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【読書コラム】「友だちのノリ」と「闇バイト」が共存している青春のリアリティは100%現代。でも、それはわたしの知らない現代だから、この本が読めてめっちゃ幸せ - 『みどりいせき』大田ステファニー歓人(著)

 昨夜、月一のzoom読書会があった。大学時代の友だちとやっているもので、かれこれ、一年以上は続いている。

 毎回、新人賞受賞作や芥川賞候補になった作品を課題本に設定し、各々、読んできて感想を言い合っている。これが想像以上に盛り上がる。

 一人で読んだときには曖昧だった印象が、みんなで語り合っているうち、徐々に輪郭がくっきりしてきて、そうか、「わたしはこういうところに面白さを感じていたのか!」と最終的には膝を打つのだ。

 なんだか謎解きをしたような快感がある。でも、口頭で言っているだけだと、目覚めた直後の夢のようにバラバラと崩れていってしまうので、どこかに書き留めておきたくなる。

 結果、これまで、いくつかnoteにまとめてきた。

 とはいえ、人間関係と一緒で、本にも相性がある。必ずしも毎回、ピンッとくるものばかりではないから、そのまま忘れちゃってもいいかなぁってこともしばしば。

 いや、なんなら、ほとんどの場合がそうかもしれない。

 だから、今回、こうして記事を書いているのはとんでもなく面白い小説を読むことができたから。そして、それは大田ステファニー歓人さんの『みどりいせき』であり、まだ未読の方にはぜひとも読んで頂きたい。

 すばる文学賞を受賞し、本誌に掲載されると同時にXで話題になりまくっていたのは知っていた。新しい時代の幕開けとばかり、大いに盛り上がっていた。

 ただ、その多くは「文体がすごい」だったので、実験的な小説なのかなぁと勝手に思って、手に取ろうとは思わなかった。疲れてしまうような気がして。

 そういう意味でも読書会はありがたい。課題本は問答無用で読むしかないので、自分の趣味嗜好だと避けてしまう本と出会うチャンスがあるからだ。

 いまでは苦手なタイプの本が選ばれるときこそ、喜ぶようになってしまった。おかげで読むことができる、と。

 で、不思議なもので、そういう本ほどクリティカルヒットになるので堪らない。なぜ、わたしはこの本を発売と同時に読んでいなかったのか! いつも激しく悔やまれる。

 まさに『みどりいせき』がそうだった。

 なにこれ、超絶面白いんですけど……。

 ページをめくるたび、心の中でつぶやいた。

 あのとき、ブックファーストで買っておけばよかった……。しんどい……。

 なるほど、たしかに文体が独特ですごいのは間違いないけど、それよりも全体のあまりに巧みな構成に、わたしの心は掴まれてしまった。端的に言って、この時代に小説を書くことの意味が見事に体現されているのだ。

 ストーリーはけっこうシンプル。家庭にも学校にも居場所のない主人公。そんな彼はむかしの友だちと再会し、その仲間たちつるむようになっていく。いわゆるサードプレイスもの。そして、その心地よい空間に危機が訪れ、青春の始まりと終わりが描かれる。

 このとき、主人公が社会から孤立していることが肝になるので、地の文で描かれる内言も、仲間たちの会話も「友だちのノリ」がベースとなる。

 業界用語じゃないけれど、部外者にわからない言葉を交わし合うことで、身内の結束が高まったいくのだ。ほれが異常なまでに徹底された結果、多くの人が絶賛した独特な文体ができあがっている。

 なお、その技術の高さはさることながら、大田ステファニー歓人のうまさは身内ノリから性と暴力を排除している点にある。

 そのつながりには恋愛も支配も存在しない。純粋に対等なチーム友だちなのである。

 従来、若者たちが親密になる様子を描くとき、セックスと暴力が重要なギミックを果たしてきた。

 古くは石原慎太郎の『太陽の季節』があり、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』があり、金原ひとみの『蛇にピアス』があり、いずれも若者たちのありあまるパワーを爆発させてきた。

 現状、『みどりいせき』はその系譜の一番手前に置かれることが多いけれど、性と暴力の不在から、実は一線を画しているところに本当の新しさがある。

 ただ、これだけだと、友だちと過ごす穏やかな日々を尊んでいるだけみたいだけれど、それで済まないのが大田ステファニー歓人の凄いところ。なにせ、のんびりとした「友だちのノリ」でやっていることが闇バイトなのだから。

 たぶん、みんな、自分たちがなにをやっているのか完全には把握していない。ただ、ドラッグを仕込んでいる人のところに行って、お菓子の箱に見せかけた商品を預かり、指定の場所で客に渡し、お金を受け取るという行為を淡々とこなしている。それで大金を手に入れて、溜まり場でラリッたり、音楽を聴いたり、ピザを食べたらり、ダベったりしながら毎日を過ごしているのだ。

 これはとんでもなく恐ろしい。だって、純粋な「友だちのノリ」と「闇バイト」という反社会的行為が共存しているんだもの。

 わたしの感覚だと、悪いことをするときって、望むと望まないとにかかわらず、悪いことをするぞって意識が胸に芽生える。そのため、つい、それらしい言葉遣いになってしまう。

 例えば、ヤンキーはヤンキーっぽい言葉遣いになるし、ヤクザはヤクザっぽい言葉になる。パワハラ上司の発言も定型句があるし、いじめっ子のフレーズも紋切り型。逆に言えば、口調でその人の性質はおおよそ見当がついてしまうのだ。

 なのに、『みどりいせき』に出てくる子たちは「友だちのノリ」で楽しく戯れあっているのと同じテンションで、『闇バイト』を平気でこなしてしまうんだから、度肝を抜かれる。

 ぶっちゃけ、一ミリも理解できない。そうはならんやろって叫びたくなる。でも、なっとるやろがいって言い返されてしまうのはあまりに明白。そう、これこそが現代における青春の一形態に違いない。

 文学の役割はいくつもあるが、中でも、その時代には無視されているリアリティに光を当て、見えなかったものを可視化し、記録する作用の重要度は高い。それが書かれなければ、人類の記憶から消えてしまうわけなのだから。

 少なくとも、『みどりいせき』が書かれたことで、2020年代の若者が罪悪感を抱く暇もなく、「友だちのノリ」の延長で、違法も違法な「闇バイト」に手を染めてしまう現実は未来に残されていくだろう。

 大人の側からそういう若者を見ると、バカなことをしていると感じてしまう。だが、彼らの立場になってみれば、そんな単純な話ではないのだ。

 あくまで自分の居場所を守るため、友だちと一緒にいる時間を保つため、やらなきゃいけないことをやっていただけ。それが犯罪になるとか、うちらとなんの関係もない年寄りたちが勝手に決めただけだろ。知らねえし。って、目の前の仕事をひとつひとつこなしていたら、手錠をかけられ、拘置所に入れられ、気づけば罪を裁かれている。え? なにが悪かったんだろう? 歯車が狂った過去を思い出そうにも、友だちと過ごした楽しい日々しか思い出せない。

 実績、「闇バイト」の入り口は曖昧だ。有名な話だと、Xのお金配りアカウントにいいねをしたら、「闇バイト」に巻き込めらていたというケースもある。

 DMで10万円を振り込むと言われたので、口座情報を送ったら、100万円が振り込まれ、間違えてしまったので90万円返してほしいと頼まれる。で、指定された口座に返金したら、警察がやってきた。なんでも、その口座は振り込め詐欺に利用され、最初の100万円は被害者が振り込んだものだというのだ。

 こんな風にSNSのやりとりだけで、知らずに「闇バイト」に加担し得ることを考えたら、いまや、反社会的行動は我々の日常のいたるところに潜んでいると言える。

 そうなると気をつけようにも気をつけようがない。尾崎豊的な世界観で過去を反省するのであれば、盗んだバイクで走り出さなければよかったとか、夜の校舎窓ガラス壊してまわらなきゃよかったとか、ターニングポイントがはっきりしているけれど、いまや、そんなものはどこにも存在しない。

床に転がったスマホを拾う。液晶にヒビが入っちゃった。もうこころん底でどっかあきらめたのか、今の自分は間違った分岐を選び続け、枝わかれに枝わかれを重ねたマルチバースん中でいっちばんみっともない枝先に実ったしょうもない腐ったくだもの、って考えが湧いてきて、なら過去の自分が悪いだけで現時点の僕はなんも悪くないし、ってへんに落ち着いてきた。爪で液晶のヒビを拡げながら、決定的にズレたポイントはどこだったんだろ、って思いをこらす。まず今日家を出なきゃよかった。病院で警察を呼べばよかった。グラサンマスクを追いかけなきゃよかった。お母さんにバレかけた時に懲りてれば。グミ氏から真実を打ち明けられた時、校外実習から置いてかれた時、野球を辞めた時、部活でしごかれた時、お父さんが死んだ時、春と出会った時、生まれた時。さかのぼってみたら地球の誕生まで全部クソな気がして、どのみち実は腐ってたんじゃないかってきがするあ。だったら楽しかっただけマシなのか。

『みどりいせき』198-199頁

 この帰納法にこそ、『みどりいせき』の凄さがある。自分のクソみたいな人生の理由を個人的に探っていったとき、最終的に地球の誕生自体がクソだったという普遍的事実にぶつかる。普通、それって絶望的な結論のはずなのに、「楽しかっただけマシなのか」とゆるく肯定できるところに希望の光が宿っている。

 だって、これってオイディプス王が父親を殺して、母親と姦通し、その罪深さから気が狂って自ら目をつぶし、乞食となって彷徨い続けた挙句、すべては運命だったと悟った際に「すべてよし」と肯定した美しさと一緒なんだもの。

 この小説に出てくる子たちは客観的に見たらアウトロー確実。なのに、それぞれの主観では誰も一線を越えていない。少なくとも、越えた自覚は持っていない。これが単なる思い込みではなくて、いまの日本では全然あり得るというリアリティを可視化したわけだから、『みどりいせき』は本当に偉い!

 ありがたいことに、いまのところ、わたしは「闇バイト」に関わっていないが、平和に生きている毎日の裏側にそういう不穏な世界が広がっているのだと、この小説を読んで知ることができた。それだけでも最高に幸せなことである。




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