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赦しを体験するために、生きてきたのかなあ。


最近、同じ本を何度も読んでいます。

それは『奇跡講座入門』。

世の中に素晴らしい本はあまたあるけれど、この本ほど本質しか書いていない本はないのではなあだろうか?と感じるほど、筆舌しがたい、語るのを憚れるような、生きていくための神髄の本です。


何度読み返しても、はじめて気づく箇所があるのは、その時々の私の成長段階、フェーズによって、気づきの深さが変化しているからだろうと感じます。


最終的に私たちが到達したいのは、恐れや罪悪感を手放し、どんな人もどんな事象も赦せる平安な境地なのだと思います。


この本を読んでいると、どれだけ今まで自分が他者に投影、転移を繰り返し、自分の罪悪感から逃れるため、必死で外側の誰かや何かを必要としていたかを感じます。


私は20代から内観研修所での集中内観に頻繁に行き、「盗みと嘘」「迷惑をかけたこと」を特に繰り返し、繰り返し、反吐が出そうになりながら、苦しみもがきながら調べてきました。


ということは、通常の人よりは罪悪感に向き合ってきたのです。


にも関わらず、無意識に自我(自己ではない)はそういうことを自動反応でやっていたという事実を顧みるとき、自我の偉大さ、巧みさ、いかに手強い相手か、ということに嫌でも気がつきます。


ただ、やはり内観をやってきてよかったと今でも感じているのは、自分を調べる癖がついたので、他者に自動的に投影、転移をしてしまっても、所詮全部私の内側のもの、ということも体験的に分かっています。


まあ、やってしまっていることには変わりはないのですが、自分の世界の見方を変えることで平安が手に入るという体験は、内観をしたときに手に入れた、私の宝でした。


他者を赦すこと=自分を赦すこと


文章にすれば一文ですがそう簡単に出来ることではありません。

が、最近ようやく恐れや罪悪感は私だけが強いのではなく、人はみな持っているからこそ、世界はこうなんだ、ということが海外に行ったり、いろんな方に出会ったり、体験を積むことで観えてきました。


だから歳をとるのは悪くない、とつくづく感じます。


この私にとってバイブルのような本も、自我の言うことばかりに夢中になっていると忘れてしまいます。


たびたび、いや頻繁に読み返して忘れないでおこうという自分の備忘録と、生きる神髄を知りたいという方にぜひぜひ読んでいただきたい!お勧めしたい!と思い、ご紹介させていただきました。



GWの今日もみなさまが、神に愛されていることに安心し、のびのびと自分と他者を愛して過ごせますように。

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