浮世
父が存命中に、かなり昔のことだが、ある、テレビCMについて、語ったことを、ふと、思い出した。
高倉健の、日本生命のCMである。1983年あたりの頃の話である。
高倉健は、一言、「不器用ですから」と呟くのだが、この言葉を巡り、父が展開した話が、少し印象的だった。
父は、「浮世ですから」と言っているのではないかと言うのだ。
どこからどう聞いても、「不器用ですから」としか聞こえないのだが、ふと、生命保険のCMであること。そして、人の命や人生は、世の中に翻弄されるものであるという流れからすると、「浮世ですから」も、ありなんだろうと思ったのである。
父は、旧制高校を出ていて。勉強家で、議論好きの、昭和一桁の教養人だった。
私とは、対極にいるような人だったが、なぜか、私のようなものにも、議論をふっかけてくる。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
いかにも昭和の、バンカラの学生風情だな。
だが。
今、この歳になって思うことがある。
父の、こういう、ふっかけてくる議論について、もっと話しておけば良かったと。
あの頃に比べて、格段に、日本は災害が多く地球温暖化などの環境変化も激しく現れてきている。
浮世、という言葉が、この歳の私に、突き刺さってくる。
あの時、父は、どんなことを考えていたのだろうか。
最後の最後は、長年煩ってきた病とは違う病で世を去った父。
子供の頃に戦争を経験し、原爆の爆心地に出かけるはずが、運命のいたずらで命拾いをし、生きながらえたことを幸運だったと思い返していた父。
あの時の父には、思いが、遠く及ばない。
今、人生百年時代だという。
時代は変われど、大国の横暴で諍い事が絶えない世界。人間の所業で汚される地球という唯一無二の星。
人は、この300万年ほどで、何をどう、進化してきたのか。
翻って自らは、何らの人類への、地球への貢献をなし得ていない。
還暦を迎える今となって、父の与えたひと言が、妙に胸に突き刺さる。
浮世。
だが、人生捨てたもんじゃない。人類だって、捨てたもんじゃない。そんな思いを、ふと、世の中のせいではなく、自分事として捉えるようにと、父が残してくれた言葉なんだろうと、今宵の月を見つつ、ボンヤリと、思った。
そんなこんなを家内に語ろうとして後ろを振り向くと、空のソファーが、静かに笑っていた。
先日から家内は、あるプロジェクトで都心のホテルに泊まり込んでいる。
シーンとした部屋の空気に、なんだか、心が追いつかない。
昼間のやりとりからすると、家内は、元気なようである。
家内が元気だと、我が家は、明るくて平和である。
だから。
これで、いいのだ。
■追記■54日目/66日
放課後ライティング倶楽部主宰のヤスさんが、エグい企画をやっている。66日ライティングランニング。略して「66日ライラン」。
人間が習慣化できるのは、66日間くらいを経てというのが一説にあるという。書く習慣と力をつけようというこの企画。新たな参加者が毎日のように増えている。
下述のヤスさんの記事のコメント欄に始めたいと入れると、マガジン招待のメールが届く。
約束事は、以下の3つ。
①300字以上を目安に書く
②投稿時、必ずマガジンに投稿(#66日ライラン)
③1日でも投稿をサボったら、マガジンから追放
「追放」って…。まじかぁ…。
でも、企画ものが大の苦手の私が、震える手で、参加することにした。まさに、ドキドキで。コメントすると、招待状が届いた。
これで、後には引けない…
まだ、参加できると思う。ご興味のある方は、添付記事のコメント欄にて、ヤスさんへアピールを。
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