鏡餅
毎年お正月前に購入する鏡餅。実は今まで一度も、意識して食べ切ったことがなかった。
多分、家内か、子供たちか。誰かが食べ切ってくれているはずなのだが、それが意識して私の口の中に入ることはなかった。今まで一度も。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
なんだか、夏くらいまで、鏡餅、そのまんま放置されているのが、毎年の出来事のような気がするけど。
今年は、ちょっと意識して。家内がプロジェクトに参画して家に普段いなくなってから、妙に気になってきて。生まれて初めて、意識して鏡餅を食べきることにした。
裏っ返すと、ちゃんと餅が入っていた。
中には、小さな切り餅が4片入っていて。それを2日にわけて、夕飯に、食べ切った。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
やった、やった、とうとう食べ切ったぞ!
ところが。
冷凍庫を眺めてみると、隅っこの方に、いつのものだかわからないくらいの、鏡餅の欠片や、いつ保管したかわからないようなあんころ餅が、ジプロックに入って、カチカチになって、見つかった。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
さっちゃん(注1)は、ジプロックに入れて冷凍庫に入れていれば、未来まで持って行けると思い込んでいるね。
そうなのだ。
食材は、意識して時間の経過したものから食していかねば、それは永遠に冷蔵庫に居座ることになり、いずれ朽ち果てるのだ。
そんなこんなを家内に語ろうとして後ろを振り向くと、空のソファーが、静かに笑っていた。
先日から家内は、あるプロジェクトで都心のホテルに泊まり込んでいる。
シーンとした部屋の空気に、なんだか、心が追いつかない。
昼間のやりとりからすると、家内は、元気なようである。
家内が元気だと、我が家は、明るくて平和である。
だから。
これで、いいのだ。
(注1)さっちゃんとは、家内のことである。別名、女王陛下という呼び名もある。
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