「なんにもできない」娘が、私に教えてくれたこと

 こんなことが私の身に起こる日が来るなんて、考えたこともなかった。人生には本当に、色々なことが起こる。身体の不自由な娘が、突然天国へ帰ってしまった。

 前日の面会では、娘はニコニコとご機嫌で、久しぶりに抱っこして、新しい絵本を読んで笑って、楽しく一緒に過ごしたばかりだった。あまりのことにまだ気持ちがふわふわしている。悲しみを感じ続けることを無意識がブロックしているみたいに、変に高揚したり、感情が無になったりする。あとからガクンと、来るのだろうか。

 娘は身体がとても不自由だった。どれくらいかというと、口から食べることができない、自分では手足を自由に動かすことができない、移動もできない、つまり、生きることの全てを他者に依存しなければ、存在できないくらいの不自由。だから何か「生産的」なことができるかと言えば、答えはNOだ。

 少し前に障害のある方たちの「存在意義」について考えさせられる、大きな事件があった。第三者が「良かれと思って」たくさんの命を奪った。生産性。有用性。いわゆるそれらがない人たちには、存在する「価値」がないのか。そういう大きな問いを、私たちは突きつけられた。

 娘は帝王切開で生まれた直後から、本当に生きるのが難しい子だった。後から母子手帳に記されているのを発見した、「新生児仮死」の言葉。知らない間に、娘は輸血も受けていた。産後の私を気遣って、誰も知らせずにいてくれたんだ。たくさんの人が、私の心を守ろうとしてくれたことがわかった。医療者の方たちが大勢、全力で娘を助けてくれた。そして誰より本人が本当に頑張って、娘は生きた。

 生きること全てに介助が必要な子どもを持って、一時は人生に絶望しかけたけれど、子どもをもつことは私にとって、それを凌駕するほどの、大きな大きな経験だった。娘の温かさ、重さ、泣き声、笑顔、全てが圧倒的なエネルギーを持って、私の目の前にあった。思えば生まれる前も、私の胎内にまるで火の玉が燃えているように、それはそれは力強く、そのエネルギーは存在していた。私の中で、私とは別の生命が燃えていることが、ただただ偉大で、重く大きく、とてつもなく苦しかった。生まれてからも、身体が不自由であることを、娘自身は何とも思っておらず、ただそのように生まれ、堂々と力いっぱいエネルギーを発しながら、そのように生きただけだ。    

 生きている娘に対して、私たちにできることは、その生命がある限り、全力で守ること。そして、娘ができるだけ楽しく生きることができるように、少しでもその不自由な身体で、できることが増えるように、働きかけることだけだ。ありとあらゆる手を使って。

 たくさんの人から、さまざまなケアを与えられた娘だったが、彼女はただ一方的に、受け取ってばかりいた訳ではない。娘を支えてくださった多くの方たちもまた、娘に触れて、精一杯生きるエネルギーや、その笑顔から、たくさん元気をもらっていたように思う。何もできない娘が、その存在だけでどれほど多くの人たちに、目に見えない温かなものをたくさん、たくさん与えたか。娘はそこに在るだけで、本当にそれだけで良かった。

 娘は、肉体が生命をとどめているということ自体が、とてつもない奇跡であるということを、自ら生まれ、生き、また天に帰ることで、私にまざまざと示していった。そして生まれた時と変わらず、娘はひとりの大切な子どもであり、不自由な身体をもち、あまりにもあっけなくこの世を去ってしまったことも含めて、丸ごと許されるべきなのだと思う。娘が娘であることの全てを、私は愛するべきなのだ。「もっと生きてほしかった」という私の希望は、私のわがままに他ならない。娘の人生は、娘自身のものなのだから。

 娘を愛するということは、私に都合の良いところだけを愛するのとは違う。彼女の不自由な体を、彼女を生かすためにした努力や苦労を、彼女を失うという大きな痛みを、それら全てを丸ごと受け入れるということだ。それは今の私には、とても大変なことのように思えるけれど。しかし、娘の壮絶な人生と比べた時、それは途端に、取るに足らない、ちっぽけなものとなる。私はただ傍らで娘と共に生きていただけで、その過酷な人生を生きたのは、ほかでもない娘自身だ。小さな小さな心と身体で、たくさんのことを感じ、耐え、生き抜いたね。本当に頑張った。その上彼女は、私にたくさんの笑顔と温もりまでくれた。その全てを認め、愛することが、私に今できる最良のことだし、彼女はそうやって愛されるに値する、大切な大切な人だ。

 健常であることだけに、価値があるのではないと、私は思う。医療の発達も、ユニバーサルデザインも、社会を万人のものにしようとする全ての働きは、一部の人たちの困りごとから生まれ、やがてあらゆる人たちに恩恵をもたらす。だって医療のお世話にならない人はいないし、全ての人間は、人生のどこかでほぼ確実に、健常性を失うのだから。

 人は一人で生まれ、一人で死ななければならない。しかしその間、誰も一人で生きることはできない。その生命の始まりから終わりまで、誰かから何かを受け取り、誰かに何かを手渡しながら、生きていく。生きるということは、そういうたくさんのやりとりを、知らず知らずのうちに、行うということなんだ。

 娘を失った今を生きることは、私にとっては、とても苦しいことだ。きっと人は誰しも、周りからは見えない何らかの、痛みや苦しみを抱えて生きているものなのだと思う。娘のことを知らない人は、まさか私がこんな風に、潰れそうな心を抱えて、毎日生きているとは思わないだろう。みんな何かを抱えながら、しかし大抵はそれをあからさまにアピールすることなく、何気なく生きている。そういう人生の中で、何を手渡し、何を受け取るのか。どういう人間関係を、紡ぎながら進んでいくのか。

 生きている、それだけで良かったし、生きることができなくても、それでも良い。私の宝物である可愛い娘は、それほどまでにパーフェクトな、素晴らしい子どもだ。彼女は私の誇りであり、娘をもち自分を母と呼べたことは、私の人生で最大のギフトだ。

 これから残りの時間を生きる上で、私にできることは何だろう。できれば何か良いものを、正義とか、優しさとか、愛とか、そういう温かいものを、誰かの心に少しくらい、手渡せる人生を生きたいと思う。娘が私にそうしてくれたように。(今はたくさんの人たちから、優しさをもらって生きている。泣いてばかりいて、何の役にも立たないね。許して。)

 娘の名前は遠い国の言葉で、「松明(たいまつ)の灯り」という意味をもつ。後から知ったことだが、別の国の言葉では、「喜び」という意味があるそうだ。娘が生きた日々は、私の心に暖かくともっている。いつまでも胸に消えない、力強い命の火だ。

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