので兄弟姉妹もいない。

お互いの弁護士に依頼しておけば、㓛一は実の母親が眠る墓に入るものだと思っているし、そうするつもりだ。 

道彦は亡くなる前に、購入した墓に入っているが、道彦の妻が亡くなったあとは、道彦が弁護士に依頼していて、
妻の実家の墓に埋葬されることになっている。


道彦の妻は遺言などを残す人ではないから、弁護士に全ては任せている
という道彦の言葉をそのまま信じている。

本当は同じ墓に入りたかったが、道彦の妻が存命中は難しい。
そのため、道彦の霊園に美里名義で隣同士の場所を確保してもらっている。

もちろん、功一は一切知らない。

互いの伴侶には、隣同士の墓であることも、それぞれの伴侶は同じ墓に入らない、と言うお願いをしていることも秘密だ。

 お互いの夫や妻は、一緒の墓に入るものだと思っている。
まさか自分たちの伴侶がこんなことを弁護士に頼んでいるなんて、想像もしていない。


 㓛一を見送り、実家の墓に埋葬をすれば、約束が確実に果たせることになる。


 「もう少し待っててね」
美里は秋の夕日に向かって、そうつぶやいた。



                          了


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