障害児の親は本当に「強くて明るい」のか

 (この記事は娘が亡くなる前に下書きしていたものに加筆しています。)

 娘が重度の障害児であることを知っている人たちから、「nanohanaさんは強いね」と何度か言われたことがある。私は娘の母であり、フルタイムワーカーであり、夫が出て行ったので、まだ婚姻中だが事実上はシングルである。強いね、と言われて私は別に悪い気はしない。そして私が見てきた障害児の親たちもまた、それなりに強く明るく見えていたと思う。でも本当にそうだろうか、と考える。そんなわけはない。

 私が小学5年生の頃、校内には特別支援学級(当時は違う呼び名だったと思う)があって、そこに通う児童のうち同じ学年の2人が、時々交流のためにうちのクラスに来た。Kくんは、しょっちゅう大声で縁起の悪い言葉を泣き叫び、黒板を拳でバンバン叩く子だった。そういえばKくんがいる時は、Kくんのお母さんも教室の後ろに立っていたと思う。ショートカットで、化粧っ気がなくて、グレーのトレーナー姿だったように記憶している。Kくんのお母さん、いつも疲れているようで、特に笑顔はなかったと思うんだけど。あくまで子どもの頃の印象にすぎないから、本当は違ったかもしれないが、Kくんを育てることは、大変なことだったのではないかと、今なら少しは想像できる。きっとお母さんは、毎日Kくんに付き添って、学校に来ていたんじゃないかな。なんて大変な毎日なんだろう。Kくんはよく、あちこちバンバン叩きながら、悔しそうに叫んで泣いていた。当時はよくわからなくて、どうしちゃったんだろう、と不思議に思っていたけれど、本人はきっと、本当に大変な人生を生きていたんだろうと思う。毎日毎日、苦しくて困って泣いていたのかな。

 もう1人のAくんは、今思えばCdLSという障害だったみたい。(これはTwitterで最近知った名前。Twitterの叡智はすごい。)年齢より身体がだいぶ小さくて、色白で、まつ毛がフサフサで、繋がった眉がチャームポイントの、陽気な男の子だ。Aくんは、年齢よりもずっとずっと幼くて、同級生の私たちにも簡単に抱き上げられるくらい体が軽かったので、休み時間はAくんを抱っこしてクルクル回ったりして遊んだ。Aくんはいつも笑っていて、すごく可愛かったな。放課後外に遊びに行った時、たまたまAくんの家の前を通ったんだったか、一度ご両親を見かけたことがあった。ちょっと若い感じの、普通の人たちだった。普通の人たちのところへ、前触れもなく障害児はやってくる。KくんやAくんは、今どこでどうしているんだろう。お母さんたちやご家族は、どうしているんだろう。何十年も経った今、こんな風に思う時が来るなんて、当時は想像だにしなかった。

 病院や療育先で出会う障害児のお母さん達は、確かに明るくて元気な人が多かったように思う。でも、私を含めた障害児の親たちが、生まれつきメンタルが強靭なわけではない。私たちは、子どもの障害を知って何度も泣き、障害児を育てることの難しさに向き合いながら、疲れ果て、それでも我が子の大切さや愛おしさに癒されもする、ただのどこにでもいる親たちだ。

 そして忘れてはならないのは、外に出て来られる人たちは、比較的元気な人たちなのだということ。(こういうの、「生存バイアス」って言うんだっけ?)疲弊して、心を病んで、閉じこもっている人もいるかもしれない。障害をもつ我が子に絶望して、泣いている人がいるかもしれない。助けを求める気力がなくて、支援に繋がることもできずに、家から出られない人がいないと、どうして言い切れるだろう。それらの人たちは、もしかすると過去の、あるいは未来の私たちだ。もし何かひとつボタンを掛け違えたら、そこにいるのは私であり、あなたなのだ。

 娘が亡くなってからも、私は生きている。知らない人から見れば、普通の人のような顔をしていると思う。(そうだと良いとも思う。)毎日少しは泣くけれど、人前ではおおよそ何事もなかったかのように、平静を装っている。仕事したり、人と話したりしていれば、悲しみが紛れたり、時には笑ったりすることもあるし、生きていればお腹が空くし、眠くもなるので、食べたり寝たりしながら、それなりに生きている。

 障害者とその家族は、一般的にはほとんど注目されることはないけれど、ごくごくたまに、大きなニュースになることがある。具体的な事例は差し控えるが、あまりのことに目を覆いたくなるような、辛く悲しいニュースだ。家族だけで、老いた親を含む障害のある家族の介護を担うことには、限界がある。愛情や気力で、初めは何とかなるような気がしたとしても、それは多くの場合「錯覚」だと、私は思う。人間の気力体力には限界がある。今この国では、たいていの場合、お金がなければ食べていけない。家族で介護することとお金を稼ぐことは、この国では今のところ、両立がとても難しい。食べて寝なければ絶対に保たないし、疲労や空腹は心を削り、愛情を枯渇させる。

 娘が亡くなった今もなお私は、「大丈夫、あなたは強いから」とか「ユーアーストロング」などと色んな人から言われ続けているし、私に関して言えば、実際強いのだろうと思う。私は以前から強くありたいと願っていて、私にとって「強い」は褒め言葉であり、実際これらの言葉をかけてくれる人たちからは、ポジティブなニュアンスを受け取れる。けれど、「あなたは強い」という言葉の向こうに、「私にはできないけど」という気持ちが隠れてはいないだろうか。(あるいは、口に出して実際に言う人もいるかもしれない。)もしそうだとしたら、「強い」と呼ばれる私たちは、途端に疎外されてしまう。私たちには選択肢がない。障害のある子どもが生まれたら、「できる」「できない」を口にする自由はない。「やる」。それしか道はないのだ。

 私が強いのは、生まれつきじゃない。ちょっと人とテンポ感が違う子どもで、たぶん少し過敏(良く言えば繊細)でもあったので、昔からたくさん嫌な目に会ったし、色んなことを我慢したり、人並み以上に頑張ったり、もがいたり苦しんだりしながら、ひとつひとつの物事にその都度心を鍛えられ、けっこう強い大人になった。この強さがあったから、娘のことにも辛うじて耐えているし、今もこうして生きていられる。けれどひとつ間違えたら、私は娘に出会うずっと以前に、心折れて、あるいは身体を壊して、この世から消えていたかも知れない。

 そうやって鍛え上げられたこの鋼のメンタルをもってしても、ここ数年のことはあまりにも過酷で、我ながらよく頑張っていると、毎日自分を褒め称えずにはいられないのだが。「これ、誰にでも耐えられるやつちゃうで!」と思う。ほんとにしんどいよ。そして、これに耐えることをあきらめて、やめたら私、どうなっちゃうんですか?

 人生は思い通りにいかないものだと分かってはいるけれど、障害児と生きる人生の「思い通りにいかなさ」は本当に凄まじい。うちの子はあっという間に天に帰ってしまったから、私の「育児」は本当に短い間だったけれど、このたった数年の出来事を思い出すだけでも、胸もお腹もいっぱいよ。そして娘を失ったので、本当に苦しい今を私は生きているんだけど、娘が長生きしたならしたで、楽しさや愛おしさと共に、沢山の困難に毎日毎日向き合う、長い人生であろうことが、容易に想像できる。障害児の子育てには、終わりがない。彼らは勝手に巣立っては行けない。この子を残して自分が先にいなくなったら?いわゆる「親亡き後」問題だっていつも深刻だ。一つ一つの体験は、私をより一層強くしていったに違いないけれど、そんなにそんなに、強くなければいけませんか?障害児の親は、身も心も筋肉ムキムキじゃないと、ダメですか?私たちは疲れている。通常の子育てよりだいぶ、人生の負荷が大きいと思う。

 娘が亡くなってから私は、事あるごとに、娘と私を知る人たちに、「どうか時々、私の様子を見に来てほしい」とお願いしている。今は大丈夫なように思えるけれど、こんなに大切なものを失って、この先自分がどうなってしまうのか、どんな気持ちが押し寄せてくるのか、全く想像ができない。今大丈夫なことだって、単に気が張っていて、頑張ることがクセになっているだけで、その頑張りの殻を脱いだら、廃人のようになってしまうか、塩を振られたナメクジみたいに、泡になって消えてしまうのかもしれない。

 障害児の親は強くなんかないです。強くあらざるを得ないから、そういうふうに見えるだけで。「人見知り」とか言っていられないほど、たくさんの人と関わらなくてはならないので、勇気を出して何度も何度も、知らない人たちと知らないことについて話をする。どんなにコミュ障でも。(そして場数を踏んで、少しは人見知りを克服したりもする。)これが本当の強さなのか、それともただの強がりなのか、私にはまだわからない。

 そんなにものすごく強くなくても、それなりに生きていける人生が良いのではないかな、みんな。そのために、福祉が整ったり、セーフティネットがたくさんあったらありがたいな、と思う。家族だけが抱えるんじゃなくて、たくさんの人にちょっとずつ助けてもらえたら、障害者と共に生きる家族が、心身共に最強モンスター並みの猛者じゃなくても、皆それなりに楽しく生きていけるような気がするんだけど。そういう世の中にするために、私にできることは何なのか、考えながら生きようと思う。そして、もう少し身辺が落ち着いたら、「ちょっと手伝えるおばちゃん」に、私もなるからね。待っててね。

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