ハワイにはパワーがある

 唐突だが、ハワイ旅行に行ってきた。新婚旅行ではない。(私の新婚旅行は地獄谷だった。今思えばあれが地獄の始まり、という伏線だったのか?それは置いておくとして。)

 ハワイ旅行は私の両親の希望だった。どうしても私と弟を連れて、4人で行きたいという。私も弟も良い年だし、私は今ひとりだから良いとして、弟は結婚して子どももいるから、彼だけ抜けがけできるのか、と心配もしたが、できた。良かった。

 旅行代金は両親が出してくれるという。今は円が安いので、海外旅行はとても高価だ。けれど「一生に一回だからね。親から子への最後のプレゼント。」と言う。旅行の段取りも、予約も全部、70代の両親が行った。年老いた父が何度も旅行会社に足を運び、母はあらゆるところから情報を集め、自分たちでパスポートをはじめ必要な物を揃え、旅行代金を支払い、現金をドルに換金するところまで、全てやってくれた。私がしたのは、自分のパスポートの更新(名前が変わったので)と、4人分のESTAの登録ぐらい。(ESTAは4時間くらいかかったよ。大変だった。)私と弟はさながら通訳と引率といったところ。忙しい上に体調も良くなくてパッキングもままならなかったが、なんとか荷物を詰め終えた。無事に辿り着けるのか、ええい、どうにでもなれ、と弟の車に乗り込んで家をあとにした。

 成田空港で乗り換え、一路ハワイへ。そこから9時間ほどのフライトは思ったより辛くなかった。母は機内放送の到着時刻が現地時間であることを理解しておらず、「これからちょっと寝ようと思ってたのに、もう着いた」と述べていた。時差ぼけ大丈夫かしらね。

 常夏の島ハワイは本当に夏だった。さっきまで雪に閉ざされ、凍てついた大地でダウンコートを着ていた私たちは、ヤシの木が風に揺れ、陽の光がさんさんと照らす夏の中に放り出された。空港のトイレで冬服を脱ぎ、持参したTシャツに着替える。日差しが眩しい。さすがハワイの太陽は違う。

 日本はお正月だったが、元日に大きな地震があり、それから空港の飛行機接触事故なども起こって、お正月ムードどころではなかった。実は親族がひとり、病でしばらく前に余命宣告を受けており、残り時間はあと僅かだとわかってもいた。何かがほんの少しずれていたら、旅行に行けなくなる要素はいくつもあったのだが、それら全てをかいくぐって、私たちは4人揃ってハワイに降り立った。

 滞在は3泊5日。私と弟の仕事の休みと、両親の体力と予算をすり合わせて、割り出した日程だ。決して長い旅行ではないから、移動で疲れるだけで、きっとそんなに楽しむ余裕はないだろう、と覚悟していた。

 1日目は、到着して必要な手続きをし、翌日以降のスケジュールに必要な下見を兼ねて、街を少し歩き、街中のレストランで食事。夜にはホテルの部屋で花火鑑賞。2日目は、ツアーに組み込まれていたシャトルバスによる観光とショッピング。夜はホテルのレストランで食事。3日目は自分たちでトロリーバスに乗り、少し離れたショッピングセンターへ。午後少しだけビーチで海に足をひたして、夜はコンビニで軽食をテイクアウトして部屋で食事。これだけ。

 文字にしてしまうと大したことのない旅行だったのだけれど、美しい景色と、暑くも寒くもない気候と波の音に癒されて、心が本当に休まった旅だった。きっと二度と同じメンバーで行くことはないであろうこの旅行に、生きて4人で行けたことがありがたいと思った。

 ほんの数年前には、「いつか娘を連れて行きたい」と夢見ていたハワイに行った。娘はもうここにいなくて、一周回って私はひとり。でも、この4人家族は私の原点で、しばし過去の色々なことを忘れて、再び4人で家族として過ごせたのは、かけがえのないことだった。ダイヤモンドヘッドが青い海の向こうに見えたときも、打ち上げ花火の大きな音と光に驚きの声を上げたときにも、密かに私は泣いた。この時間はきっとすぐに過ぎ去ってしまって、帰国した途端にこの4人家族が解散してしまうのが、とてももったいないと思った。

 それから、ワイキキビーチの明るい太陽に焼かれながら、輝く波打ち際を裸足で歩き、海を指先でかき混ぜた。中指にはめた指輪が濡れるのを見て、一緒に来られなかった娘に会いたくて、また少し泣いた。私は来た。生きてハワイに来て、キラキラ光る水面を見てる。娘ちゃんも、どこかで見ている?ハワイはすっごくきれいなところだね。

 最終日空港への移動の時だけ、ほんの少し風と雨に当たったほかは、終始お天気に恵まれた旅だった。最低気温20度、最高気温26度、みたいな本当にちょうど良い陽気で、空はからっと晴れていて、とても過ごしやすかった。入るお店の全てで、現地の方たちに「アローハー!」と笑顔で迎えられ、日本では寒くてこわばっていた首筋と眉間が緩んで、しばらく悩まされていた頭痛がいつの間にか治っていた。こういうところで暮らしたら、体調はおろか性格も良くなるんじゃないかしら、とまで思ったほどだ。それはさすがに、気のせいだろうけれど。

 3泊5日の旅は、あっという間に終わった。体力に自信のない母が、「もう何日か居たいな」と口にするほどに、ハワイは良いところだった。「ハワイはパワースポットだ」といろんなところで見聞きして、半信半疑だった私も、行く前より帰って来た後の方が明らかに元気だったし、今回の旅行のことを思い出すだけで、数ヶ月経った今でも、気持ちが晴れやかになるのを感じている。

 「ハワイなんて皆行くありきたりな観光地だ」と若干斜に構えていた過去の自分を、今私は恥じている。ハワイには皆行く。何度も行く人も、家を買う人もいる。それはハワイがお金を払って何度も足を運びたくなるほどに、素晴らしい場所だからだ。だいたいアメリカが50番目の州にしたところだもの、良いところに決まっている。みんなハワイが好きなんだ。そりゃそうだ。

 もちろんそこに暮らしている人たちにとって、いつもハワイが楽園なわけではないだろう。ショッピングモールへ行ったとき、駐車場には窓ガラスが叩き割られて大きな穴の空いた車が停まっていた。私は日本であんな状態の車を見たことがないし、それがああやって平然と放置されていることで、伺い知れることもある。たった3泊の旅行で行った私たちにとっては、ハワイは夢のような場所だった。そしてそのように過ごすことができて、私たちはとてもラッキーだったと思う。

 空港へ向かう帰りのシャトルバスの車窓から、大きな子ども病院が見えた。バギーに乗った少し大きいお兄さんと、押している家族らしき人がそこへ向かって歩いていた。ここにもきっと、いろんな子どもたちがいる。日本じゃなくてここで生まれていたら、娘はどんな風に過ごしただろう。花咲く樹々や、波や、風に揺れるヤシの木を、一緒に見たかったな。そして美しいムームーを着せて、可愛い帽子もサングラスもレイも髪飾りも、みんなみんな、つけてあげたかった。海に入れる車椅子はあるのかな。波打ち際で、一緒に遊びたかったな。

 いつかまた、あそこに行ける日は来るのだろうか。世界では戦争が終わらず、円の価値はどんどん下がっている。かたや私は少しずつ歳をとり、日々の労働で時間と体力をすり減らしているというのに、政界には裏金議員たちが跋扈していて、税金はどんどん上がるのだ。それでも、いつかまたあの島に行きたいと思いを馳せる度、心はすぐに美しい海辺に飛び、ハワイに行った思い出は、いつまでも私の心を明るくする。物価が高いのでたいしたお土産も買えなかったが、我が家の冷蔵庫にはキラキラのついたパイナップルのマグネットが光っていて、ポケットにはプルメリア模様のハンカチがあって、そして何より今日も職場のロッカーには、人知れず可愛いウクレレが入っているんだ。

 私は確かにハワイに行った。あのハワイ旅行は、夢じゃなかったんだ。🌈





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