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「これは売れる!」と思った80年代の曲

予想はチャートマニアの楽しみ

私がヒットチャートを追っていたのは84年くらいからですが、「これは売れる!」「これはダメだろー」と予想するのが楽しみのひとつでした。今回はそんなリアルタイム時に「これは絶対売れる!」と思って予想が的中したものをいくつかご紹介します。

ボストン「アマンダ」

1986年に発売された曲。ボストンのことを当時知らず、8年ぶりの新作ということが盛んに言われておりました。で、FMラジオでこれを初めて聴いたとき、「あ、こりゃ絶対売れる」と確信。ツボを押さえた曲作り、ギターだけで構築された(シンセサイザーを使わない)サウンドの壁、完璧でした。後に中心人物のトム・シュルツが、「ヒット曲なんてコツがあるんだよ」的なことを言っていて、後追いで70年代の「幻想飛行」や「ドント・ルック・バック」を聴いてみるとなるほど、確かにトムは分かってるのかもしれないなと思ったもんです。

特筆すべきは当時、この曲MVが作られなかったんですね。つまりこれは純然たるラジオヒット。予想通りあっという間に首位を獲得(不思議なことにイギリスでは下位どまり)。当時、アルバムが出るや否やレンタル屋に駆け込んだ思い出あり。

テレンス・トレント・ダービー「ウィシング・ウェル」

現サナンダ・マイトレイヤことテレンス・トレント・ダービーの登場は、実に衝撃的でした。マイケル・ジャクソンとは全く異なるカッコ良い黒人像を示し、その渋い声と渋いバッキングサウンド。何もかもが「新しい」と感じる人でした。その後意外に売れなかったイメージがありますが、根強いファンはいるはず。

チャートは米1位・英4位、この後「サイン・ユア・ネーム」のヒットも後押しし、アルバムも米4位・英1位を記録。88年の年間チャート12位。
このインパクトはのちのレニー・クラヴィッツと匹敵していたと個人的に思います。

INXS「ホワット・ユー・ニード」

83年の「ワン・シング」(米30位)、84年の「オリジナル・シン」(米58位)とブレイクしそうでブレイクしない状況の中、登場した85年のシングル。聴いた瞬間、「あ、化けた!」と思いました。この曲のヒットに関しては曲のスピード感の素晴らしさ(アルバムとシングルではイントロが違う)もありますが、MVの影響も強かったかと。

結果は米5位。この後のシングルが小ヒットに終わったため、本格的なブレイクは87年のシングル「ニード・ユー・トゥナイト」とアルバム「キック」まで待つことになりますが、次作への期待感を十分に持たせる力作でした。この辺りはプロデュースのクリス・トーマスの力も大きかったのかなと。

ジャネット・ジャクソン「恋するティーンエイジャー」

マイケルの妹として、82年にデビューするも、ファーストアルバムは米63位、セカンドは147位と惨敗していた中、起死回生のシングルとして登場したのがこの曲。プロデュースと作曲の大部分をなんとマイケルのライバル、プリンス一派だったジャム&ルイスに任せた結果、ジャネットの個性が爆発。その斬新なファンク・サウンドは後のニュー・ジャック・スウィングなどにも影響を与えたはず。
当時、私はマイケルの妹といった先入観全くなしに「これはすごい」と感じた曲でした。

米4位(1位になったもんだと思い込んでました)・英3位を記録。ジャネットについては初の大ヒットシングルとなり、続く「ナスティ」(米3位、これも1位になってたと思い込んでました。英19位)、「あなたを想うとき」はついに米1位(英10位)、「コントロール」(米5位・英42位)、「急がせないで」(米2位・英3位)、ハープ・アルバート「ダイヤモンズ」(米5位・英27位)への参加、さらに「愛の法則」(米14位・英24位)と大ヒットを連発、当然のようにアルバム「コントロール」は米1位(英8位)、年間チャートは86年6位・87年5位と2年連続でチャートイン。80年代後半は確実に兄・マイケルを超えた存在に。続く89年のアルバム「リズム・ネイション」からは米1位シングルを4曲、他にトップ5 ヒット3曲と「スリラー」に比肩するモンスターアルバムを出すことになりました。

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