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「週刊金曜日」(2023年2月17日号)に矢野利裕『学校するからだ』(晶文社)の書評を書きました。

告白しましょう。僕はずっと高校の先生に強い憧れを抱き、先生になりたいという思いを胸に秘めながらも、教職課程の単位数の多さに挫折をした人間です。確か、教職課程の単位を4単位ほどとったところで諦めたんじゃないかな。だから今でも高校の先生をやっている友人たちの話を聞くと、羨ましくて仕方ないのです。

この本はそういう意味で、僕のルサンチマンをこれ以上ないほどにくすぐる一冊です(笑)。それだけ、素晴らしい読み応え抜群エッセイ。著者の矢野利裕さんは気鋭の批評家でもありながら、普段は高校の教師をしている人物です。そんな矢野さんは、以前から、身体性を大事に思索を続けてきました。頭ではなくて〈からだ〉でかんがえるとはどういうことか、というのはできれば矢野さんの本や僕の書評を読んでほしいんですけど、簡単に言えば、他者を表面的なことばの型のなかで理解するんじゃなくて、その人を生身の〈からだ〉を持った一人の人間として、深く、内在的にかんがえるということです。いや、やっぱり、本書を読んでわかってください。

矢野さんの批評眼は実にたくさんの学校の光景を本書のなかで切り取ります。〈からだ〉でかんがえる矢野さんの批評は、他者に対する固定した見方を壊し、彼女・彼らを理解する回路を切り拓いていくんです。硬直した思考の枠組みがそこでは音を立てて崩れ落ちて、しなやかな、柔軟な世界の見方が生まれていく。僕はそんな矢野さんの批評に信頼を置いている読者の一人です。

これはぜんぜん、この本とは関係のないことなのですが、だからこそ、矢野さんに現在のTwitterを主戦場とすることが常になってしまった言論空間ってどう思うのか、聞いてみたいですね。僕は最近Twitterとは身体性が必然的に削ぎ落とされてしまうプラットフォームなんじゃないかと感じるようになり、もういい加減うんざりしているので、なんかやっぱりもっと生身の人のいる空間がいいよね、とか思う今日このごろ。愚痴でした。

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