視点 第1章 気づき
「先輩、お疲れ様でございました」
「もう、先輩はやめてって言ってるでしょ」
「だったら、江頭さんお疲れ様でございました」
「お疲れ様、佐藤さん」
「えー、佐藤さんじゃなくて、鈴でいいですよ」
「はいはい、鈴さんお疲れ様でした」
二人は会社のロッカールームを出て、
一緒にエレベーターを待っている。
今日のフライトで一緒だった二人だから、一緒に帰ってもおかしくないが、
他のメンバーはまだロッカールーだ。
「やっぱり佐藤さんは仕事ができるんだな」
梨花はいつもの癖で、人の行動から性格を仮定する。
「このままお帰りですか。ご自宅横浜でしたよね」
「そう。特に用はないし、明日は休みだから横浜をぶらっとしようかと思って」
「えー、じゃあ私も一緒に行っていいですか」
「え、だってあなた反対方向じゃない?」
「はい、大森ですけど、私も明日休みだし、梨花さんとご一緒するなんて滅多にないから」すでに、下の名前で呼ばれている。
後輩たちは普通、いつもクールな表情の梨花を怖がって避けるのに、なぜかこの鈴は今朝初対面の挨拶から、全く遠慮というものがなかった。
「まあ、いいけど。じゃあどっかお茶に行く?」
「はい、はい!!どっかオシャレなカフェご存知ですか」
「まあ、オシャレって言ったら、
ホテルのテイールームくらいだけど」
「あ、だったらみなとみらい行きません?」
「え、それなりに時間かかるけど、大丈夫?」
「大丈夫でーす」
どこまでも明るい。
20代前半とは、こんなに明るかっただろうか。10年近く前の自分を思い出してみるが、無駄な努力だった。多分、今と変わってない。
京急で横浜まで行き、東横線に乗り換える。早朝からの日帰り、デイフライトパターンだったので、まだ夕方の通勤ラッシュに巻き込まれずに済んだ。
地下二階から、長い長いエスカレーターを二人で上がる。
鈴は、今日のフライトについて話をするが、周囲に聞こえているんじゃないか、と梨花は気が気でない。
「わー、サイコー」
ようやく外に出た瞬間、春の風が舞い、フライト後に下ろした鈴の髪が右側に流れた。その無邪気さに呆れながら、決して嫌な気持ちになっていないのが不思議だった。
仕事に慣れすぎてるな。
入社して8年も経てば、馴れが出てきてしまう。入社して2年目の鈴からすれば、全てが新鮮で、
だからこそ不安もあるはずだが、鈴の性格なら吹っ飛ばしてるのだろう。少し羨ましい。
「先輩、こっちこっち」
「だから、先輩はやめて」
「はーい」
小走りの鈴に合わせるように、早歩きになっていた。
「ここですか?」
「うん、たまに海を見てぼーっとしたい時にくるの。もちろん平日だけどね」
店内はランチ客が去って、凪のような時間らしい。ポツポツと客がいる程度だ。
「すみません。二人なんですが」
と、黒いベストにパンツ、白いシャツを小柄で細身の体で着こなす40代くらいの女性に伝える。
「かしこまりました」と言いながら、店内を見渡す。
一角だけ、窓側の席が、グラス類が
片付けられてないまま空いている。
「あちらの席、よろしいですか」
と、梨花の方から聞いてみる。
「はい、では片付けますのでこちらで
お待ちいただけますか」
「はい、ありがとうございます」
あっという間に、綺麗に片付けられ、
二人の距離もちょうどいいくらいに椅子がセットされていた。
「あの人、パートだと思ってたけど、接客力は高いな」
梨花は、つい職業病で接客スキルを見てしまう。
もちろん、梨花自身が客室乗務員として勉強になる部分があると思っているからこそ、平日の午後、ひとりで少し高級なホテルに来てみるのだ。
今日は、学ぶこと多し、だな、と、後輩に誘われるまま、このホテルに来たことはラッキーだったと思った。
「先輩、何にしますか」
「だから、大きな声で先輩って言わないの」
「はーい。梨花さんどうします?」
「私はロイヤルミルクテイ」
「コーヒーじゃないんだ。じゃあ、私カフェ・オ・レ」
「ロイヤルミルクテイとカフェ・オ・レですね。お砂糖はおつけしますか」
「どんなお砂糖ですか?」
「黒糖とグラニュー糖はカフェ・オ・レに入れていただけます。ロイヤルミルクテイには専用のシロップをご用意しております」
「じゃあ、お砂糖お願いします」
「私は、シロップなしで結構です」
「かしこまりました」
「はあー」
と思わず、ため息とも深呼吸ともしれない息が出た。
「先輩、お疲れ様でした。今日のフライトも満席続きでしたよね」
「うん、あなたの方が疲れたでしょう。歩いた距離は、10000歩軽く超えてるよね」
「先輩も、今日のキャプテン、石井さんだったから気を使ったでしょ」
「あなた、石井キャプテンのこと知ってるの?」
「そりゃ、新人たちはキャプテンたちのことはもちろん、先輩たちのことまでバッチリ情報仕入れてますよ」
と、鈴はニヤニヤしながら言う。
「私のことは、言わなくていいから」
「あ、先輩は確かにちょっと最初は怖いって聞いてました」
「だから、言わなくていいって、自分でわかってるから」
「でも、すごい仕事ができる人って言ってる同期がいました」
「へー、そうなの?」と、梨花はつい調子に乗る。
「はい、だから今日先輩とご一緒するの楽しみにしてたんです」
「調子いいわー、どうせここのお茶代奢ってもらうつもりでしょ」
「バレました?」
はははー。
まあいい。
「お待たせしました」
先ほどの女性ウエイトレスが、
二人の飲み物を持ってくる。
このタイミング。
まず私のロイヤルミルクテイを、ガラステーブルの上に静かに置く。次に、鈴のカフェ・オ・レを。
「こちらお砂糖でございます」
「ありがとうございます」
「ごゆっくりお寛ぎください」
彼女が去った後ろ姿を見送りながら、梨花は「すごい人だ」と評価した。
「いただきまーす」
「いただきます」
おそらくカップはウエッジウッド。
カップの底を見なくてもわかる。
口に当たる食器の食感は柔らかい。
食器の薄さもちょうどいい。
器によって美味しさが変わる、と言うのは本当だ。
高級ダージリンの香りとミルクが完璧に溶け合って、喉を通っていく。
「あー、美味しい。海を見ながらお茶って、優雅ですねー。学生の頃には考えられなかった世界」
「まあ、そうだよね」
「先輩もそうでしたか?」
「そりゃ、普通こんなところに学生は来ないでしょ。親と一緒とかだったらわかるけど」
「やっぱり東京の人は違いますね。
こんなところに親子で来るんだ」
「え、実家はどこなの?」
「大分です」
「そうか。大分にはあんまりこんなホテルないか」
ステイで何度か訪れたことがある大分には、駅前にホテルがあるくらいで、あとは温泉地の旅館くらいしか、梨花も知らない。
「大学は福岡だったから、こんな感じのホテルがあるのは知ってましたけど、アルバイトはしてもお茶を飲みにいくのはやっぱり、無理でした」
くるくるっとした大きな目で、真っ直ぐ梨花の目を見ていう。東京の者への羨望が見えた気がした。
鈴は春にぴったりの桜色の薄手のニットに、白のペンシルタイプのパンツを履いている。髪は背中まで伸ばしていて、どこから見てもお嬢さんだ。
「そうか。あんまりホテルのテイールームには行かないのか。じゃあ、今日は勉強になるわね」
「え?どういうことですか?」
「あなた、私がゆっくりするためだけにここに来てると思ってる?だったら家にさっさと帰るわよ。でもここは五つ星のホテルだから、サービスの勉強のつもりできてるのよ」
「え、せっかく高いお金払ってるのに、仕事終わってまた仕事のこと考えてるんですか」
「ほっといてよ。好きなんだから」
「先輩、いや、梨花さんって本当に仕事が好きなんですねー」
「あなたはどうなの?」
「はい、私もこの仕事は好きです。
でも仕事とプライベートを区切っちゃうんですよね。もうロッカールームを出たら、終わりって感じで」
「それも、切り替えのためにはいいと思うよ。私は好きだから、興味あるからやってるだけ」
「はい!勉強になります」
ふざけて言ってるように聞こえたが、憎めないタイプだ。
「私はあのウエイトレスの人は、ベテランだと思ったわよ。あなたはどう思った?」
「え、まあ年齢の割には綺麗にしてるな、と思いましたけど。他は特に・・・」
「別に強制でもテストでもないわよ。
ただ、私が気づいたことを勝手に言うから、まあカフェ・オ・レをを飲みながら聞いてね」
梨花は、接客で気づいたことを話し始めた。
続
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