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【映画感想文】恋するために生きてるわけではないけれど - 『パスト ライブス/再会』監督: セリーヌ・ソング

 最近、映画館に行くたび、『パスト ライブス/再会』の予告編が流れていた。

 子どもの頃、韓国で相思相愛だった二人。女の子は親の都合でカナダへ移住。バラバラになってしまう。そして、24年の時を経て、それぞれ生活を築いた後、NYで再会する。なんとなく、よくあるラブストーリーだなぁと思った。

 正直、最初はそんなに興味を持っていなかった。でも、繰り返し予告を見るにつれ、そんな紋切型みたいな話をいまやる理由はなんなのだろう? 結果的に受賞はできなかったけれど、アカデミー賞の作品賞と脚本賞にノミネートされたのはなぜなのだろう? もしかして、実は新しい映画なのではないか? と想像が膨らんで、気づけば、見たくなっていた。

 まったく、まんまとである。悔しいけれど、お前に夢中という感じ。公開初日に映画館へ足を運んでいた。

 そして、予感は見事に的中。素晴らしい映画だった。

 もちろん、前評判は高いわけで、面白い可能性は高かったけれど、期待していた通りの新しいラブストーリーに「そうそう。これこれ」と胸が躍った。

 全体の筋としては予告編を見た通り。それ自体はなんの変哲もない。ただ、ひとつひとつの要素が現代のリアリティを反映していて、最終的な仕上がりがきらり輝いていた。

 韓国で相思相愛になる二人はどちらも優等生。女の子の方はわかりやすく自信家で、未来を切り開く力に漲っている。親の都合でカナダへ移住するけれど、将来、作家になると決めている彼女は「韓国にいたらノーベル文学賞がとれないもの」と引っ越しに積極的。逆に、男の子は離れていく彼女にご立腹。

 まず、この関係性にグッときた。太田裕美『木綿のハンカチーフ』の男女が入れ替わっていると言えばわかりやすいか。

 その12年後、大学生になった男の子はFacebookで彼女を探しまくる。一方、NYで劇作家となった彼女は彼の名前も忘れていて、母親との電話で気まぐれに思い出し、なんとなく検索した結果、オンラインで再会を果たす。

恋人よ 君を忘れて
変わってく 僕を許して
毎日愉快に 過ごす街角
ぼくは ぼくは帰れない

『木綿のハンカチーフ』

 さながら、この歌詞の通り。いや、彼女にはまったく悪気がないことを踏まえれば、より変わってしまったと言うべきか。

 ただ、Skypeで会話をしているうちに、二人の気持ちは昂っていく。「会えない時間が愛育てるのさ」とよろしく哀愁ばりに高まる思い。お互い、当然、こんな風に考える。

「ねえ、いつ会いに来てくれるの?」

 これも新しかった。

 恋愛映画は基本、恋愛至上主義になるがちなので、会いたいときは会いに行くもの。そのがむしゃらさが愛の深さを表していた。

 しかし、現実問題、わたしたちは恋するために生きているわけではない。目の前の仕事や学業を投げ捨てるドラマティックを優先したら、やりたいことができなくなってしまうのはあまりに明白。衝動を我慢して、日常をせっせと送る。

 だから、外国にいる初恋の相手に会いたいからって、簡単には飛んでいけないのが常である。

 この辺で村上春樹の匂いがふんわり漂ってきた。『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』という短編小説がある。その中で、たとえ話として、運命の男女が自分たちの運命が本物なのか、確かめようとするくだりが出てくる。

「ねえ、もう一度だけ試してみよう。もし僕たち二人が本当に100パーセントの恋人同士だったとしたら、いつか必ずどこかでまためぐり会えるに違いない。そしてこの次にめぐり会った時に、やはりお互いが100パーセントだったなら、そこですぐに結婚しよう。いいかい?」
「いいわ」と少女は言った。
 そして二人は別れた。
 しかし本当のことを言えば、試してみる必要なんて何もなかったのだ。彼らは正真正銘の100パーセントの恋人同士だったのだから。そしておきまりの運命の波が二人を翻弄することになる。

『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』より

 映画『パスト ライブス/再会』の二人はわざと別れたわけではないけれど、せっかく運命の相手と幼い頃に出会えたというのに、離れ離れになったことで簡単には結ばれなくなってしまう。

 そして、物語は彼女が韓国を去って24年後へ。ユダヤ人作家の男性と結婚し、グリーンカードを取得、アメリカ人となった彼女のもとへ久しぶりに彼が訪ねてくる。

 普通の恋愛映画なら、彼は旦那から彼女を奪い取り、韓国へと連れ戻すところだろう。ただ、これまでの流れから言って、そんなありきたりな展開に回収されるわけは絶対にない。この再会はどんな結末を迎えるのか。最高に面白かった!

 ちなみに、このユダヤ人男性の反応も、これまでの映画であまり見ることのないリアリティに満ち満ちていた。夫として、めちゃくちゃ自信がないのである。

 この人は作家だから、妻である彼女の話を聞いて、悪いことばかり考えてしまう。なにせ、二人の恋はあまりにもドラマティック。もし、自分が小説にするなら、ユダヤ人の夫は悪役じゃないか! と不安に襲われる。

 そこにはアメリカ的なマッチョイズムは微塵もない。なんなら、兵役経験のある韓国人の彼の方が筋骨隆々。男性的にも、バックボーン的にも、僕には勝ち目がないと戦々恐々としているのだ。

「なにそれ。わたしたちは結婚しているのよ」

 そう、彼女に笑って慰められても浮かない顔で、こんな風に打ち明ける。

「知ってた? 君は韓国語でしか寝言を言わないんだ。僕は君の夢を知ることができない」

 彼女は答える。

「眠りながら見る夢なんて、どうせくだらないわ」

 つくづく、彼女が自立した女性であることが示される。

 別に、わたしたちは恋するために生きているわけではない。毎日の暮らしがあり、それを守り、充実させていくことがなによりも大切。だから、むかしの思い出に心がざわついたとて、安易に道は外さない。

 でも、恋するために生きているわけではないけれど、恋のない人生なんてつまらないから……。

 初恋の人と24年ぶりに再会する。そんな劇的な出来事は知恵の実みたいに彼女の前にぶらさがる。いかにも美味しそうに照っている。ただ、それを食べたら、もとの日々には戻れない。しかも、そこには生まれ故郷の感覚をとるか、新天地アメリカをとるか、住む場所の問題も重なってくる。

 さてさて、彼女の選択はいかに。

 わたし的には納得のラストだった。これからの時代を象徴しているような気もした。よくありそうな話であっても、描き方ひとつでこんなにも革命が起こせるとは。改めて、映画の可能性は無限に広がっているなぁと嬉しくなった。




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