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竹とんぼの思い出

毎年この年の瀬になると、寺の裏山から竹を切り出してきて、それを輪切りにし、竹ひごを作る。竹ひごは年末に近隣の家々に配る御札の資材となる。

鉈(なた)で細い竹ひごを量産する。無心に作り続ける。

そうしているうち、必ず思い出される出来事がある。小学校の時分の、卒業式だ。


 *  *  *


式典が終わってクラスの席につくと、担任の先生が皆を見渡して言った。

「卒業おめでとう。みんなの卒業を記念して、校長先生からプレゼントを預かっています。」

皆は色めきだって、なんだろうと騒ぎ立てる。それは、校長先生手作りの、竹とんぼだった。

12歳の少年少女たちからは大ブーイング。こんな子供だましな。まったく嬉しくない。ぶーたれる卒業生たちを担任の先生が諭す。「作るの大変なんだぞ。校長先生が、みんなの喜ぶ顔が見たくて、一つ一つ手作りされたんだ。しかも銘銘の名前入りなんだぞ」

けれど卒業生たちはちっとも喜ばず、ためしに2,3回その場で飛ばしてみるも、それっきりでカバンの奥に仕舞われた。

帰宅して驚いたのは、両親の食いつきだった。

これはすばらしいプレゼントだ。こんな心のこもったことをしてくださる先生はそういない。しかも出来栄えも素晴らしい。見ろ、こんなによく飛ぶじゃないか。

そう言って両親は口々に褒め喜び合い、父は何度もなんどもその僕の名入りの竹とんぼを飛ばした。

茶の間のテレビの上が父の荷物置き場になっていたので、卒業記念の竹とんぼはすぐにそこに置かれ、しばらくの間、父を楽しませた。その後もその竹とんぼは、常にそのテレビの上に鎮座した。テレビを買い換えるタイミングだったか、それから何年もして、もういいだろう、と確認され、僕は頷き、捨てられていった。その光景も覚えている。


 *  *  *


大人になって、毎年冬にこの竹細工を作るようになって、いつも思い出す。田上校長先生の作る竹とんぼは、たしかにすばらしい出来栄えだった。今になって思う。

田上校長先生。もう鬼籍に入られただろうか。



<了>


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