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【マシュマロ】「まなざし」の暴力性は相手の性別に関係するのか?

 前回のマシュマロに追伸を頂きました。

これについては前回の回答で、レオ・ベルサーニ&アダム・フィリップスの『親密性』をおすすめしました。

どんな愛もナルシスティックなものであり、境界を侵犯しようとする点で暴力的である。だから、そうじゃない形で他者と結びつく方法を見つけたいよね、という内容の本です。

「まなざし」は境界を侵犯するため、暴力性を伴いがちです。サルトルも『存在と無』の中で言及していました。

曰く、わたしたちは世界にまなざしを向けることで、それがなんであるか解釈し、世界を所有している。逆に言うと、他者からまなざしを向けられたとき、わたしたちは自分を盗まれてしまうんだとか。

俗っぽい話、まわりの人たちが「お前はこういうやつだよな」と決めつけてくるといった感じです。

なので、男性が女性に「性的なまなざし」を向ける際、罪悪感を覚えたとしても不思議ではありません。

ただ、一点、気になるところは、相手が「かわいい男性」だったら、どうして罪悪感を覚えないのでしょうか。これもまた性的なものかもしれないというのに。

もしかしたら、対象となる人物の嫌がるイメージを持てるか否かに違いがあるのかも。

ポルノ産業に関する限り、それ自体は悪ではありません。本人の自由意志に基づいているのであれば、倫理上の問題はないからです。

しかし、強制があったり、生活のためだったり、精神的な病があったり、本人がNOを言えない環境でそれが行われるとしたら、許し難い暴力となります。

これまでは女性が商品にされることが多かったので、その被害者は女性のイメージがありました。ですが、本当は男性も被害者になり得るはず。

従って、相手が男性であっても、「まなざし」の向け方は気をつける必要がありそうです。

では、どうすればいいのか。

性的か否かではなく、相手が望まない見方をしないことが大切なんだとわたしは思います。

だから、例えば、相手の未来に「まなざし」を向けるなんてどうでしょう。

男性アイドルの方が活躍し、より大きなステージに立てるように応援すること。彼の成功を自分の成功のように喜べるとしたら、その「まなざし」は決してなにも盗みません。

また、このような「まなざし」を女性に向けることができたら、ネガティブなものに加担しているという罪悪感は消えるかもです。




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