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摂食障がいの克服153【親友】

 【私が暮らしたひとつめの家】

 昨夜、またいつもの夢をみました。

 私が3歳ぐらいから13歳ぐらいまで暮らした家。
 のちに阪神大震災で全壊しました。

 もしも、引っ越していなければ、私たち家族は誰か犠牲になっていたかもしれません。大家さんも、この震災で亡くなりました。あのころ、月末になれば、うちに来た大家さん。1階にキッチンも合わせた2部屋。2階に2部屋。それで家賃は5万円程度だった。駐車場も含めて。

 なぜか夢では、まだどこかにあるはずって私は信じていて。

 昨日も、その家のあたりに訪れて、私の自転車置いてあるはずなんだけど、って探していました。その家だけじゃなくて、その家の周りが、本当に絵に描いたように昭和なんです。たくさんの畑、がたがたの道、絶対に通学路禁止になっているような、そんな景色。私も友人と待ち合わせて学校に向かうんですけど、思いっきり塀を乗り越えて、『NA~!』って迎えに来てもらっていた。

 【ふたつめの家】

 震災に遭った当時、新築だったので、無傷でした。
 電球がひとつ、お茶碗がひとつ割れただけだった。
 数ヶ月、ライフラインは断絶されたと思います。水道がまず復旧した。けれど、冬だったから、電気なしで、エアコンもつかないから、とても寒かった記憶があります。ガスが電気より先だったのかな、友人がおふろに入りにきたっけ(その友人の家も半壊)。この友人の隣人は、10数時間閉じ込められたと後で聞いた。大人になって再会したとき、嬉しかった。自然と私から名前を呼びかけて、嬉しかった。ああ、生きているんだ、って。

 ・・・この家は、昔ならではで、リビングがありません。
 1階にはキッチン(6畳)と和室(6畳)、2階には3部屋(6畳の和室、6畳の洋室で出窓がある部屋、そして、4.5畳の和室)、そして3階に10畳の洋室。この10畳を自分の部屋としてもらった私。嬉しかった。

 ベッドがあって、勉強机があって、本棚がある。ぬいぐるみもたくさんおいてあって、大好きな体操選手の絵が飾ってあった。(・・雑誌をコピーして貼っていたのです。本当に大好きだったから)

 14インチのテレビデオもあった。

 【体操】
 
 私は40代です。
 実は、体操という世界を初めて知ったのは、12歳だった。

 私にも12歳のころがあったのですね。151センチ、37キロ。
 
 教えられるスピードにもどかしさを感じるほどに、私はバクテンも一人でできるようになっていた。

 ロンバクも、またロンバクバクバクも(バクテン3回連続)

 怖くなかった。平均台からバク宙でおりることも。

 怖くなかった。何十人いる中で試合に出られるのは、6人です。

 そんなある日、宙返りの頭から落ちた。


 私らしいです。この瞬間に、レギュラーに選ばれる選択肢から外れた。
 バクテンも宙返りもロンバクも、全部失った

 こわい。後ろに跳べない。

 【40代になって】

 それで、40代になって、バクテンを始めたんです。

 あの後長い人生があったんです。もう、何度も何度も何度も、あの時のようになれるはずだと練習した。腹筋を毎日200、背筋も。もう毎日毎日トレーニングした。でも、戻れなかった。どうしても、あの時のロンバクバクバクができなくなった。

 一度、たった一度、失敗して、落ちて、その失敗からもう30年です。
 けれど、私はまだ、それを乗り越えられない。

 【親友】

 この私が失敗したときのエースが、親友です。
 ロンバクどころじゃない、ロンバク宙をきれいにきめていた、女の子。
 大好きだった。

 この親友のロンバク宙が大好きだった。

 42歳で亡くなった親友。
 
 私が摂食障がい真っ只中だったころ、彼女は乳癌だった。
 一緒にがんばろう、って話していた。

 『NA大好き』と言ってくれた
 『私の夢はおばあちゃんになること』だと言っていた。
 
 自分のためでもある、でも。でも、その親友を思い出して、私は体操を続けている。
 
 親友のちょっと鼻にかかった声が大好き。あれだけかっこいいのに、地味な私を好きだとご両親に話していてくれたことが大好き。

 苦しくても大好き。
 ずっと、大好き。

 そんなお話です。

 

 


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