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自分の本質を大切にしつつ、柔軟に変化していく。

昨日、「定住」や「安定」を手放した方が人生がうまくいく、成長していく、という文章を冒頭読み、共感しながら読んでいました。



その方の考えはまだ1冊の本を購入してきちんと読んでいないので、ご紹介はここでは控えますが、私自身ものすごく思いあたる、と思いました。


私は3年前、1年半くらいの間に3回引越しをしました。
姓が変わり、住む場所が頻繁に変わり、旅行も以前より行くようになり、付き合う人、関わる人、行く場所も変化していました。



それまでの私は長い間同じ場所に住み、似たような人、同じような環境、仕事の中に居続けていました。



居る場所が変わるだけで何が起きるかというと、それまでの自分のやり方ではたちゆかなくなり、出会う場所、出会う人、出会った環境、出会った文化によって、今までの自分を変えていかないと過ごせなくなります。



例えばゴミだしひとつとっても、国、自治体によってルールが全く変わります。



バンコクでは分別など全くなく、どんなゴミもすべて一緒に出します。


だからか?エコバッグなど必要なく、あらゆるところで買い物をするたび素敵な袋をおしげもなくくれます。



が先日行った台湾では、ゴミ出しのときゴミ袋は有料で分別。


適当に捨てると罰金で、ちなみに電車内で手持ちの水を飲む、飴やガムを食べるさえ罰金です。



また、エコバック持参で買い物するのは当たり前なので可愛いいエコバックも売っているし、コンビニで有料のゴミ袋を購入した際、やけに立派だなと思ったら台北市の指定ゴミ袋で、そのままゴミ袋にも使えるものでした。



日本の自治体でも細かいルールが少しずつ違いますし、住むマンションによっても24時間ゴミをいつ出してもいいところ、決まった曜日以外ダメなところなどいろいろでした。



こうして同じ場所に居続けるとあまり頭を使わなくてもルーティンで無意識にやっていたことが、ひとたび場所が変わると、えっと、ここは何曜日が燃えるゴミだっけ?とか、へえ、ここではこうなんだ!などなど頭を使い感情も刺激されます。


そうなると、


これが普通だよね。
これって常識じゃん。


という当たり前という観念は、同じ場所に安定していればこそおきてくる、思い込みなのではないか、と思えます。


例えば我が家では絶対ダメ、と言われていたことが他の家ではむしろ推奨されている、など多様な考え方や価値観に触れ、自分の世界を広げていくのが大人になる、成長していくのだとしたら、やはり安定して同じところに居続けて、同じ思考でいるとそのチャンスは少なくなるだろうなあ、と感じます。


だから自ら動いて不安定さの中に身を置き、サバイバルしていくのは、成長を促される格好のチャンスだろう、と思います。


が、これは私の個人的な感覚ですが、なんとなくそれは男性性的な脳の使い方、行動な気がしていて、私の中にある女性性は、安心して寛いでいるのが好き、安心できる人たちと関わり、優しさや思いやりを感じながら居心地よくいたい、という柔らかな気持ちもあります。


なので、私は、男性性と女性性がどちらかだけに偏ることなく、どちらも活かしていくチャンスを作っていく、与えていくのが幸せに成長していくことなのか、と感じています。


私でいえば、その柔らかな私の本質を失うことなく大切に、他の人の力も借りながら、未知な世界、サバイバルしていく世界にも同時に身を置いていく、みたいな。


いずれにしても、自分の本質を大切にしつつ、その場、その場の物事に柔らかく変化、対応していきたいなあ、と思います。

あなたはどんな体験、それにより変化をしてきましたか?

自分は変化していない、と思っていてもノートに書いたりして棚卸ししていくと意外や意外、いろいろ出てくると思います。


自分の成長を振り返る、そんな時間もぜひ楽しんでみてください!


今日もお読みいただきありがとうございます。

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