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挑戦して気づいたこと

どこからともなく聞こえる音楽。
子供達の笑う声。
大人たちの会話。
鳥たちの鳴き声。

今日も何ら変わりのない日常を送る、アフリカの人たちの中で、日常が日常となりきれず、非日常のような今日を生きている私。

周りのみんなはすごく優しくて、仕事中も言語を教えてくれたり、わかりやすい単語で説明してくれたり、私のぎこちない言葉を必死に理解してくれようとする。困ってることはないかと聞いてくれたり、最近は歩いてると笑顔でハイタッチしてくれる人もいる。


そんな優しい人たちに囲まれて今日も生きていられるのに、何故か、どことなく孤独を感じでしまう。

うまく伝わらない言葉、聞き取れない言語にとんでもなく疲れる日々。聞くことすらも嫌になって、仕事が終わったらすぐに家に帰って夜ご飯も食べずに19時にはベッドに入る日々。

ここにきてからの私の睡眠時間は11時間くらい。すごいねてる。寝まくってる。

それにしても、思ったよりも上手く進まないものだね、人生は。

想像通りにいったら苦労はしないか。

今まで、洗濯物は洗濯機に入れてボタンを押せば機械が勝手に洗ってくれていた。今は、手洗い。1週間分の洗濯を溜めては、土曜日は、ひいひい言いながら手洗いをしている。

現地の人たちは、おしゃべりしながら楽しそうに手洗い洗濯をしている。

水道から水が出るのが当たり前の日本で育った私にとって、溜めた水で体を洗ったり皿を洗ったりする生活にはまだまだ、慣れない。
20リットルの水を汲んで運んで、時には、雨水を汲んで生活する日が来るとは。

電気がついてるのは当たり前で、電気がついた部屋で、机があって椅子があって、そんな環境で勉強したり仕事をしたりすることが当たり前だと思っていたから、それが無くなった時、あたふたする自分がいる。

ここの人たちは、インフラがなくたって、野良犬が歩いていたって、いつも笑顔だ。

「生活改善」私が求められていることだけど、日本という便利すぎる国で育った私には、小さな虫にもビビり、通勤路に鶏がいるだけでその道を通れず、ネズミが出るのを恐れて自炊もまともにやれず、まだまだ不便と感じながら、ここで生活をしている。そんな私が、ここで、これが当たり前として日常を送る人たちの「生活改善」なんてできるのだろうか。

生活を改善すると、当たり前の日常を壊してしまうは表裏一体な気がする。

そんなことを思いながら、17時。顔も洗って歯も磨いて、今日はもうベットだ。フランス語と現地語の勉強をしながらいつものように眠りにつく。

自分が想像してたようにはいかない日々と、自分は思うほど何もできない無力な人間だってことに気づけた2週間。
いろいろ、もがいているけど、これからもまだまだ、もがくんだろうな。

ここで暮らす2年間よりも、これからの生きる人生のほうが何倍も長い。

だからこそ、ここでのこの、もがく時間も、これからに繋がるんだと思う。きっと、苦しい時間も、楽しい時間も決して無駄なんてないはずだ。

むしろ、ここにきてるだけで、ここに来るまでに頑張ったあの時間だって、1ミリも無駄じゃなくて、私の財産なんだよな。

一度きりの人生。
いま、挑戦していなかったら、私は、この先も、自分の理想を追いかけて、私は何でもできる。そんな、根拠のない自信と理想を持ち続けていたかもしれない。

自分の弱さも、自分の強さも、動いて初めて、挑戦して初めて気づくのかもね。
そして、それの積み重ねが、自分が変わるキッカケになるのかもしれない。

なんて、思いを長々書いてしまった。
明日は、稲刈りに行くんだ。ここにきてから、稲刈りはジムみたいなもん🌾

今日も、世界のどこかで仲間たちが必死に頑張っている。私も頑張らないとね。

お父さんは、元気だろうか。
休暇は、日本に帰ろうかな。

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