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【ディスクレビュー】金井太郎×Sou Kanai、初の父子共作『Kanaibiza』で重なるふたつの世界

最初に瞼の裏へ浮かんだのは、透き通った海と砂浜を削るささやかな波。そして鼓膜を包むように膨らむ泡、その向こうで微かに聞こえる群衆の騒めき。太陽が熱く照り付ける海辺の街の景色を空想しながら作品詳細に目を滑らせると、この作品がスペイン・イビサ島で夜通し行われるクラブイベントをイメージしているという一文を見つけた。作曲家は己の瞳に見える世界の姿を心で咀嚼し、指先から吐き出して音楽を作る。先入観なく楽曲を聴いて思い浮かべたものとライナーノーツに記されたことが同じだったとき、私はアーティストの“共犯者”になったかのような気分になる。

シングル『Kanaibiza』はパスカルズ等で活躍するギタリストの金井太郎と、その息子でトランスプロデューサーのSou Kanaiによる初めての父子共作だ。全3曲入りの今作には、ゲストとして金井太郎のパスカルズでの同朋・横澤龍太郎(Dr)が迎えられている。

前述のように、本作はクラブパーティーの聖地・イビサ島で行われるオールナイトイベント(レイブ)をモチーフとしている。少し調べてみれば、夜通し踊って泡まみれになるイベントや、満月の夜にビーチで火踊りを楽しむイベントの体験談記事が見つかるだろう。

ただ、そのモチーフとの向き合い方はやや独特だ。楽曲の中には露出した肌にボディペイントを施して酒瓶片手に踊り回る人々の姿や、騒々しい夜の街の風景、アルコールや料理の匂いはあまり感じられない。この作品のサウンドは群衆の歓びや憧憬を俯瞰して、その“場”が持つ一種の静けさや秘密めいたものを霊感的に描き出しているように聴こえた。

まったく個人的な印象ではあるのだが、EDMやトランス系のいわゆる“踊らせる”音楽は、ロックやパンクといった“歌わせる”音楽よりも「音楽」と「リスナー」が明確に分離されている感覚がある。打ち込み主体のジャンルだからという所もあるのだが、要は音楽という別次元の世界の中に“わたし”がおらず、現実世界へ降り注ぐ音楽の中で“わたし”がそれを享受しているというイメージだ。

しかし『Kanaibiza』では音楽の中に“わたし”の居場所を感じられる。これはひとえに生楽器の音色と打ち込みとの重なりによるものだろう。1曲目の「Home」では電子世界に構築されたサウンドが波のように押し寄せる中、横澤のドラムが囁いた途端に音楽が明確な“質量”と“空間”を得る。光の粒と潮騒が混じって弾け合うそこに見えるのは、ジリジリした陽射しの熱。生身の人間が作る不完全な音が電子の海に漂う快楽的なメロディは、反復の中で勇壮に拡大されていく。

そんな「Home」とは対照的に、タイトル曲「Kanaibiza」は鋭角的なサウンドがフロアを揺らす様を彷彿とさせるナンバー。1960年代のポップスを彷彿させるギターのトーンと無機質でビビッドなサウンドの対照は独特な酩酊感を醸し、しかし両者の間にある距離感が広い空間を作り上げる。フィナーレを飾るギターソロは冷たく張りつめた音色を繰りながらも熱狂に呑まれず、弦が擦れる音の欠片すら余さず音楽の中へただ静かに溶け込んでいる。

「Idea」では柔らかな弦の震えが硬く乾いた木の中で反響する、その“音”の甘くつるりとした舌触りがひたすらに心地よい。ドリーミーに浮遊する愛嬌に満ちたメロディと、優しく爪弾かれるギター。それでも音楽はどこか寂静とした音像を得て、波が引くように掻き消えていく。

金井太郎は舞台やドラマ、映画等にも楽曲を提供する優れた作曲家だが、今作においてその音楽性を前面に感じる場面は少ない。どこまでも優しい音色で楽曲の中にそっと寄り添う柔らかさは、背中合わせのようである。それはバンドマンとトランスプロデューサー、対照的な音楽性を持つ父子のひとつの「関係」、あるいは「在り方」を示しているのかもしれない。

シングル『Kanaibiza』は各種配信の他、BASEやライブハウス等で販売中。


■single『Kanaibiza』
2021年7月1日リリース
金井太郎・Sou Kanai
M-1 Home
M-2 Kanaibiza
M-3 Idea
https://claudemusicf.base.shop/items/47333686


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