鳴りやまぬ嘲笑(僕が失明するまでの記憶 28)

 その後、中学校の先生が何度か見舞いにやってきた。退院後、学校をどうするのか離したかったのかも知れないが、直接的にその話題が出たことはなかった。

 副担任の先生は過去に養護学級を受け持っていたので、兄のことをよく知っているらしかった。芽が見えなくて退屈していることを気遣ってか、お気に入りの曲(荒井由実のベストセレクションだった)を入れたカセットテープをくれた。

 「古い曲ばかりだけど、よかったら聴いてみて」

 あるいはそのとき、何としてでも中学校に戻りたいと言えば事態は変わっていたかも知れない。確かに、当時としては統合教育に比較的理解のある地域だったし、先生としてもまずは僕の真意を知りたいという様子だった。それに、仮に反対運動が起こっても、あの先生ならきっと力になってくれたに違いない。今となってはそれがはっきりと分かる。

 でも、失明を宣告されたばかりの僕に、希望など何一つ持ちようのなかった自分に、いったい何が決められたというのだろう。自分に何かできるかも知れないという感覚は、もう完全に失われてしまっていた。元通り中学で勉強できるとはとうてい思えなかった。ましてや障害社になった自分がまともな学校生活を送れるなどとは。

 思い浮かぶのは、「ガイジ、ガイジ」と指差され、卑しめられる無力な自分の姿だった。

 「ガイジ、ガイジ、ガイジ、ガイジ……」

 内側で鳴りやまぬ嘲笑の声。僕に選ぶ道はなかった。

 ほどなく盲学校への転向が決まると、最後に一度挨拶に来てほしいと連絡があったが、低調に断った。誰にも会いたくなかった。変わり果てた姿をさらしたくなかった。生きた痕跡、存在を完全に消し去ってしまいたかった。