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永代は「元」お坊ちゃん 前編

 私は長崎県島原市という田舎で生まれて、小学五年生まで過ごしました。
そして、小学六年生で実家を出てからは至るところで「永代はお坊ちゃんだからね」と言われ続けてきました。

 まぁ、今でも大して変わりないことなのですが、当時から周りの人から何か言われようともあまり気になりませんでした。お坊ちゃんと言われても「何を言ってるの?意味わかんね」くらいなものです。

 しかし大人になった今は色々と考えるところがあります。お坊ちゃんと呼ばれるのはなぜか。私の生まれ持った雰囲気がそう感じさせるのでしょうか。それとも見た目の家庭環境でお坊ちゃんと思われているのでしょうか。

永代家の家族構成

 ということで、家族構成を紹介しましょう。

・・・障害者福祉施設の施設長&神主、実家は佐賀県の神社
・・・保育園の園長、生まれも育ちも島原
(両親の肩書は現役時代)

長女・・・永代の5歳上
長男・・・永代の3歳上
次女・・・永代の2歳上
 ・・・末っ子のお坊ちゃま

母方祖父・・・宮司&初代社会福祉法人理事長母方
母方祖母・・・社会福祉法人理事長(二代目)

父方祖父・・・宮司
父方祖母
・・・分かりません

両親のお給料

 まぁ、両親の肩書きですが見た目は麗しいものです。さぞかし高いお給料をもらっていると思われることでしょう。

 ところがどっこい、社会福祉法人の特性上で給料はそんなに高くありません。皆さまの税金の中から補助金をいただいていますからね。そんなに無茶はできません。

 両親のお給料は同年代の職員よりも気持ち(お小遣いレベル)だけ高い程度でした。現地の平均よりは高くもらっていると思いますが、お金持ち〜というレベルの給料ではありません。

 しかも所詮は長崎県島原市という田舎です。東京で皆さまがもらっているお給料と比べたら・・・。ただの普通の両親です。

 ただ、田舎で物価も安いし、共働きの世帯収入という点では普通なら余裕があるところでしょう。そう思いますよね?

 またまたところがどっこい、うちは四人兄弟です。お金はいくらあっても足りないですよ(笑)

永代兄弟の青春時代


 ちなみに私以外の兄弟は全員が四年制の大学を卒業しています。(兄はさらに神道科に+1年)

 島原には四年制の大学はありませんので、大学生になると実家を出ることになります。それぞれが一人暮らしするので仕送りがヤバいことになります。

 ちなみに私は小学六年生から囲碁の院生寮に入り、中学三年生からは岩田一九段門下となり、月謝を払いながら一人暮らしをしました。(内弟子は女性のみだった)これを20歳目前まで続けたのでめっちゃ金食い虫です(笑)

 もう、これだけで考えると永代家の財政は破綻しています(笑)当時を振り返って、両親もさすがに大変だったと言っていました。

 なので兄は学費は奨学金をもらって、社会人になってからせっせと返済してました。もちろん、大学生時代にバイトもしてました。

 次女も大学の近所の居酒屋でバイトをしてたようです。

 長女の動向は忘れました(笑)

そして私のバイトは・・・

 院生は、棋士の手合いで記録係と秒読み係を務めればでお給料がもらえます。当時は丸1日記録で11,000円、秒読みに入ってからの読み上げ係で6,000円。金額も高いし、何より記録がつくようなトップ棋士の対局を間近で見れて勉強にもなって一石二鳥です。明らかに日本棋院による院生への支援制度です。やらない手はありません。

 でも、私はやったことありません。だって、同じ場所に座り続けていたら必ず寝てしまうし、先生方の大事な対局に迷惑を掛けるのは目にみえています。だからやろうと思ったことは一度もありません。周りが何と言おうとやりませんでした。やらん。

 しかも、他のバイト経験も0です。

「あ、こんなだから永代はお坊ちゃんと言われるのか…。」と、私は大人になったいつの日かに自覚しました(笑)

両親への感謝

 私は社会人になってからは、四人の子供を育てきった偉大さを持ち、さらに夢を応援し続けてくれた両親には感謝しかできない日々です。さらに現在、3人の子供がいる私は、両親の大変さを半端なく実感している真っ只中ですね。

 「お坊ちゃん、万歳〜!」

後編へつづく↓↓

永代は「元」お坊ちゃん(中編1)


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