神様、そういうことやないんや

 私は、娘が生きる人生がどんなに大変な道のりでも、きっとギネスに載るくらい長生きして、娘を無事に見送ってから自分もいく、と思っていたんや。

 娘の人生がこんなに短くて良いとは言ってないんや。

 どうして伝わらんの?

 確かに障害児の育児は大変だったよ。これから娘が大きくなったら、きっと介護感が一層強まって、移動も何もかもが、もっと重労働になるだろうと少し恐れてもいたよ。でも今、やっと新しい生活が落ち着きはじめていて、これから少しずつ色んなことに慣れて、新たに加わった気管切開と胃ろうのケアも学んで、たまには娘を家に連れて帰ってきて、一緒に楽しく過ごそうと思っていたのよ。

 パパが出て行った今、娘を守るのは私。娘のためなら自分はどんなに辛い目に会ってもかまわない。色んな人に自ら助けを求めたり、新しい道を切り開いたり、これまでの常識に風穴を開けたり、たくさんの人に批判されたとしても、娘や身体の不自由なお友達の未来のために、どんどん逞しくなっていけると思っていた。心臓にいくらでも毛を生やして、どんな戦いでも受けて立とうと、なんなら来週あたりから、筋トレも始めようとしていたぐらいよ。強くなるために。身も心も。

 けれど娘は、私を置いて行ってしまった。娘の小さな繊細な身体は、色々な変化やストレスに、耐えることができなかった。ごめんね。ごめんね。私が守ってあげられると思っていたのに。結局、私には耐えることができても、皺寄せは小さく弱い者のところへ行く。たくさん寂しい、辛い思いをさせたね。ごめんね。

 これから私は何のために生きたら良いんだろうね。娘に再び会うまでの時間を、毎日カウントダウンすれば良いんだろうか。こんな悲しみを胸に抱えて、一体私に何ができると言うんだろう。

 仏壇で微笑む私のじいちゃんばあちゃんに、「ひ孫を送ったから頼むよ、うんと可愛がってよ。」とお願いする。先に旅立ったワンちゃん達と猫ちゃんも一緒にいてくれるだろうか。抱っこが大好きだった可愛い娘が、あちらで大きな愛に抱かれていてほしい。我が家の先祖のプリンセスとして、大切に大切に守られていてほしい。本当に本当に、お願いしますよ。ご先祖様、神様仏様、天使様も八百万の神々も、みんなで。

 大して信心深くもない私が、娘のためのお線香を買ってきた。お墓参り以外の用途で、初めて自分で買うお線香だ。カーネーションの香りだって。小さな石のついた指輪も手に入れた。いつも一緒にいるための、娘みたいな、小さくて丸くてつるんとした、中に優しい色のキラキラを抱いている石。これらは私の心を慰めてくれるかな。私を守ってくれるかな。生きていく希望を、再び与えてくれるかな。

 どんなに美しい宝石より、私は娘と一緒にいたかった。私から生まれた小さな可愛い人が、私の人生で最大の宝物だった。今でもそう。言葉のない娘だったけれど、私たちの間にあった、あの温かく優しい気持ちは、あれは確かに愛だったのだと、そしてそれは消えることはないのだと、信じて生きていってもいいかな。

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