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注目されることを恐れない〜自分の成長に集中して羽ばたいていく〜


今日はフラメンコの発表会です。

まさか自分がフラメンコを習い、しかも発表会に出ることになるとは、半年前には1ミリも予想できませんでした。

フラメンコに興味を抱いたこともないのに、前の職場で一緒だった方がフラメンコ教室を企画されたとき、行こうかな、となぜかそのとき思いました。


理由は、
今の自分をもっと変えたい。
企画した人が楽しい人だから楽しそう。


これだけだった気がします。


まだ本当には振り切れない、
人前に立つことに何か怖さや不安がある、


変化してきただけに、大きく変化する覚悟が足りない自分をもどかしく感じていました。


フラメンコを習いはじめても、なかなか今までの私のやり方、殻を破れず、お稽古日に夫の会社で仕事がある日になったり、練習を自宅では一切しない日々が続きました。


半分腰が引けるような関り方をしていました。


が、踊る仲間が再三発表会に一緒に出ようと言い続けてくれた、その熱意に押され、ちゃんと向き合うようになったら、踊るの楽しい!と思えるようになりました。


踊ったあと気分が高揚し、ご機嫌になっている自分に気がつきました。


何より一緒に踊る仲間が、今までの私から脱皮すること、これをきっかけに振り切った私になることを心から応援し続けてくれていたことを知り、それによって私の中のやる気スイッチが入りました。


人は1人では変われないけれど、応援してくれ、ともに切磋琢磨し楽しめる仲間がいると、一歩、また一歩と踏み出していける、とつくづく感じます。


そんな最近、会社で私を悪くいう人がいたことを知ります。


人から見られる立ち位置にいると、応援してくれる人、逆の人が必ずセットで訪れる、ということを今までも学んできました。



が、体験済みではあっても、哀しい気持ちになりました。



ただそこでやるのは、


私は恐れられたり、妬まれるような在り方を自ら誘発していなかったか、



神さまはここから何を学びなさい、と言っているのか、


それを点検することだけだ、思えるようになり、私自身の存在を脅かされるようなズーンとした、かつてほどの痛みは感じなくなりました。



哀しいしショックだけれど、自らを振り返ってみて、その人に私が何か攻撃をしたこともないし、したいと思ったこともない。

自分がそれをわかっていれば、そこに私自身がやるべきことはない、と思えます。



私を悪く言っていた方は、私のことを誤解していた、私にではないけれど謝っていた、ということもまた、あとから判明しました。



人から見られる立ち位置にいて、でもコミュニケーションをさほどとっていない関係の人とは、こういう自分の想定外のことが起こるのだ、とつくづく感じました。



それらも含めて、あらゆることを超えていきたいと願うぐらい、長くビクビクして生きてきた私が、派手な衣装に身を包み、自ら人前に出て注目されるようなことを敢えてしようとする時点で、私は変わったんだな、と気づきます。



人の応援が、変わりたいと願う私の背中を押してくれます。



人は人によって傷つけられもしますが、人によって、自分では呼び起こせなかったチカラと勇気が湧きでるよう導かれます。


今日の私の挑戦が終わったら、一層私自身が、変化したいと願う誰かの背中を、勇気とチカラを湧かせる人として、内なるパワーを使いたいと思います。


変化したいと願うあなたを応援します!


お読みいただきありがとうございます。

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