見出し画像

呪いから自由になることは、選択の結果

◇呪いから自由になる方法◆

①呪いに気づく
②自分の傷や痛みに気づく
③そこにある痛みに思いやりと優しさをもたらす

※ ※ ※

①呪いに気づく


私の言うことを聞きなさい。
ありのままのあなたのままでいなさい、ただし私の気に入る範疇で。
覚えておきなさい。
私の機嫌を損ねたら、あなたの世界にいる人がひとりずつ追放されます。

※ ※ ※

②自分の傷や痛みに気づく


「尊厳」とは、どこに、どんな風に顕れるのだろうか。

今の私は混乱の中にいて、自分が誰に/どこに/何に向かって、何を求めているのかを明瞭な言葉にできない。
「言葉にならない声はどこにも届かない」という私自身の物語の中で、私は孤立し絶望している。その絶望の中から、ただ叫ぶ。

※ ※ ※

先日の集まりにて、私の記憶では、オフィシャルに共有されたこととして、以下のことがありました。

特定の参加者Aと、ファシリテーター係Bの間に緊張があり、その理由については、別のファシリテーターCから説明があり、参加者Aがいくらかの補足をしました。
「自分にとって男女の、それも親密な触れ合いを見ることは、激しい生理的嫌悪を催すことである。私の再三の申し入れにも関わらず、それをやめないことに深い嘆きがある。これが緊張の原因である」ということでした。

この説明された理由と、参加者AのファシリテーターBに対する言動との間の関連を見ることが私にはできません。
例えば、ファシリテーターB&Cの2人の講座で、Bが参加者からの質問に回答していた際、Aは「Cさんの話が聞きたい」「Cさんの話は終わったの?」と複数に渡ってBを遮り、Bの回答の半ばで、私たちは彼の話をそれ以上は聞くことができないことがありました。
このような言動が、先に述べた嘆きや緊張とどんな関連があるのでしょうか。

その説明があった時、私も含めてその場にいた全員が黙って聞いていました。私にはそれを思い出す時、大きな恐怖に打ちのめされます。「黙認する」という形で暴力に加担してしまった不快な感触が、時間の経過と共に身体に広がっています。私は今、Aのことも、その場にいたみんなのことも、それから自分自身のことも信頼できなくて、孤立してしまいました。

私は今「目前で(過去の痛みを起因とする)暴力を見て、それを公に受け入れ容認した」という、屈辱感の中にいます。私自身が暴力に加担したという身体のリアルな感覚が消えない。

私は時に暴力を選ぶこともあり、そんな時には自らの暴力に傷つき、後悔しますが、それは私がその時にできる最善と思うことを自ら能動的に選んだものなので、それは引き受けることにこれほどの困難はないし、自分自身への信頼が揺らぐこともありません。
今回のことを「いつ自分がそれを選んだのかわからぬまま暴力の片棒をかつがされた」と認識している今、これをどのようにも消化できぬまま身体が腐っていくような耐えがたさがある。

このようなことで、私はここで尊厳が大切にされることを信じられず、心底打ちのめされています。

※ ※ ※

③そこにある痛みに思いやりと優しさをもたらす

自分が傷つくリスク、人を傷つけるリスクを冒して、自分の声を出す。
私自身にとって不快な感情がそこにある時も、私は私自身と共にいる。自分の感情的な体験のすべてに心を開き続ける。
怖くて縮こまって心を閉ざしたくなった時には、自ら防御を手放して、自分の柔らかな心へ繊細に触れることに開いていくのだ。
私の怖れの反応を引き起こす、私の過去の経験の全てに温かな優しさをもたらしながら、いまここに在る現実に心を開き続ける。

何を体験しても私は私の命が経験している全ての感情にYESと言う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?