見出し画像

5月のワークショップのこととお金の話

5月に「ダメ出しと社会構造」というタイトルのワークショップを開催する。私はその主催である。NVC(Non Violent Communication)の文脈のワークショップだけども、身近な人とのコミュニケーションのためワークショップではなくて、自分の言葉をしっかり深く見て、社会構造を紐解いていく。ワークショップ自体には、もちろんワクワクしている。なんせ、私がやりたくて動いて、現実化したのだ。告知も、割と楽しかった。が、告知、嫌になった。

告知。心削られるというか、心倦む。告知の何に心が削られるかって、レスポンスっていうのかしら?出した告知にどのぐらい反応があったかを気にするようになって(っていうのが、反応いいものはもっとやっていく必要がある、みたいなことを聞いたものだから)、私は「反応があって欲しい」けど、「人を煽ってノリで来てもらいたくない」という相反する2つの気持ちがあって、病む。

こういう、
「aをやってもダメ、aの反対をやってもダメ」という思考は、

ダブルバインディング

という。
ダブルバインディングを真剣に受け取ると鬱になる。私たちは、自分の思考の中に拮抗する二つの権威を持つと、身動きが取れなくなってしまう(→これがいわゆる「鬱思考」)

でさ、いきなりお金の話。
ワークショップ、当たり前だけど有料チケットを売っていて、チケットが売れないと、私が赤字を被ることになる。というか、赤字を私が被るとしても、赤字だと主催としての信用が得られない(講師も通訳も赤字になるワークショップをまたやろうとは思わないよね)。というか、ある程度黒字にしないと私の稼ぎがない。

というわけで、
お金の話。

前から思っていたこと。
私は昭和の教育を受けたのだけども、中学生の時、社会の公民の授業で、銀行の役割とか、市場経済とか、
習ったと思う。

でさ、

歴史の授業で、アヘン戦争とか、東インド会社とかも習ったと思う。

これらの知識を、私の頭でザックリ理解すると、今の市場経済って、1番貧しい人が、1番大変になる構造っていうか、貧しい人を作る構造だと思う。

私は、この5月のワークショップには、そういうことを一緒に考えてくれる人たちに来てもらいたい。何故なら、ミカもクリスティンも(ワークショップの講師の二人)そういうことを真剣に考えて取り組んでいる人たちだから。
どんなお金も、戦闘機を作るお金と繋がっているし、人身売買するお金と繋がっている。

罪悪感に負けて考えるのをやめるとか、現実の全体を見ないでキラキラしたことだけ言うとかじゃなくて、現実を引き受けた上で、自分が世界と一緒に生きていくための新しい手段を模索し続けるための仲間が欲しい。

近ごろは、仲間が得られぬ寂しさにイライラして「罪悪感に立ち止まるって責任放棄だ」と叫びたくなる。
罪悪感の前提って「私は無力である」っていう甘い幻想だ。私は「自分が無力だった」ということを嘆き喚いて「自分を無力な立場に貶める何か」に迎合しないでいたい。私はそれが時々しかできないから、励まし合う仲間が欲しい。なるべくいつでもそれができるように、

どうせ誰も読まないだろうから、調子に乗って書いちゃうと、
「お金のブロック」ってあるやん?お金を受け取ることに罪悪感があるとか、お金を使うことに罪悪感あるってやつ。私はその罪悪感、健康だと思うんだよね。お金は別に悪くないし、あなたも遠慮なく幸せになったらいいけれど、今の経済システムは、このシステムのせいで生きられなくなっちゃう人とか、搾取されちゃう人とか国とかいのちがあるからね。
お金のブロックを取り除くのではなくて、お金についてもっと真剣に考えたらいいと思うんだよなあ、私としては。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?