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理由なき衝動に突き動かされた旅③ 与那国島2日目後半「日本最西端の碑」へ


与那国島は、3つの地域でできている。
ドクターコトーのロケ地は、「比川」(ひかわ)と言う島の南部に当たる地域だ。
その他は、私が滞在していた町役場も近くにある「租納」(そない)、
そして最西端の地の石碑があるのは、久部良(くぶら)と呼ばれる地域だ。

与那国町観光協会のパンフレットより




与那国旅の2日目に私が訪れたのは、「比川」と「久部良」地区だった。
11:01発に町役場を出発する「無料バス」に乗って、比川に11:17に到着した。


同じく、与那国町観光協会パンフレットより





比川では、ドクターコトーロケ地や、ビーチを見学し、バス停前にある「比川売店」で、
お土産を買った。


バス停から見た売店




塩を直販所で買えなかったので、まずお土産にも、自分自身にも塩を買って
帰りたいと思っていた。
友人で、子どもにインスタントラーメンさえ食べさせたことがない、と言う、
パン教室も開くほどの料理自慢の人に、「今度与那国に行くんだよ」と話したところ、
「じゃあ、絶対与那国の天然の塩を買って」と言われていたのだ。
料理好きな人は、材料にもこだわるから、きっと塩はいい塩なんだろうと思っていた。

売店に入ると、少なくとも3種類の塩があった。

すでに使っているが、本当に美味しい塩だ





全種類を買い、お土産用も入れて4つ買った。
一袋の値段は、種類によって違ったが、一番高いものは、1,000円ほどする。

さらに、天然ソープや、これまた添加物などが一切入っていない、「かつお出汁」、黒糖、パイン菓子、手作りごま油、などを、カゴに入れレジに向かった。

計算を始めた女性にふと目をやると、驚いた。

昨日電動自転車を借りた際、一緒にご主人についてきていた奥さんだったのだ。
間違いない、と思って「あのー、昨日自転車借りた者ですが、昨日空港にいらしてましたよね?」と聞くと、バーコードをスキャンしながら、「ああ、昨日のお昼・・・」と言って、
思い出してくれた。
隣にご主人がやっている会社があるからなのか、昼間はここで働いているらしい。

支払いを終わって、バス停に行こうとしたが、まだ時間があるし、外は暑い。
そこで、「少しこの中で待たせてもらってもいいですか」と言うと、
「どうぞ」と言って、奥にある、通常はおそらく従業員の人が休憩に使ったり、
店内で食べたい、と言った人たち向けなのか、畳の部屋を示してくれ、「ここ使ってください」と言ってくれた。

お礼を言い、畳に座ると目の前に「ドクターコトー」の漫画が置いてある。何気なく手にとって読み始めると、ついのめり込んでしまった。
20分くらい経っただろうか。

「じゃあ、私これで終わりなんで、ごゆっくり」と、先ほどの奥さんが声をかけてくれた。
まだ、お子さんが小さいからお昼までのパートなのだろう。
「ありがとうございました」と言って、彼女を見送り、バスの時間近くになって
私は店を後にした。


島内を走るコミュニテイバス(無料)




13:17のバスが、程なくしてやってきた。
乗ると、さっきのバスの運転手と同じだ。
「診療所行けましたか」と聞いてくれる。
「はい、ありがとうございます。今度は、西崎(いりざき)までいきたいんですけど」
と伝えると、「久部良港で降りて、そこから15分くらい歩くと、灯台に着きます」と教えてくれた。
この説明で、「今回も少し歩けば、なんとか行けそうだな」と思ったのだが、
実はかなり大変な道のりだとは、思ってもいなかった。


バスの車窓から見えるのは、海と馬たちだ。


馬も道路を歩き、渡っている




このバスの客席は、およそ15席ほどだが、最後部には横長い椅子があり、
その両端には、いつも必ず誰かが座っている。
なぜならこの座席は、一段高い位置にあるため、運転席とほぼ同じ高さで、
小さなバスゆえに前方の景色と、横の景色の両方が見える、特等席なのだ。
まだ、2回しかバスに乗っていないが、未だに私はこの座席には座れていない。

バスが走行中、馬が横切るのを待つ以外にスピードを落とす場所がある。
それが、「テキサスゲート」と呼ばれる、隙間の大きな、大型側溝の前に来たときだ。


与那国町観光協会パンフレットより




テキサスゲートは、馬や牛の脱走を防ぐために作られているらしく、
確かに近くで見ると、馬や牛の足がすっぽり入ってしまうくらいの隙間が空いている。
その上を通る時は、バスであっても、ゆっくり行かないと危険なのだ。
昨日電動自転車を借りた際にも、「テキサスゲートって言うところを通る時は、一旦降りて押して通ってください」と注意を受けていたのを思い出した。


途中自衛隊の駐屯地を通り、「久部良(くぶら)」と言う地域に入る。
ここは漁港だが、丘にも囲まれている。

駐在所は、どこにでもある日本


港の駐車場



私は今回行っていないが、「久部良バリ」と言う断崖絶壁の観光地がある。
ここは琉球王朝時代に、「人頭税」と言う税金に苦しむ島民が、妊娠している
女性にここから飛び降りさせ、子どもとその母親の命を奪っていた、と言う伝承がある場所だ。私はその話を本で読んでいて、あまり行きたくないな、と思っていたので、今回は避けた。


そのすぐ近くには「日本最後の夕陽が見える丘」と言う場所がある。
与那国のこの時期の日の入りは、夜の7:00を過ぎている。
福岡も関東に比べると、1時間くらい日の入りが遅いが、与那国は日本一遅い。
朝は、6時過ぎに日が上り、夜は7時過ぎなので、12時間以上太陽が昇っている場所なのだ。

今日はお天気が今ひとつなので夕陽は無理だと諦めていたが、この少し先に
お目当ての「日本最西端の地の碑」があるため、その灯台を目指して歩き始めた。
灯台は、かなり遠くに見える。まるで山登りが必要なくらいの高さのところだ。

久部良港から見た「日本最西端の灯台」
目の前の「山のような丘」の上にある



「え、これを歩いて上がるってこと?」と、一瞬ためらったが、運転手が言った、「15分くらい」と言う時間を心の支えにして、歩き始めた。

海を横目に見ながら坂道に入るところで、地元の若い男性たちが集まって飲み会を開いているのを見た。
海を見ながら、お酒とつまみがあれば、どこでだって最高の飲み会になる。

羨望の念を持ちながら、今日の課題である、灯台を目指して坂道を上がっていく。
あまりにも急な坂であることに、いやでも気付かされた時、一瞬「諦めようか」と思った。
でも、たった二つだけしかない、与那国で行きたいところの一つを諦めてしまったら、絶対に後悔する、と思い直し、再度歩き始めた。

あともう少し



途中息切れを起こすくらいの急な坂道で、歩いている人なんて誰もいない。
後ろから車が数台、私を追い抜いていく。
誰か止まって乗せてくれないかなーと思うが、そんなに世の中甘くない。
ようやく坂を登り切ると、駐車場とトイレがあった。
ここで、みんな車を止め、さらに歩いて上るとようやく灯台に辿り着く。

「日本国最西端之地 与那国島」と書いてある石碑前には、数名の観光客が写真を撮っていた。実はこの石碑以外にも、天皇皇后両陛下がいらした際の石碑や、沖縄海邦国体が開かれた時にトーチの火を取った「太陽の火」の石碑もある。
それらを写真に収めながら、さらにその先にある灯台まで歩いていく。




やっと到着した。
ここも、断崖絶壁だ。波も荒い。与那国島が、男島と呼ばれている理由がわかる気がした。


柵も何もないので、降りて行けそうだが、
怖くてとても行けない
あまり高く見えないが、五十メートルの高さはある



石碑の裏に、与那国からそれぞれの場所の距離が彫られている。
見れば、石垣島よりも、台湾までの方がわずかながら近い。
日本より外国の方が近い、つまり「ボーダーの島」は、北海道にもあると思うが、
あまり見ることはない。
晴れていれば台湾が見える、と聞いたが、今日はそれも期待はできない。
夏の方がおそらく、夕日も台湾も見えるのかもしれない。


台湾までわずか100キロあまり




灯台から駐車場までの間に、原っぱのような場所があり、そこには休憩所にもなる
建物がある。
階段を十段ほど上るので、上から海と断崖を眺めることもできる。
暑くて喉が渇いたので、そこに座り持ってきたお茶を飲んでいると、観光客らしき人たちも
上ってくる。


この建物の床には、こんな地図が書かれていた



私は、一人一人に「こんにちは」ととりあえず挨拶をするが、誰も返事をしてくれない。
まあ、仕方ないよな、と思いながら、帰りのことを考えてタクシーを呼ぶことにした。
帰りのバスの時間を勘違いしていたことが、後からわかったのだが、この時は
帰りのバスまで3時間もあると思い込んでいたのだ。

しかし、何度電話を鳴らしても、一向に出ない。
後から聞けば、この島には一台しかタクシーがないらしく、当然運転手も1人しかいないのだそうだ。だからみんなレンタカーを借りるのだ。

タクシーがないなら港まで歩いて降り、そこから食堂に入ってお店の人に聞いてみよう、と思い、坂を下り始めた。
後ろから複数の車が私を追い越していく。

誰も止まってくれないよなーと思い、ひたすら坂を下っていると、通り過ぎた一台の軽自動車が戻ってきてくれ、私の横に止まった。
「え?」と思っていると、運転席から窓を開けて「どちらまで行かれるんですか」と
聞いてくる。
「え、いやバスがないから、とりあえず港までと思って」というと、「歩くの大変でしょ、送っていきますよ」と言う。「どちらまで行かれるんですか」と聞くと、「いや、僕は適当にうろうろするので、都合のいい場所まで行きますよ」と、見れば50代くらいの男性がそう言ってくれた。

これも、都会ならばもう少し警戒するところだが、この場所では実際に歩くのは大変だし、そういえばこの人にもさっき私挨拶をしてたな、返事は帰ってこなかったけど、と思ったので、「まあいいか」と思って、「じゃあ、空港まで行けばバスがあるので、空港までお願いします」と言って、後ろの席に乗り込んだ。
「どちらからですか」
「僕、広島なんですよ」
「え、私福岡です」
「福岡ですか。今日いらしたんですか」
「いいえ、昨日来て2日目です。今日いらしたんですか」
「はい、朝飛行機で石垣から来て、今日1日で与那国を回って、夜石垣に戻ります」
「あーそうなんですね」
「いや、実は与那国の最西端で、東西南北制覇なんですよ」
「あ、あの日本最西端、最南端とかですよね?」
と聞くと、助手席に置いていた紙を私に見せてくれた。
「日本最西端の証」と書いている表紙を開くと、中には「証」が入っていて、「あなたは、本日、122度55分57秒・北緯24度27分05秒日本最西端与那国島に到達したことを証明します」と書かれてある。
「おーすごい!!。4つ全部行ったんですね!南ってどこですか?」
「波照間島ですね」
「じゃあ、東は?北は?」と聞くと、全て即答してくれる。
ちなみに、最北端は、北海道宗谷岬、最東端は、同じく北海道の根室のノサップ岬らしい。
「これは、空港ついてレンタカー屋の隣に観光協会があるから、そこで500円で買えますよ」と教えてくれた。

旅人は旅人と出会う運命らしい。

途中、「ちょっと止めていいですか」と言われ、少しドキッとしたが、そこは「珍しいトイレ」と言われているところらしく、トイレの入り口から向こう側の海が見える景色が有名だと教えてくれた。
しかし、降りてみるとそこはすでに「立ち入り禁止」の札がかけられていて、中に入ることはできなかったが、写真に収めた。




立ち入ることはできないが、確かに海を見通すことができた
そのトイレの向こうにも海。島だから当然だが、周囲をぐるりと海に囲まれているのを感じる。

ダンヌ浜



再度車に乗り込み、やがて空港に到着した。
車だと、こんなに近いのか、と少し驚いたほどだった。

「ありがとうございました、本当に助かりました。お気をつけて」と声をかけ、
空港のターミナルに入った。
40分ほどすればバスがやってくる。
その間に、「最西端の証」を購入する。

最西端の証 



記念スタンプを押せる場所もあり、そこに置いてあるパンフレットに、スタンプを押す。


「国境の島」と言う表現が、かっこいい




ターミナルには、20席ほどの椅子が置いてあるだけで、飛行機の出発を待つ人は
5人くらいしかいなかった。
やがて飛行機が到着し、到着口が一気に賑わう。
それを合図に、バス停に向かうと5分ほどで青いバスがやってきた。


空港内バス停からの景色 左の白い一階建建物が空港ターミナル




バスの運転手は、今まで2回乗った時の運転手と同じだった。

「灯台には行けましたか」と聞いてくれる。
「はい、なんとか行けました。間違って空港まで送ってもらって・・・」と言うと、
ハーフのような端正な顔つきの、背の高い60代くらいのジェントルマン運転手は笑ってくれた。

私が降りる4つほど前のバス停で、とうとう乗客が私1人になった。
早速、あの憧れの座席に移り、少し大きな声で、「役場で降ります」と伝えると、
「かしこまりました」と運転手は言い、それまで案内し続けていた停留所の案内をやめた。

そこから運転席と最後部座席とで、会話が始まった。

「暑くなりましたね」
「ああ、今朝の雨はすごかったですよね。どうなるかと思いました」
「石垣島は嵐って言ってましたよ」
「そうなんですよ。飛行機も大変だったみたいですよ」
「えーそうなんですね。よかった与那国で」
「ずっと同じところにお泊まりですか」
「はい、明後日まで同じところに泊まっています」
「そうですか。でも、今日みたいに暑いと観光客の人はビールが美味しいですね」
「確かに、暑い方がビールは美味しいですよね」
とても穏やかで、親切な、ジェントルマン運転手との会話を楽しんでいるうちに、「与那国町役場」に着いた。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました。良い旅をなさってください」

なかなか「良い旅を」と言う言葉は出てくるもんじゃない。
いくら慣れているとはいえ、もしかするとかなり英語が話せる人じゃないだろうか。
海外旅では、知り合った人と別れる際に「Have a nice trip」とお互いに言うが、そのニュアンスと同じものを感じた。

民泊の家に帰る途中、昨日行ったあの商店へ立ち寄り、カレーコロッケと
台湾カステラを買って帰った。
冷蔵庫からオリオンビールを取り出し、ガスコンロの下の引き出しからグラスを取り出し、クーラーをつけて飲み始めた。


カレーコロッケと、魚肉の天ぷら 美味しかった




リビングの白いテーブルが、オレンジ色に染まり始めていた。

続く

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